テストエンジニア時代の悲喜こもごもが今のわたしを作った

【勝手に書評】「寺田寅彦 バイオリンを弾く物理学者」――あなたの「手首」は柔軟ですか?

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 こんにちは、第3バイオリンです。

 2014年最初のコラムは、少し前に読んだ本のお話をしたいと思います。

 本のタイトルは「寺田寅彦 バイオリンを弾く物理学者(末延芳晴著、平凡社)」。タイトルにひかれて買った本でしたが、大変面白い内容だったのでご紹介したいと思います。書評であれば「晴読雨読@エンジニアライフ」がありますが、かなりわたしの個人的趣味に走った内容になるのでコラムとして書きたいと思います。

■寺田寅彦とは

 寺田寅彦は、明治から昭和初期の時代に生きた地球物理学者です。本業の学者としての業績のほか、随筆や俳句、映画評論など数多くの著作を残しました。今でいうマルチタレントのはしりのような人物といえるでしょう。

■自分と世界をつなぐ「鍵」としてのバイオリン

 この本は寺田寅彦が愛したバイオリンに焦点を当てつつ、彼の生涯と著作を紹介するものでした。寅彦が初めてバイオリンを手にしたのは旧制高校在学中、明治時代の後半でした。当時の日本は、急速に近代化、西洋化が進む激動の時代でした。寅彦にとって、バイオリンはまさに西洋文明の象徴だったに違いありません。

 寅彦は学生時代に初めてバイオリンを手にして以来、生涯バイオリンを弾き続けました。寅彦にとって、バイオリンを弾くことは単なる趣味や娯楽にとどまるものではありませんでした。バイオリンを通して西洋文化を肌で感じ、バイオリンを弾きながらあるときは楽器の構造や音響の仕組みを研究し、またあるときは家族や恩師との絆を確かめたりもしました。

 わたし自身、オーケストラでバイオリンを弾くようになって、音楽や作曲家の背景や物語にとどまらず、楽器の仕組みや音響工学にも興味を持って大学もそのような勉強ができるところを選びました(とはいえ在学中に興味が変わったので卒業研究は別のテーマでしたが)。それに、音楽を通していろいろな人と知り合うことができました。だから寅彦にとってバイオリンがどれほど大切なものであったか、少しだけわかるような気がします。

■異なる分野の言葉に置き換えると

 寅彦の本業は物理学者でした。そのため、地震や音響工学の研究を行っていたわけですが、寅彦はそこに音楽で得た波動や共鳴の知識を取り入れました。また、彼の随筆や映画評論にも、音楽の知識や演奏の経験が反映されています。

 異なる分野同士の共通点を見いだし、それを分かりやすく、ときにウィットに富んだ文章で表現する。それを実現するには、それぞれの分野に対する深い理解と洞察力、そして愛情がなくては不可能です。この本以外にもいくつか寅彦の随筆を読みましたが、寅彦の文才には恐れ入るばかりです。

 わたしも「異なる分野の知恵やノウハウをITの世界に当てはめる」ということに興味を持って、音楽とエンジニアを絡めたコラムをいくつか書きましたが、まだまだ寅彦の足元にもおよびません。

■「手首」の問題

 寅彦はバイオリンを自分で弾くだけではなく、プロのバイオリニストの演奏会にも足を運んでいました。そこで、同じ曲を演奏しても、プロと素人ではずいぶん音が違うということに気がつきました。

 寅彦は、自分でバイオリンを弾いたり音楽の先生に師事したりしながら良い音を出す方法を研究しました。そして、上手に弾くためのコツは「弓を持つ手首の使い方」にあることに気がつきました。手首を柔軟に使えるようになれば、バイオリンも上手に演奏できるのです。

 さらに、寅彦はこの「手首の柔軟さ」が楽器の演奏だけでなく、スポーツや日常の動作(例:とろろ芋のすりおろし)に至るまで重要な役割を果たしているという結論に至りました。

 手首の柔軟さから転じて寅彦が説いたのが「心の柔軟さ」でした。心が自由で柔軟であることが人間の生活、芸術や科学、ひいては国の政治や教育をより良くするために大切なことであると訴えたのです。

 寅彦は「『手首』の問題」という随筆のなかで、この持論を展開しました。以下に、その一部を引用します。

「このように楽器の部分としての手首、あるいはむしろ手首の屈曲を支配する筋肉は、少しも強直しない、全く弛緩した状態になっていて、しかもいかなる微細の力の変化に対しても弾性的に反応するのでなければならないのである。

(中略)

どうも世の中の事がなんでもかんでもみんな手首の問題になって来るような気がするのであった。

(中略)

もし研究者の自我がその心眼の明を曇らせるようなことがあると、とんでもない失敗をする恐れがある。

(中略)

それには心に私がなく、言わば「心の手首」が自由に柔らかく弾性的であることが必要なのではないか。

(中略)

役所でも会社でも言わば一つのオーケストラのようなものであってみれば、そのメンバーが堅い手首でめいめい勝手にはげしい礫音を放散しては困るであろうと思われる。

(中略)

しかし手首の柔らかいということは無節操でもなければ卑屈な盲従でもない」

 明治から昭和初期、日本人の価値観もライフスタイルも劇的に変化していった時代を生きた寅彦の言葉は、やはり激動の現代社会を生きるわたしたちの心にも響きます。エンジニアに求められるスキル、エンジニアを取り巻く環境もまた、日々変化しています。自由で柔軟な心をもって、周りに流されることなくしなやかに生きていくこと、それがエンジニアライフをより良くしていくためのコツではないでしょうか。

 久々に、良い本に出会うことができました。

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