レインメーカー (28) プレゼンと質問
◆アリマツ通信 2022.2.1
新規案件受注決定
年度末ですが、嬉しいニュースが飛び込んできました。すでに社内ではウワサになっていましたが、大手家具メーカーT 社の発送受付業務の受注が正式に決定しました。
業務開始は横浜CC で4 月からと急ですが、すでに各部署はセンター構築に向けて動き始めています。担当社員、SV については、今月中旬に発表予定の4 月1 日付人事異動をお楽しみに、と言うことでした。
営業の話では、競合もかなりあったそうですが、決め手となったのはNARICS(New ARImatsu CRM System)の利用により、システム関連のイニシャル、ランニングコストをかなり低く提示できたことではないか、とのことです。自社開発のシステムということで、仕様変更にも柔軟に対応できることも大きなアドバンテージとなったのでしょう。
これでNARICS 採用のCC は4 つめになります。<コールくん>の牙城を崩せるか。がんばれNARICS、負けるな<コールくん>(野次馬モード)。
文 総務課 土井
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「......以上がNARICS の主な機能となります」
田代が着席すると、会議テーブルの向かい側に座っている数名が頷いて、配付された資料に書き込みを行った。イズミは田代の隣の席で、その様子を観察していた。座っているのは、某大手家具メーカーの配送センター担当者たちだ。
「質問、いいですか?」一人が発言した。「NARICS の機能としては、受電だけということですが、今回の業務だとうちからお出しするリストに基づいて、発信を行うこともあります。そのあたりは新たに改修ということになりますか」
「仰る通りです」田代が答えた。「リストのインポートと、リストからの発信は新たに開発する機能です」
「スケジュール的に、4.1 の業務開始に間に合うものですか?」
「問題ありません。お客様情報に対して対応履歴が紐付く、というデータ構造に変わりはないので。その履歴が受電なのか、発信なのか、というだけのことです」
「発信機能ですが」別の担当者が言った。「OP さん4 名で行うということになったわけですね。重複発信を防ぐ手段というのは何かお考えですか?」
イズミはテーブルの上に並べた名刺に目を走らせた。今、質問を投げたのは、システム部データ処理課に所属するデータSE という肩書きを持つ担当者だ。データSE という職位が何を意味するのかは不明だが、今日の打ち合わせに参加しているということは、システム的な視点から質問をしてきている、と考えていいだろう。
そのあたりを理解しているのか、とイズミは田代の横顔を見た。そんな余計な心配をしたのは、発言したSE が、まだ若い女性だったからだ。
「データ行単位でロックをかけようと考えていますが」田代はすぐに答えて付け加えた。「そういう意味でしたか?」
「はい、そういう意味です。実は、以前にお願いしたコールセンターではExcel で発信先を管理していて、発信する都度、セルに1 を書き込んで保存する、みたいなことをやってらしたので。それで同じお客様に続けて2 回発信してしまった、という事故が発生しました」
「ああ、なるほど」田代は笑った。「Excel だとあるあるな話ですね。先ほど仕様で説明した通り、うちはRDB を使うので」
「具体的にどうやってロックをかけるんでしょうか」SE も微笑みながら、さらに訊いてきた。「つまりロジック的には」
田代は戸惑ったようにSE を見た。
「えーと、つまりSQL 的には、という意味でしょうか」
「差し支えなければ」
「......」
出席者のほとんどは田代の沈黙を、説明の言葉を探している、とでも解釈しただろうが、イズミには「細かいことを説明しても、この女に理解できるのか」という躊躇だとわかっていた。
「そうですね、まあ常套手段としては、select ~ for update で読んでみて、取得できたら処理中フラグをupdate みたいな感じになると思いますが......」
「OP さんが今、このお客様に発信してます、ってフラグが立つわけですね。ちなみに間違ってブラウザを落としてしまったりしたら、どういう状態になります?」
「当然、掴んだままになりますが」
「OP さんがもう一度ログインして、発信開始ボタンを押したとき、その掴んだお客様はどうなりますか」
「ああ、そういう意味ですか。そうですね、発信開始時に掴んでいるかどうかをチェックして、掴んでいるお客様があれば、それを表示するようにしようと思います」
これで文句はないだろう、と田代は自信ありげにSE を見たが、対する反応は温かみがあるものではなかった。
「失礼ですが、それ、今、考えたロジックですよね。いただいた見積の工数で、その機能も実装してもらえるんでしょうか」
「ええ、もちろんです。その程度は誤差の範囲内と考えています」
「OP さんが掴んだままブラウザを落として」SE はさらに続けた。「そのまま退社されてしまい、次の日はお休みだった場合、どうなりますか?」
田代は再び沈黙した。今度の沈黙は困惑だ。
「......それは運用でカバーできるかと」
「というと?」
「掴んだら、必ず発信を終えてから業務を終える、とかですね」
「その運用が守られる、という保証はないと思いますが」
「え、ああ、それはそうですが、でも......」
「業務終了後に」イズミは割り込んだ。「SV が全OP の状態をチェックして、ロックしたままのお客様があれば、解除するようにするのはどうでしょう」
「それです」SE はようやく満足そうな表情を浮かべた。「そういう対策ができるのかを、お伺いしたかったんです。もちろん見積工数内でということですが。どうでしょうか?」
SE はイズミに訊いたようだが、イズミは田代を見た。田代は少し目元を険しく歪めたが、すぐに答えた。
「大丈夫です。できます」
管理者用のチェック画面と、ロックの解除機能の追加だ。DX 推進室として算出した工数は、営業の要望もあり、ギリギリの線まで削ってある。足が出なければいいのだが、とイズミは不安に感じたが、ここで再見積という提案をしても、誰も喜ばないこともわかっていた。
「もう一つ、よろしいですか?」SE はプリントアウトをめくりながら言った。「OP さんは、発信するお客様をどのように選択するんでしょうか?」
「インポートするリストからですが......」
「いえいえ」SE は手を振って制した。「具体的な画面フローはどのようになりますか、ということです」
田代が抗議するような目を、同席していた横浜セールス課の三辻課長に向けた。今日の打ち合わせは、NARICS の機能のプレゼンが主目的だが、あくまでも形式的なもの、というのが三辻課長の事前説明だったからだ。画面フローのレベルまで突っ込んだ話になるとはアリマツ側の誰も予想していなかった。
「申しわけありません」田代は渋々、といった風情で頭を下げた。「そこまで細かいことをご説明できるような準備をしていなかったので。次回までの宿題、ということでどうでしょうか」
「すいませんが」SE はその提案を退けた。「私が参加できるのは今日だけなので。できればこの場でお話を伺えると助かります。これも以前にお願いした会社ですが、後になって、あれも足りない、これも足りない、って話になって、当初の倍ぐらいの追加見積を出してきたところがあったんですよ。うちのSE 抜きで、現場担当者同士でシステム仕様を決めてしまった結果です。それ以来、必ずSE が同行して、問題点をチェックすることになっています」
「はあ、そういうことなら」田代は少し考えた。「未発信のお客様一覧を画面に表示して、先頭からクリックしていく、というような形になると思います」
「そうすると」SE は即座に指摘した。「同じお客様をOP さんで取り合う形になるわけですか」
「さっき言ったように、ロックをかけるので取り合うようなことにはならないですよ」
「でも、2 番目以降にクリックしたOP さんは、エラーメッセージを見てから次のお客様を選択するんですね。すると3 番目以降のOP さんは、またエラーメッセージが出る。4 番目のOP さんは3 回エラーメッセージを見た後、やっと発信ができることになります。ちょっとムダじゃないですか?」
「早い者勝ちルールだとそれが普通だと思いますが」田代は不機嫌の一歩手前の声で答えた。「映画館のオンライン座席予約だって同じでしょう」
「ご存じだと思いますが、発信業務は、10:00 から16:00 までとなっています。1 日の発信件数は200 件を超えることもあります。全件発信完了できずに、翌日に持ち越す、というのはできるだけ避けたいと要望を出しているはずです。少しでも効率よく発信していただきたいんですよ。今回、予算の関係で、CTI 連携による自動発信はしないで、手動発信なのでなおさらです」
「そう言われましても......」
「あの、たとえばこういうのはどうでしょう」イズミは発言した。「リストをインポートすると同時に、当日、出勤予定のOP にあらかじめ割り振ってしまうんです。そうすれば取り合うようなことにはなりません」
「そうしてもらえると助かりますね」SE は大きく頷いた。「後で言おうと思っていたんですが、たとえば、発信したお客様が、今は都合悪いから1 時間後にかけ直して、みたいなとき、できれば同じOP さんに発信対応してもらいたいんですよ。お客様も安心するし、内容の引き継ぎが不完全、ということもなくなるので。あらかじめ割り振ってあれば、問題ないですね。それも見積工数内で実現可能ですか?」
「......はい」田代は短く応えた。「可能です」
これまで黙って座っていた椋本副部長が、心配そうに田代を見た。安請け合いしていいのか、と無言で問うているようだが、田代はそちらを見もしなかった。
「もっと言うなら」SE は上機嫌で言った。「体調不良でOP さんが早退するとか、そもそも出勤できないとかのことを考えて、割り振った内容を、再度、割り振り直しできるような機能も必要ですね。もちろん想定されてのことだと思いますが」
「ええ、大丈夫ですよ」
「よかった。では、発信機能の方はひとまず着地ということで、次に納品物のリストについてよろしいでしょうか」
「はい」
イズミは胸の内によぎった不安を押し殺して、SE の話に耳を傾けた。隣の席の田代が苛立ちをこらえているのがよくわかった。それが限界を超えないうちに、この打ち合わせが終わってくれることをイズミは願った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「ああいうのは止めてくれないかな」
打ち合わせが終わり、来客が帰っていくと、予想通り、田代はイズミに食ってかかってきた。
「ああいうのというと」
「仕様を勝手に提案しないでくれないかな」田代は言い直した。「まさか、できません、とは言えないだろう。それなのに、バンバン提案したりして。足が出たら困るだろう」
「すいません」
「まあ、向こうもアレだったけどな」田代はようやく苦笑した。「あんなに細かく突っ込んでくるとは思わなかった」
「三辻さんも形式的なもの、って言ってましたからね」
「SE って言っても、てっきりお飾り的な人かと思って油断しちゃったよ。おっと、これは別に男女差別的な発言じゃないからね」
「わかってます」
過去の出来事を告白して以来、田代は開き直ったように、システム職の女性をいじるような発言をするようになった。大っぴらに公言するのはさすがにまずいと思ってか、その相手はイズミに限られてはいたが。
来客をエントランスまで見送りに行った椋本副部長が戻ってきた。
「いろいろ追加があったようだが」椋本は心配そうに訊いた。「工数とスケジュール、問題ないのかな?」
「まあ、なんとか。あれこれやりくりすれば」
「そうか。申しわけないけど頼むよ。とにかくNARICS を評価してくれたことは間違いないんだからな。CC の方は3 月中旬には研修を兼ねてテストに入りたいと言ってるんだが、それは大丈夫か?」
「間に合わせます」
いつもなら「大船に乗ったつもりで任せてください」ぐらいは口にするのに、今日は淡々としている。それは椋本も感じ取ったらしく、特徴のビッグマウスはどうした、とでも言いたげに田代の顔を見たが、しつこく念を押すことはしなかった。
「ああ、そうだ」椋本はイズミを見た。「さっきのSE の人、朝比奈さんのことを褒めてたよ。こっちの言いたいことを察してくれて助かったとさ」
「そうでしたか」イズミは田代を気にしながら頭を下げた。「とっさに出ただけで」
「女性同士、波長があったのかな。ま、その調子でよろしく頼むよ」
もちろん椋本に悪気はない。だが、その言葉で田代の不機嫌度が急上昇したのをイズミは感じ取っていた。
(続)
この物語はフィクションです。実在する団体名、個人とは一切関係ありません。また、特定の技術や製品の優位性などを主張するものではありません。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
次週、私用のため、更新をお休みします。
コメント
匿名
不穏案件だなぁ。
田代氏の底が知れるっていうか、実運用聞かずに仕様作るなって思うけどねぇ。
大丈夫か。
じぇいく
「私が参加できるのは今日だけなので」なんてのは、考える時間を奪って合意させるキャッチセールスみたいなやり方なので応じなくて良いのに、、、。
匿名
女性不信のリーダーにベンダー不信の顧客...何も起こらないはずもなく...
匿名
4/1にリリースというだけで胃が痛い。
年度明け・年度末はもうやめようぜ
匿名
これプレゼンっていうことは受注前なんだよね?
それとも、田代氏が次回までの宿題、っていってることからすると受注後なのかな。
受注前だとすると次回があるとは限らないからね。
受注前ならともかく、受注後だとするとT社の追加料金なし追加要望はずいぶんアレだねぇ。
匿名
これプレゼンっていうことは受注前なんだよね?
それとも、田代氏が次回までの宿題、っていってることからすると受注後なのかな。
受注前だとすると次回があるとは限らないからね。
受注前ならともかく、受注後だとするとT社の追加料金なし追加要望はずいぶんアレだねぇ。
匿名
ちょっとT社のSEさん、なんだかなぁ
匿名
もしくは朝比奈さんの株が急上昇してしまう案件か・・・
匿名D
相手を信用しないからと言って、
それを見下していい、とはならないよね。
足が出たら困るって、黙っていては解決しない。
見積もり内に収まる、なんて安請け合いしているのは他ならぬ田代氏だ。
田代氏はマウントを取りにいってるつもりなのかもしれないが、
独り相撲にしか見えない。
そういやSeaserはひとつのセッションIDしか持てないってことで、
CCの運用方法そのものをシステムに合わさせればよい、
なんて放言していたけど、あれはどうなったのかな。
匿名
まさしくあるあるですね。ある日突然、登場人物が増え要件ももりもり増える。
上の匿名さんも書いてるけど受注後だったら、このプレゼン自体が仕組まれた罠だし、受注前なら「他の機能に影響があるかもしれませんので、お調べしてご回答します」ですね。
尚、当社はこのような登場人物を増やさないため、MTGに参加するメンバと責任範囲を事前に要件定期フェイズより共有することにしています。