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しょうがない

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 アメリカの女性が日本の「しょうがない」にカルチャーショックを受けたという動画が話題になっている。


YouTube: Culture shock: Shouganai カルチャーショック:しょうがない

 最初は「しょうがない」を理解できなかったが、今ではむしろ積極的に認めるようになったという内容だ。

 もちろん、日本人の中にもこの「しょうがない」で済ますことにイラダチを覚えたり、あからさまに嫌悪感や敵対心をむき出しにする人もいる。後ろ向きな諦めを表すものだということだろう。

■いま、そこにある「しょうがない」

 開発の現場においても、「しょうがない」という状況は日常茶飯事だ。納期も迫ったところで突然やってくる要件の追加、仕様の変更。上司やクライアントの無理難題の数々。

 しかし、我々が「しょうがない」というとき、それは敗北と諦めをあらわす後ろ向きな態度なのだろうか。

 そうではない。それは、現実を受け入れるということなのだ。「しょうがない」といって現実を受け入れたあとに、我々は次の一歩を踏み出すことが可能となる。

 逆に「しょうがない」と思うことを潔しとせず、それにこだわってしがみついていると、いつまでも先に進めず、無駄に時間を費やしてしまうこともあるのだ。もちろん、諦めずに頑張るという姿勢は尊敬に値する。尊敬に値はするものの、それが柔軟な思考を妨げることがある点については留意しておいた方がいいだろう。

■「しょうがない」は始まりのコトバ

 「だけどやっぱり『しょうがない』ってコトバは嫌いだな。」と思う人もいるだろう。それはそれでいい。人それぞれ、自分の考えを持つことは大切なことだ。しかし、今回のこのコトバのように第三者の視点であらためて自分たちの文化を指摘されると、自分もこれまでと違った視点で考えるきっかけとなる。

 異文化同士の出会いというものは、常に新しい時代を切り開くパワーを生み出してきた。たとえそれが破壊的なものであったとしても。我々エンジニアがパワーアップするためにも、異文化との出会いは欠かせないものではないだろうか?

 異文化との出会いといっても、エンジニアだからといってシリコンバレーへの巡礼の旅をする必要はない。イマドキ、異文化なんてネット上にゴロゴロ転がっている。その気になれば、ほんの5分の休憩時間に異文化と出会うことだってできる。ネットだけではない。セミナーや展示会や勉強会などで出会う他の会社の人々は、自分が属する組織にとっては明らかに異文化そのものだ。

 そのような異文化との強烈な出会いは、自分が新しい一歩を踏み出すための原動力となるだろう。

 そのとき、あなたは口元に不敵な笑みを浮かべてこう言うだろう。「しょうがねぇな。やってみるか!」

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