Windows Serverを中心に、ITプロ向け教育コースを担当

ITギョーカイ人の思い込み

»

●Web公開のためのまえがき

 月刊「Windows Server World」の連載コラム「IT嫌いはまだ早い」の編集前原稿です。もし、このコラムを読んで面白いと思ったら、ぜひバックナンバー(2005年11月号)をお求めください。もっと面白いはずです。

■□■

●思い込みに注意

 誰でも多かれ少なかれ「思い込み」がある。しかし、IT業界のように変化が激しいところでは「思い込み」が致命傷になることがある。今月は、ありがちな「思い込み」について考えてみよう。

●思い込みとは

 「理論的な裏付けはないが、過去にそうであったから、今後もそうなるだろう」という予測は誰でも行う。いちいち論理的な推論をしていたら素早く行動できない。特に、原始時代では、特別強い力もなく、鋭い感覚もない人間が生きていく上で、こうした予測は生き残るための強力な道具だったはずだ。

 ただし、思い込みが、ごく少数の経験だけに基づいていたり、人から聞いただけだったりすると問題を起こすことがある。

●ヤカンで水を注ぐ? お湯を注ぐ?

 「暮しの手帖」という消費者情報雑誌をご存じだろうか。雑誌の売り上げだけで運営され、他社の広告は一切ない商業雑誌という、世界でも極めて珍しい存在である。その「暮しの手帖」の名物コーナーに製品テストがあった。そこでは平易な文で、製品の良し悪しがはっきりと記載された。何しろ広告がないのだから恐いものはない。

 ただし、それだけに自己規制は強く、「加速試験をしない」「実際に試す」という絶対指針が厳しく守られていた。たとえば、ヤカンを扱った時は「注ぎにくい」と評価されたメーカーからクレームが付いた。そこで、メーカー立ち会いの下で再試験をしたところ、暮しの手帖の正しさが証明されたという。

 実は、メーカーは注ぎ口のテストを水で行っており、熱湯とは特性が違ったというのが真相だったらしい。つまり「ヤカンで水を注ぐ」のは優秀であったが、お湯では駄目だったということだ。もちろん、これでは良いヤカンとは言えない。

 なお、「暮しの手帖」は、「暮らし」でもなければ「手帳」でもない。暮しの手帖編集部に長年勤務し、定年直前にガンで亡くなった筆者の知人の遺志を継いでお願いしたい。

●Windowsはバグが多い?

 「Windowsはバグが多い」というのもよく言われる。セキュリティ修正が毎月のように登場すればそう思うのも無理はない。筆者は、公開されたセキュリティ修正の数を数えてみたことがある。公平を期すため、中立団体であるCERT/CCの公開情報をあたってみると、LINUX系のOSの方が修正数は圧倒的に多いことが分かった。もちろん、修正の数が多くても、深刻度が低ければ問題は少ない。そのためLinuxがWindowsよりもセキュリティレベルが低いとは限らない。しかし、少なくとも「バグが多い」という表現が正確でないことは確かである。

●Windowsはすぐに落ちる?

 「Windowsはすぐ落ちる(停止する)」というのはよく言われる。ところが、DTPソフトウェアのベンダが、Macintosh版に加えてWindows 2000版を発表したときのことである。記者の「なぜWindows版を出したのか」という質問に「Windowsの方がMacintoshよりも安定しているから」と答えたのである。多くのWindowsユーザーはMacintoshを使っていなかったので、この発言はかなり波紋を呼んだ。「今まで、 Windowsはよく落ちると言われていたが、それより不安定なMacってのは何なんだ」と。

 論理的に考えてみれば、当時のMacintoshのメモリ管理はWindows 3.1よりも保護機能が貧弱だったので、不安定なのも当然なのだが、「先進的なMacintosh」というイメージがすり込まれていたため、思い込みが発生していたのだろう。

●札幌市の中心部は碁盤の目?

 もうひとつ、思い込みといえば、札幌に行ったとき筆者は大混乱に陥った。札幌は「道路が碁盤の目状になっており、分かりやすい」とよく言われる。京都も「碁盤の目」と言われるが、札幌の方が新しい都市だけあって正確度はかなり高い。しかし、京都と札幌では決定的に違う点がある。

 京都では、南北の通りと東西の通りを合わせた地名は、あくまで交差点の名前である。地名として使った場合は、交差点周辺の東西南北全域を示す。そのため、「河原町丸太町(カワラマチマルタマチ)」といえば、蕎麦ぼうろの河道屋も、熊野神社も、聖護院八つ橋熊野店も全部含まれるのである。

 ところが、札幌では、交差点の名前ではなく、道で囲まれた一定の領域を示す。そのため、ある交差点の北側と南側で地名が違う場合があるのだ。京都出身の筆者としては、これがまったく理解できない。碁盤の目ではなく、将棋の升目なのだと理解できたのは1時間後であった(ちょっと遅すぎる)。

●文化が変われば事情が変わる

 「思い込み」というのは、推論過程の一部を飛ばすために発生する。そのため、確かに高速な推論ができるのだが、それは文化的背景が共通の場合だけである。たとえば山本さんが佐藤さんと結婚したとしよう。山本さんが女性なら、結婚後は佐藤さん夫婦になることが多い。「女性は結婚すると夫の姓になる」という仮定(思い込み)により、いちいち確認する手間が省ける。確かに効率的である。

 しかし、最近では事実上の夫婦別姓も増えてきた。妻の姓にそろえる人より、別姓を選択する人の方が多いくらいではないだろうか。ちなみに2000年の調査では法律婚で夫の姓を選択した割合は97%だという(平成15年版国民生活白書第3章コラム「夫婦の姓と事実婚」)。余談だが、こうしたあまりに極端な数値に、国連は「何らかの社会的な暗黙の圧力があるのではないか」と問題視しているらしい(合理的な理由なしに男女を「区別」するのは条約違反である)。

 ところで、世界的に見ると、夫婦同姓を強制させられる国は極めて少数派である。日弁連の主張では、「先進国で皆無」ということだ。双方の姓を結合してミドルネームを作る場合もあるが、その場合はミドルネームをラストネーム(一般的な姓)として使用することを許すので、結果としては別姓と同じである。

 もっとも、それが一般的かどうかは国によって異なる。たとえばヒラリー・クリントン氏は夫が選挙に出るためにわざわざ同姓に変更したという。保守的な米国を象徴するようだ。ヨーロッパ、特に北欧あたりになるとかなり様子が変わる。そもそも法律婚をしていない人が多いし、オランダ、フランス、スウェーデンでは「公的に認められた同棲」というのもあってかなりややこしい。

●IT業界での思い込み

 このように、文化的な背景が変わると「思い込み」による問題が増える。そのため、特にIT業界ではあらゆる場面で思い込みが致命傷となる場合が多い。なぜなら、IT業界では、使う人(利用者)、作る人(開発者)、そして運営をする人(システム管理者)がそれぞれ違う常識を持っているためだ。

 最近では、「作る人」も細分化され、設計する人(アーキテクト)、プログラムを書く人(プログラマ)、試験をする人(テスタ)と分かれている。テスタは利用者とシステム管理者の代理を兼ねるはずなのだが、現実にはそうなっていないことが多い。そもそもテスタの地位があまり高くないので、仮に問題を見つけても、明らかなバグでない限り修正を要求できないことも多いようだ。

 ドキュメント、つまり使用説明書を書く人も注意してほしい。使っている用語が利用者の予想する意味と違うこともあるだろうし、意味が分からないこともある。例えば「デフォルト」は、意味が理解できない用語の典型例だ。

 「マウスを動かして項目を選んでください」はどうだろう。マウスを空中で動かす人もいるはずだ。筆者が初めてマウスを使ったときのことだ(たぶん1984年頃)。マウスカーソルを右に動かしたいのに、既にマウスは机の右端に到達していた。これ以上動かすと机から落ちてしまう。困っていると後ろから声がした。「マウスを持ち上げて左へ戻せ」。そう、空中でマウスを動かしてもマウスカーソルは動作しないのだ。マウスの原理はよく知っていただけに、かなり恥ずかしかったが、「ふつうの」人の感覚を忘れないように、という良い教訓になった。

 コンピュータに問題が発生したとき「何か環境を変えましたか」という質問がされることもある。この場合「システム構成パラメータの修正」を意味することが多いが、「陽の当たる場所に移動しました」という答えを笑うことはできない。そもそもIT業界の内輪だけで通用する言葉を使う方が悪い。

 ただし、陽の当たる環境に移動したため、放熱が不十分となり実際にCPUが誤動作することもある。意味を取り違えていたからといって回答を無視してはいけない。もっとも、これは「思い込み」とは別の問題であるが。

 IT業界で「思い込み」による典型的な問題は、以下のような言葉で示される。

  • 利用者はこんな使い方をする「はず」だ
  • 仕様書に書いてあるこの記述はこういう意味の「はず」だ
  • もし問題が発生するならこの部分である「はず」だ

 「はず」が登場したらどこかに問題が起きると思うべきである。つまり、こうだ。

「はず」が登場したら問題が起きる「はず」だ。

■□■

●Web公開のためのあとがき

 マウスといえば、映画「スター・トレック」では、20世紀にやってきたドクター・マッコイが「ハロー、コンピュータ」と語りかけたシーンが印象的である。最初はコンピュータに直接話しかけていたが、応答がなく困っていたところ、「これを使え」とマウスを渡された。「おお、そうか、20世紀ではこれを使うのか」と納得した顔でマウスをつかみ、マウスをマイクのように持って「ハロー、コンピュータ」とやったのである。スター・トレックの舞台では、コンピュータは音声認識をするのが当然で、マウスの使い方は知らないのだった。

 ところで、「コンピュータを落としてください」と言われて、本当に机からコンピュータを落とそうとする人はいるのだろうか。「落とすとはどういう意味ですか」と聞くか、実際に落とす前に「本当にいいんですか」くらいは尋ねるだろう。「プロセスを殺してください」と言われて「こ、こ、殺すって、誰を、ですか?」と聞く人はいるだろうか。コンピュータ用語には擬人化した表現が多い。殺す、死ぬ、生まれる、などである。初心者は戸惑うらしいが、実際に生き物が生き死にすると思う人は少ないと思う。

 日常用語とあまりにもかけ離れた意味の専門用語は意外にトラブルが少ない。カタカナ語や略語も、敬遠はされるが間違えることは多くないだろう。注意しないといけないのは「似ているが違う」ケースである。意味が似ていると相手は分かった気になってしまう。十分注意して欲しい。特に、英語は造語能力が低く、日常語と同じ単語を専門用語として使うことが多い。親しみやすいかもしれないが誤解も多いのではないかと想像している。日本人とはまた別の苦労があるのだろう。

Comment(0)

コメント

コメントを投稿する