「風姿花伝」とホロヴィッツとプログラマ35歳定年説
こんにちは、第3バイオリンです。
先日、世阿弥の「風姿花伝」という本を読みました。Eテレの「100分de名著」というテレビ番組で取り上げられているのを見て興味がわいたので読んでみたのですが、現代でも通用することがたくさん書いてありました。
今回は「風姿花伝」を読んで思ったことをコラムにしてみました。
■「風姿花伝」とは
「風姿花伝」とは、能楽の大家である世阿弥が能楽師としての心構えや、さまざまな役柄を演じるためのノウハウなどを後世に伝えるために書き留めた書物です。もともとは一座の後継者のみに伝えられる門外不出の秘伝書でした。
室町時代に書かれた本ですが、スキルを身につけるプロセス、プレゼンなどで「場」を自分の味方につける方法、そして人生を通してひとつの道を究める覚悟という観点から見ると、現代を生きるわたしたちにも学べることがたくさん書いてあります。特に芸能、それも古典芸能に携わる人が読むと「わかるわかる!」と思えるところがたくさんあります。もちろん、そうでない人にとっても楽しめる一冊だと思います。
■年齢別「稽古のコツ」
「風姿花伝」の最初に書かれているのは「年齢別の稽古のコツ」です。ざっと説明すると、大体以下の流れになります。
7歳:
能楽師としての稽古を始める時期。この時期は親がうるさく言わずに本人の気の向くまま、のびのびやらせるのがいい。
12〜13歳:
稚児姿がもっとも美しい時期。立っているだけで「幽玄」の風情があるが、それはあくまでも一時的な美しさにすぎない。慢心せずに、丁寧な稽古を心がける。
17〜18歳:
稚児姿の美しさが失われる時期。ここでめげずに、能楽を生涯の道と覚悟を決めて稽古にあたるべき。ここで稽古をやめたらそれまでとなってしまう。
24〜25歳:
自分の「芸」が固まる最初の時期。年配の能楽師に立合い勝負で勝つことがあっても、それは「期待の新人」としてちやほやされているだけにすぎない。それを本当の実力と勘違いしていい気になると成長が止まってしまうので、それを自覚しつついろいろな人に話を聞いたりしながら稽古をしっかりやること。
34〜35歳:
能楽師としてのピークを迎える時期。この時期に頂点を極めることができなければ、それ以上は伸びずに40歳くらいから徐々に下がり始める。この時期はこれまでの自分の経験や技術を顧みつつ、これからの方向性を考える。
44〜45歳:
この時期になると、あまり難しいことはせずに得意なことをしながら若い主役に花を持たせるようにする。この年齢になって「花」がある、と言えるなら、それはその人の本当の実力といえる。
50歳以上:
「何もしない」以外に方法がなくなる時期。とはいえ本当に実力のある人であれば、まるで古木に残る一輪の花のような風情を持つことができる。
■能楽師もプログラマも35歳が定年?
世阿弥は「能楽師は35歳あたりがピーク。その時期に頂点を極めることができなければ、残念ながらそれ以上伸びることはない」と書き残しています。能楽は舞や謡で身体を使う芸能なので、35歳を過ぎて体力が落ち始め、身体が思うように動かなくなるということは大きなハンデとなります。
この部分を読んでわたしが思い出したのが「プログラマ35歳定年説」です。
今のご時世、35歳を過ぎてもバリバリとコードを書いている人はたくさんいます。だから「プログラマ35歳定年説」はすでに過去のものだとわたしは考えています。しかし、35歳を過ぎるとどうしても気力、体力の衰えは避けられなくなります。そのためコードを書き続けることはできても、若い頃と同じような勢いで、同じ働き方を続けようとするのはだんだん厳しくなってきます。
もちろん、世阿弥が生きた室町時代と現代とでは平均寿命も違いますし、単純に年齢だけを比較することはできないと思います。しかし、能楽師とプログラマ、まったく異なる職業なのにいずれも35歳という年齢をひとつの区切りとしているところは興味深いです。
■ピークを過ぎたあとに
それでは35歳で頂点をむかえた後は一体どうすればいいのでしょうか。頂点をすぎたらもうおしまい、それ以上は何をやっても無駄なのでしょうか。
確かに世阿弥は「50歳を過ぎたら何もしないのが一番」という、身も蓋もないような言葉を残しています。しかし同時に「無理をせず、若い人と張り合おうとせずに身体の動く範囲で自由な演技をすればよい。若い頃から積み上げたものをベースにのびのびやればよい。それは枯れ木に残ったわずかな花のようなものだ」とも書き残しています。
ここでわたしは、ロシアの名ピアニスト、ウラディミール・ホロヴィッツのことを思い出しました。ホロヴィッツは20世紀でもっとも偉大なピアニストのひとりです。数々の名盤と呼ばれる録音を残し、亡くなった今もなお多くのファンをとりこにしています。しかし晩年のホロヴィッツはミスタッチも多く「ひび割れた骨董品」と批評されることもありました。それでも残された録音を聴くと感動しますし、他のピアニストとは違う、ホロヴィッツにしか出せない「何か」を感じることができます。
ミスタッチのある演奏なのになぜ感動するのか、ホロヴィッツ以外の人が同じように演奏すると単なる下手クソにしか聴こえないはずなのになぜホロヴィッツなら許されるのか、ずっと疑問でした。しかし「風姿花伝」を読んで納得しました。10年来の疑問がようやく解けました。あれはホロヴィッツの最後の一花だったのだ、と。
わたしもそう遠くないうちに頂点と呼ばれる年齢をむかえます。それまでに、年齢を重ねてもなお咲き続ける花を手に入れることはできるのでしょうか。何にせよ、「ひび割れもまた味わい」の境地に至ることはそう簡単なことではなさそうです。
コメント
ohym
当時の平均寿命などを考えると記載の年齢を変換してあげる必要がありそうですが、節目などを考えると、いろいろな道に当てはまりそうですね。
35歳定年説は、新しくプログラマにチャレンジするには難しくなる時期なんだと個人的には思います。
起床や就寝が前倒しになっていく中で若い世代と一緒に働くのは厳しくなるのかもしれませんが...
第3バイオリン
ohymさん
コメントありがとうございます。
>当時の平均寿命などを考えると記載の年齢を変換してあげる必要がありそうですが、節目などを考えると、いろいろな道に当てはまりそうですね。
世阿弥が生きた時代の平均寿命や、当時は12〜13歳で成人とみなされていたという状況を考えると、今の年齢感覚に合わせるなら1.5倍くらいでしょうか。
だとすると、「風姿花伝」でいう35歳は今の感覚でいうと50歳くらいですね。
今の50歳も、定年退職を迎える前に自分のやってきた仕事を振り返りつつ、若い世代への引き継ぎを始める時期ですね。
どの時代、どの職業でもそういった節目のような時期はあるものだと思います。
>35歳定年説は、新しくプログラマにチャレンジするには難しくなる時期なんだと個人的には思います。
そうですね。プログラマに限らず、未経験からでもOKという仕事は一気に減ってしまう時期ですね。
>起床や就寝が前倒しになっていく中で若い世代と一緒に働くのは厳しくなるのかもしれませんが...
おうっ…気力では負けないつもりでも、体力の低下はいかんともしがたいものです。
体力だけで押し切るような働き方しか知らないとどんどん取り残されてしまいます。働き方を見直すか、体力以外のスキルを身につけるという新しい戦略が必要になります。
たぶん、人生の節目というのは、戦略を更新するべき時期と重なっているのでしょうね。