これはピンチな現場に助けに入る、しがないIT傭兵達の物語。

Act08 戦場の鉄則

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 「早瀬さん、スミマセンけど、俺そろそろ帰ります」

 うつらうつらと10分程度眠っては起きて。 要件定義資料や基本設計資料に目を通し、香取君が作っている課題管理票に書き足すためのメモを作る。 そしてまた、ちょっとだけ眠る。そんな非効率的な状態を数時間ほど繰り返しているうちに、すっかり眠りに落ちてしまったらしい。

 気が付いたら23時を回っていて、帰ろうとしている香取君に私は起こされたというわけだ。

 「早瀬さんの個人フォルダにデータを置いておきました。俺の拾い上げられた限りの全量です」

 「ん……ありがと……見とくよ。本当に助かった」

 香取君は黙々とさまざまなメールや各種メモから、QA表と課題管理票を作り上げてくれた。あとはその一つ一つを精査しつつ、自分のメモを転記するだけだ。

 まずはそれらをローカルに落として閲覧を始める。

 「いくつか気になることがあるわね……」

 香取君はその課題管理票に丁寧にコメントをつけてくれていた。そこには気になることが書かれていた。

  • 回答が矛盾している
  • ユーザーに確認を取るといったまま放置されている?
  • WBSに上がっていない。

 夕食用に準備しておいた栄養補助食品と野菜ジュースを口にしつつ、自分のメモとQA表を見比べていく。 やはり、私の疑問を解決してくれそうなものは見あたらない。 仕方がないので、QA表に私の質問を加えてローカルにいったん保存し、ファイルサーバに上げ直す。

 そんなふうに、必ずローカルにもデータを保持しておく。 ファイルサーバで厳格にアクセス権設定されているわけではない共有空間を使っての作業は、 消されたり内容が書き換わってしまったりしてもおかしくない。 だから、自衛の意味も含めてオリジナルは必ず自分の手元に置いておく。

 なんらかの事故があった場合でも、瞬時のリカバリが行えるようにする。 戦場の、鉄則。

 その時、ドアが開く。 そこからは、げっそりとした杉野PM他設計チームの何人かが入ってくる。 ……プロジェクトルームにミーティングスペースがあるのに、階下の会議室にこもっていたようだ。

「お。がんばってますねぇ、早瀬さん。資料、間に合いそうですかぁ?」

 「杉野さんも遅くまでお疲れさまです。はい、まぁ何とか……」

 杉野PMの下卑た笑いに、首を少し傾けて私はにこやかにあいさつをする。 もうとっくにできているよ、とは言わない。 ここでチェックを始められてしまうと多勢に無勢。 寝技に持ち込まれて相手のペースになってしまうことだってあり得る。

 こういった「荒れた現場」ではツーマンセル……2人1組で動くことを徹底的に叩き込まれている。 荒れた現場では人の心もささくれ立っていて、ともすると1人で動いて集中砲火を浴びることだってある。 チームで足並みそろえて活動することも、生き残って問題を解決していくカギなのだ。

 今この場の雲行きが怪しいと肌で感じ、やり過ごすように時計に目をやって。

 「あ、もう終電ですね……。私、お風呂にも入りたいのでいったん戻ります。始発で戻ってきますね」

 私は席を立ちあがり、荷物をまとめて席を立つ。 お先に失礼いたします、の私のあいさつには何にも返って来ず。

 「うーん……、難儀ですなぁ」

 エレベータの中で小さく私はつぶやいて、丸くなっていた背中を伸ばした。

 この戦場に再び戻ってからが……勝負だ。 残り、あと23日。

Comment(2)

コメント

BEL

鉄則、ですね。
場合によってはソースコードやDBのバックアップも毎日ローカルに落とします。
「消しちゃった」とか「こうなってたはずだ」とか平気でいいますし、
炎上してる現場って何もかも管理が 破綻してますからね。

な-R

BELさん
コメントありがとうございます。
そうですね。
現場で何度か嫌な思いや冷や汗をかく思いをして、
覚えていくことなのかもしれません。<鉄則

特に「政治色」の強い現場においては、
ローカルで取得していたのものと比べることによって、
会議資料なんかはその人の「思考」「方向性」が読めることもあると感じます。

本当はそういう意味でのバックアップなんて、「役に立たなかったね」っていうお話が一番いいのでしょうが。。。
人の心が一度乱れると、そうも言っていられなくなりますものね。。

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