町工場から大企業、そして派遣社員も経験した現役派遣社員の壮絶体験

ホワイトな大手企業へ転職!その13 個人能力が発揮できるブロック工法!

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そして昼勤の石上先輩から装置の状態や稼働状況などを引き継いでる引継ぎノートにその日の稼働状況や不具合などが起きた時は詳細を書くというようなやり方であった。昼間の生産数を一旦集計してから夜勤開始とともに生産数0からのスタートで装置を稼働させる。そして昼勤と夜勤の合計生産数がその日の総生産数となって、1日の稼働率や不良率などを算出して表に記入して夜勤は終了。

それを次の朝、女の子が回収して現場責任者のとこへ提出してハンコウを貰い、再び各装置に戻ってくるという流れであった。稼働率が低かったり、不良率が高い装置は責任者が来て状況などを確認したり引継ぎノートを読んだりして対応などをオペレーターに指示する。それでも装置の調子が悪い場合は責任者の次に権限があるMG(マシンエンジニア)と呼ばれる人が対応してくれて装置を修理したり、調整してくれるのだ。このMGと呼ばれる人は各現場に1人~2人居て何かあればこの人たちに助けを求めるというような職場であった。

ここの職場では多少のトラブルは自分たちで対応し、それでもダメならMGに対応してもらうというやり方であった。それでもダメな場合は工場技術課と呼ばれる部署が対応する。前の会社では何かトラブルがあるとすぐに設備係を電話で呼んで対応してもらっていたが、ここの職場はほとんどが自分でやるという方式であった。しかし私が担当していた装置はほとんどトラブルなどはなかった。例えトラブルが発生しても石上先輩が簡単に直してしまうからだ。石上先輩も中途入社でまだ一年程度しか経っていないということだったが既にここの職場の中心的な存在であった。

ちなみに石上先輩の前職は装置メーカーの営業マンだったということを聞いた。そしてここの職場の生産方式なのだが、ブロック工法であったと今になって思う。機械の製造時に一括して製造せず、いくつかのブロックに分けて同時に製造し、最後につなぎ合わせて完成させる工法だ。 このブロック工法、日本で第二次世界大戦中、戦艦大和を製造するときにも採用されている。そして始まりは日本とも言われている優れた生産方式なのだ。前の会社の流れ作業とは大きな違いだ。

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