ふつーのプログラマです。主に企業内Webシステムの要件定義から保守まで何でもやってる、ふつーのプログラマです。

レインメーカー (20) カールとcurl

»

 「遅くなってすまないね」田代は座りながら謝った。「報告会議の後、今後のNARICS についての要望を受けてたら、つい話し込んじゃってね。朝比奈さんにも来てもらえばよかったか」
 18 時を過ぎていた。DX 推進ユニットには二人の他、誰もいない。田代は午後中、ずっと会議や打ち合わせなどに忙殺されていた。何度か短い時間、自席に戻ってはいたが、席を温める間もなかった。イズミからの二人で話をしたい、というメールは見たが、内容については触れられていなかったので、つい後回しにしていたら、こんな時間になってしまったのだ。
 イズミは、いえ、とか何とか言いながら、居心地悪そうに椅子の上で身体を動かした。その様子を見ながら、田代は相手をリラックスさせようと笑いかけた。
 「遅くなったけど、名古屋CC ではおつかれでした。あっち行くのは初めてだったっけ。あまり時間なかったと思うけど、何か美味しいもの食べられた?」
 「え、ああ」イズミも笑みを浮かべた。「ひつまぶしと味噌カツを。あと帰りの新幹線に乗る前に、山本屋の味噌煮込みうどんを何とか食べることができました。お替わり自由のお漬物がすごく美味しくて......」
 しばらくイズミは、名古屋で食べたものを、心から楽しそうに次々に挙げ、仕様書が書けるほど詳しく説明していた。さすがに自己紹介で美味しいものを食べることが好きだと言うだけのことはある、と田代は感心した。
 「うん、俺もあっちの出身だけど、たまに無性に食べたくなるよ」適当なところで田代は、さりげなく会話の主導権を奪った。「最近はコメダも世界の山ちゃんも関東にできてるから嬉しいけどね。残念なのは、あんかけスパゲッティの店が少ないことかな」
 「あんかけスパゲッティですか。食べたことないです」
 「実家に帰ると、ヨコイのソースを大量に買ってくるんだ。こんど、一つお裾分けするから食べてみてよ」
 「ほんとですか」イズミは目を輝かせた。「ありがとうございます。楽しみにしています」
 「あとはカールだな。関東じゃ普通に売ってないからね。ネットでわざわざ買うのも違う気がするし」
 「あー、懐かしいですね。チーズ味、好きだったんです。でも名古屋でも売ってないですよね」
 「前の会社だと、定期的に大阪出張とかあったから、買ってこられたんだけどね。うちも大阪CC はあるけど、出張とかはなさそうだな」
 「行く機会あったら、田代さんの分も買ってきますよ」
 「うん、楽しみにしてる。で、話って何だっけ」
 「あ、そうでした。昨日のQQS 案件のことです。もちろん」
 「だろうね」田代は頷いた。「うん、言いたいことは何となくわかる」
 「そうですか」
 「でも、わかってほしいんだけどさ」田代は弁解する口調にならないように気を付けながら言った。「確かにNARICS のAPI を<コールくん>のOP に使ってもらうというアイデアは、朝比奈さんが出してくれたものだよ。事前に山下さんにページを作っておくよう指示してくれたのも朝比奈さんだ。それは本当にありがたいと思ってるし、その実績を横取りしようとか、そんなつもりはないんだ。何か俺ばっかりが活躍したみたいな評判になってしまっているけど、俺は根津さんと椋本さんに、朝比奈さんと山下さんのことをきちんと報告してるよ」
 「えーと、あの......」
 「ただ根津さんたちは、DX 推進室のサブマネージャの立場で報告を受けたわけだし、全社的にはDX 推進ユニットが対応した、ということになる。たまたま俺がリーダーだから、代表してあれこれ説明したり報告したりしたってだけなんだ。それを誤解しないようにしてくれると嬉しいんだがね」
 田代は言葉を切ってイズミの反応を窺ったが、そこに見出したのは困惑だけだった。
 「すいません。ちょっと違う話なんです」
 「というと?」
 イズミは少し躊躇った後、意を決したように問いかけた。
 「単刀直入に訊きますが、<コールくん>でタブレット申込が失敗したとき、ざまあみろと思ったりしました?」
 やっぱりそれか。田代は内心で頷いた。イズミから話があると言われたとき予想していたことだ。
 「そりゃあ思わなかったと言えばウソになるけどね。もっと言えば、失敗すればいい気味だ、とも考えたよ。朝比奈さんだって考えただろう?」
 「もちろん」
 「朝比奈さんが訊きたいのは」田代は先手を打って訊いた。「朝比奈さんが提案しなかったら、俺がそのまま放置しておいたんじゃないかってことじゃないの? NARICS の優位性を証明するために、全体の受電処理数を犠牲にするつもりだったのか、って訊きたいんじゃない?」
 「違うんですか」
 「そういう考えが頭をかすめたのは確かだけどね。きっと朝比奈さんが言わなくても、同じ考えに達したと思うよ」
 「業務の完了を優先したってことですか」
 「ちょっと違うんだな、それが」田代はニヤリと笑った。「<コールくん>の危機を、NARICS が鮮やかにリカバリーする。その方が、DX 推進ユニットの技術力の高さを印象づけするのに効果的だって思ったからだよ」
 「ああ」イズミが笑って頷いた。「そう言われてみれば。でもAPI はPOST で作ってあったんですよね。どうするつもりだったんですか」
 「そうだな」田代は考えた。「コマンドプロンプトでcurl 叩いてもらえばいいかな。今のWindows にはcurl が入ってるからね。URL だけSV さん経由で連絡するか......いや、こっちでバッチファイル作って、ユニットの共有フォルダに置けばいいか」
 「curl ですか、なるほど。勉強になります」
 「まあ、朝比奈さんのおかげで、そんな面倒なことせずにすんだわけだけどね。OP さんたちもブラウザで操作できた方が楽だろうし。先回りして山下さんに作成指示しておいたのはグッジョブだった」
 「good job は英語で最も危険な2 語だ、とテレンス・フレッチャーさんが言ってますよ」
 田代は苦笑した。イズミが折に触れて映画のセリフを引用する癖は、すでにユニット内のみならず、社内中で噂になりつつある。
 「それは何の映画?」
 「セッションという映画です」
 「どうしてグッジョブが危険な言葉?」
 「ちょっと長くなるんですけど」イズミは悪戯っぽい笑みを浮かべた。「聞きたいですか」
 「聞きたいのはやまやまだけど、機会があったら自分で確認するよ」田代は時計を見た。「話を戻すと、NARICS の優位性を証明したいのは確かだけど、業務が失敗してもいいほどじゃない、ってこと。いいかな」
 「はい。わかりました」
 田代は帰宅準備をしようと腰を上げかけたが、イズミの次の言葉を聞いて動きを止めた。
 「じゃ、本題なんですが......」
 「本題って、まだあるの?」
 「はい。お疲れでしょうから手短にお訊きしますが、田代さん、女性に対して何か偏見でもお持ちですか?」
 あまりにもストレートな問いだったので、逆に田代はすぐに答えることができなかった。
 「偏見って」田代は少し笑った。「何の話だか。いや、ないつもりだけどね」
 「それはウソですね」
 絶句した田代はイズミが正面から視線を合わせていることに気付き、同時に特殊能力のことを思い出した。背中を冷や汗がつたった。
 「以前、私がレインメーカーというあだ名のことを話したとき」イズミの視線はボルトで固定したみたいに逸らされないままだった。「田代さんも、前の職場でのことをお話ししてくれました。そのとき、退職理由について何かを省略したんだろうな、とは思ったんです。そのときは深く詮索するつもりはなかったんですが、もしかすると、女性の問題が絡んでいるんじゃないですか?」
 何の根拠もないですが、と付け加えたイズミは、田代の返事を待つように口を閉じ、視線をデスクの上に移動させた。
 勘違いだ、と笑い飛ばすことはできた。他人の問題に口を突っ込むな、と怒ることもできた。だが、どちらもイズミには通用しないだろう。全く厄介な能力だ。田代は苦々しく思った。プログラマではなく、裁判官にでもなった方がよほど有効に活かせるだろうに。
 「わかった」心を決めた田代は座り直した。「正直に話す」
 他言無用、などとアノテーションを付ける必要がないことはわかっている。イズミは他人の内実を拡散して悦に入るような人間ではない。
 「実を言うと、俺は女性のエンジニアというのを、基本的に信頼してないんだ」
 イズミが麦茶と間違えて薄口醤油をコップ一杯飲み干したような顔になったので、田代は誤解されないように補足した。
 「別に女が嫌いだとか、女イコール悪方程式を信奉してるとか、そういうことじゃないんだ。女性で優秀な人は何人も知ってるし、女性の社会進出だって積極的に応援したいと思ってる。でもエンジニア、特にプログラマという職種に女性は向いてないんじゃないか、というのが正直なところなんだ」
 「それはまたどういう理由で」
 「簡単に言えば、女性は結婚、出産、育児とかのイベントで、仕事から外れることが多いだろう。システム開発のプロジェクトには、何年もかかるものもある。理想を言えば、誰でも同じ仕事ができるように、ドキュメントを充実させるとか、担当者を複数アサインするとかは考えられるんだけど、大抵は、この担当はA さん、こっちの機能はB さん、って具合に属人化しちゃうもんだよね。その人が抜けちゃうと、それがそのまま穴になるんだ」
 「それは」イズミが指摘した。「男性だって同じなのでは」
 「俺が言いたいのは、男性は結婚しても仕事を辞めることはあまりないし、出産や育児で仕事を離れることもあまりないってこと。最近、育休を取る男性が増えてるのは知ってるよ。でも、いくら奨励されてても、実際に何ヶ月、何年も仕事休めるかというと、難しいのが現実じゃないか?」
 「収入減るわけですしね」イズミが頷いた。「必ずしも職場や上司の理解が得られるとも限らない。そういう現実があるのは私にもわかります。でも......」
 「でも?」
 「田代さんが女性プログラマを信頼していないのには、一般論とは別の理由があるんじゃないですか?」
 やっぱり、この程度ではごまかせないか。田代は小さくため息をついた。
 個人的な事情だから詳しくは話せない、とここで話を切り上げるべきだろうか。本音ではそうしたい。もし、イズミが単なる好奇心から質問しているのであれば、迷わずその方法を選択しただろう。だがイズミは、田代と同じく、DX 推進ユニットのポジションを確固たるものにしようと奮闘しているだけだ。田代はチームの技術力をアピールすることによってだが、イズミはチームそのもののインフラストラクチャーを強化することに注力している。QQS 案件で、田代たちが実装に専念できたのも、イズミが様々な雑事を一手に引き受けてくれたからだ。
 「朝比奈さんの言う通り、個人的な理由もあることはある」田代は躊躇いながら言った。「前の職場での話、というか、前の職場を辞めることになった直接的な原因が、女性プログラマにあったからなんだ」
 「もし話したくないことなら......」
 「いや」田代はかぶりを振った。「考えてみれば、いつまでもこの問題を避けていることはできないからな。少し長くなるけど、時間は大丈夫?」
 「私は大丈夫ですが」
 「わかった」田代は腕を組んで天井を見つめた。「何から話したもんかなあ......」
 「あの」イズミが控えめに言った。「差し支えなければ、私の目を見て話していただけると......」
 思わず田代は口元をほころばせ、視線をイズミに戻した。
 「そうだったな。これでいいかな。えーと、俺が前の会社を辞めたのは、ちょうど去年の今頃だったんだ」

(続)

 この物語はフィクションです。実在する団体名、個人とは一切関係ありません。また、特定の技術や製品の優位性などを主張するものではありません。

Comment(7)

コメント

匿名

あんかけスパゲッティもっと流行れ

SQL

このまま社内での立場は固まっていくのかな。一波乱あるか。

リーベルGさんは名古屋ネタがちょこちょこ入ってきますね。
あんかけはユウゼンとかあんかけ亭に昔よく通ってました。まだあるのかな。

匿名

>>「あとはカールだな。関東じゃ普通に売ってないからね。ネットでわざわざ買うのも違う機がするし」

「違う気がするし」 でしょうか?

匿名

並列処理とか非同期処理とか絶対に男性より女性の方が得意だと思うんだ(偏見)

匿名

ネット炎上が三度の飯より好物なのにねとらぼがだんまりを決め込むcoloboのようなフェミを見たら女に権力を与えるのが間違いだと思わされる

匿名D

なんだよ田代氏、追求にも目を見ろって要求にも、
えらく素直じゃん。ツマンネ。^H^H^H^H^H


それにしても、あんかけスパゲティって、
ナポリタンを目にして発狂しているイタリア人は、どんな反応してんの?
知ってる人がいたら教えてくれないかな。


さて、田代氏のナラティヴで承の終わりってところか。
第1回で暴れた人とか、どう絡んでくるのやら。

リーベルG

匿名さん、ご指摘ありがとうございます。
「気」でした。

コメントを投稿する