我々は喜んで、波打ち際で砂の城を作り続けていくだろう
■Webの成人式に過去を振り返ってみる
1991年8月6日、ウェブ・バーナーズ=リーはスイスのCERN(欧州原子核研究機構)内で産声を上げた。父親は36歳の物理学者、ティム・バーナーズ=リー。
先日、ちょうど20歳の誕生日を迎えたばかりの新成人だ。
そんなわけで、今回はWebの成人を祝しつつ、20年前を振り返り、20年後に思いを馳せてみよう。自分や、自分の属するこの業界がたまらなく愛おしく感じて来ること間違いない。
■パソコン通信の時代
海の向こう、アメリカでは老舗のパソコン通信サービスであるCompuServeが、1979年にはすでにコンシューマー向けのサービスを開始していて、1985年にはAOLもスタートしている。
ウィリアム・ギブスンが『ニューロマンサー』を書いたのは1984年、まだテキスト情報がメインのパソコン通信の時代だったのだから作家の想像力というものは、本当にすさまじいものだと尊敬してしまう。
さて、80年代後半になると、PC-VAN(1986)、NIFTY-Serve(1987)、日経MIX(1987)と、大手パソコン通信が続々とサービスを開始し、日本でもいよいよパソコン通信の時代が到来する。
■LANのないオフィス
といっても、一般的な企業においてはまだPCはオフィスの隅に1台あるかどうかといった状況だったのではないだろうか。
IT機器といえばワープロ専用機がメインで、自分で作成したドキュメントは自分のフロッピーディスクに保管していた。他のヒトのドキュメントを修正しようとしたら、そのヒトにディスクを借りに行かなければならず、(私のように)整理整とんができていないヒトの場合、ディスクの貸し借りのたびに引き出しの中をひっくり返して、それはもう大騒ぎをしたものだ。
■オフィスにLANがやってきた
そんな中、1990年にNovellの日本法人が設立され、Netwareが爆発的に普及する。当時のNetware導入提案や、社内への告知の内容を思い出してみると、確か次のようなモノだったと記憶している。
・ファイルサーバによるドキュメント共有
・コミュニケーションツールによる情報共有(メールやBBS)
・アクセス制御によるセキュリティ確保
・バックアップによるデータの保全
これがほぼ20年前の状況だ。
■テクノロジーは波、システムは砂の城
しかし、これらの内容は、20年後の今でも普通に、提案時に口にする内容ではないか。テクノロジーは進化しても、提案内容はまったく同じ。これはなぜだろう。
その理由は、単純だ。私たちは技術革新のたびに新しいプラットフォーム上で、これまでと同じ環境をユーザーに提供しなければならない。寄せてはかえす波に、壊されては作り、壊されては作る。子供たちが波打ち際で砂の城を作るのと同じでキリがないというわけだ。
■子供のように、嬉々として
さぁ、目をつぶって想像してみよう。
20年後の未来を。
多分、私たちはその時点で最新のテクノロジーを駆使して、おなじみの問題を解決するために、砂の城を作り続けているだろう。おそらく、波打ち際の子供たちのように、嬉々として。
わたしはそんなエンジニアの度し難いところが、たまらなく好きだ。
あなただって、そうだろう?
コメント
仲澤@失業者
我が青春の砂の城を思い起こせば(いや自分で作ったわけではありませんが・・・)
・PC-9801、FM-7
私が最初に仕事でプログラムしたパソコン。
HDDが10MByteで40万円だったかな、金塊の値段かいっ(vv;)。
FDDは8インチ(笑)2DDで1MByte。メディアは今でも数枚持ってる。
FM-7はZ-80カード挿入でCPM。OS-9(2ぢゃないぞ)もいじった。
・ワープロ専用機
親父が文豪mini5を使って、地区の集まりの経理をしていた(笑)。
[拡張1]+[制御]キーを押しながら電源を入れるとCPM(DOSぢゃないぞ)が立ち上がる。
・8インチ、5インチFD
実は3インチや2.5インチという規格もあった。3.5インチも風前の灯だ(vv;)。
・MO
最初のMOは5インチだった。メディアはあるがドライブが無い。
・レーザーディスク
持ってるけど、どうしようもない(vv;)。
・βビデオカセット
ハード無し(泣)
onoT
そういえば、100MBのハードディスクをはじめて見た時には、こんな広大な空間、一生かかっても使い切れないよな~なんて同僚と話していたのを覚えています。
今じゃ100MBしか空き容量がなかったら、OSもまともに動かないのにね~w