Act09 どうしてこうなった
翌朝。7時過ぎ。私は再び、現場を訪れていた。
始発で戻るという言葉はウソになったけれど、それでも早い時間だ。 私が再訪したプロジェクトルームに人の気配はない。……大方、杉野PMたちはプロジェクトで抑えている近くのビジネスホテルに行っているのだろう。
9時の会議まではまだ時間があるから、それまでは設計書等に目を通そうと考えていた矢先、草薙さんが出勤してきた。
「お疲れさん。相変わらず早いな、早瀬は」
「……仕上がってますよ、WBS。ちょっと目を通すついでに、気になるところがあったら直してください」
「へーい」と軽口をたたきながら、草薙さんは自分のPCの電源を入れる。彼は立ち上がるまでの時間、目の前の私に栄養ドリンクを差し出す。
「はい、支給品」「……遠慮なくいただきます」
まだ、戦いは始まったばかりだから、400円前後の栄養ドリンクが支給品になっている。混迷が深くなってくると、600円台から800円台、1000円台と価格帯が次第に上がり、2000円台の栄養ドリンクに至ることさえあった。 案件の混迷度合いに比例して上がる、少々ありがた迷惑な支給制度だ。
草薙さんのPCが立ち上がったのを確認して、WBSを見てもらいながら、短時間で昨日のできごとをまとめて話す。
「その後藤さんのメール、先に見ておきたいな。今、データくれるか?」
草薙さんは何か予感があるようだった。
私は一度ローカルから共有フォルダに後藤さんのメールデータを上げる。データがデータだから、あまり共有フォルダにデータを置いたままにはしたくない。
草薙さんのローカルディスクにコピーが終わったことを確認した後、自席から共有フォルダのメールデータを消す。用心深いくらいがちょうどいいだろう。この状況では。
「本日の私の予定は……9時からWBSを杉野PMが確認する朝会。その後に課題管理・変更管理のルール説明ですね。それが終わりましたら、お客さまに解決していない課題についてお伺いしてきます」
最後に本日の予定を私が報告すると、草薙さんはうなずいて口を開く。
「お客さまへの確認については、杉野PMに9時の朝会で連携しなきゃな。……勝手に動くな! とか言われても面白くねーから。あ、ちょっとタバコ吸ってもいい?」
そう言って、私の返事を待たずに草薙さんは立ち上がる。このタイミングで煙草を吸いたいということは、深く考えたいことがあるようだ。
「他に気になることはなかったか?」
喫煙所に移動した後、そう尋ねられて、私は首を縦に振る。
今回のシステムは建設機械の予約システム。おおさっぱに言うと、限りある建設機械を複数の現場で有効に使いまわせるようにするためのものだ。お客さまが保有・管理している建設機械を、建設現場ごとに優先順位をつけながら調整・融通して最適化する。
もちろん建設現場の特性や要求に応じた機械の種類・大きさなどの制限があり、法定基準なども相まって、複雑な条件をクリアしなければならない。
これらを踏まえて粗くまとめられた要件定義の頭の方に、「その現場に配備できる建設機械以外は選べないようにする」という一文もある。しかし、ここまでドキュメントやメールなどのやりとりを追ってみて、まずこの点がほとんどケアされていないように思えてならなかった。
「あの、ボス。例えばの話ですが。道路の幅って限られてますよね」
「ああ、そりゃ道路だからさ。道幅はあるわなぁ」
私は、煙草を吸っている草薙さんの横で、持ってきたプロジェクトペーパーに下手な図を書く。細い道を書いて、道より大きなシャベルカーの絵を書き足した後、言葉を続けた。
「要件には【現場に配備できない機械は選択できないようにする】ってのがあります。道路の幅以上のシャベルカーとかの建設車両って、手配できちゃたらまずいですよね。でも、工事現場情報のテーブル定義書に……道路幅とか高さ制限とかの項目が見当たらないんですよね。」
あぁそれか、という顔でニヤリと笑って、「ヘリでぽーんと落とすか、ご近所さんの壁をぶっ壊しながら入れるか、いったん分解して現場で組み立てるって方法もあるか」と草薙さんがふざけて答える。指先の煙草から、はらりと灰皿の上に灰が落ちる。無反応な私に咳払いを軽くして草薙さんは続ける。
「一文で【こうできるようにすること】とか【できないようにすること】と書いてあるだけで、具体的に詳細化されなくて後になって発覚するケースって、よく遭遇するよな。俺、今回はそれが随所にあるように見えるんだ」
「そうですね……他にも細かい話だと、ユンボの旋回半径とかも考慮されてないみたいです。議事録の中で、お客さんの話としてユンボ同士がぶつかって倒れたりしないように、配備するときに考慮する必要があるという話があったんですよね。これも、考慮するべき要件ですよね?」
この私の問いかけに草薙さんは答えなかった。答えない代わりに、次第に今日も暑くなるであろう外を遠い目で見つつ彼はつぶやく。
「……ここまで明らかに、要件がきちんと詰められていないのは何故だろう。この現場の鬱々とした状態の原因はなんだろう。後藤さんがいきなり来なくなったわけは? また、今、どこにいるんだろう。こんなにギリギリになるまで、ユーザーが騒がなかったのはどうしてだろう。この状況を安西社長も知らなかった理由はなんだろう。疑問や謎だらけ。まさに、どうしてこうなった? だな」
「道路幅・高さ制限や旋回範囲の件、QA表に書いておきます。これをきっかけにして、他にも考慮不足がないかを洗うタスクにしたいですし」
私は草薙さんにそう伝え、身を翻してプロジェクトルームに戻った。……きっと、今日の朝会は……荒れるだろう。
コメント
ななし
毎度更新楽しみにしています。
な-R
ななしさん、ありがとうございます!
1Wに1回更新を目指しておりましたが、業務多忙のため、申し訳ありません(涙)
今後とも、ゆるゆると更新していきますので、よろしくお願い致します!
BEL
要件から仕様を起こせていないパターンですね。。
昨今の開発現場では
要件定義、仕様策定、設計、実装、の区切りがあいまいになっていて、
「これを決めるのは自分じゃないだろう」って考えの人がいるせいか
要件が実装まで放置されることが確かにありますね。。
実装時に非機能要件が見つかって「どうするんだ、これ」
ってなるパターンとかもありますね。。
Jitta
> データがデータだから、あまり共有フォルダにデータを置いたままにはしたくない。
一時的に自分のローカルを共有にする、かな。
うちのファイルサーバーは、削除したものを容量が不足になるまで別フォルダに移動しています。消してしまったファイルの復元ができるのですが、共有したくないファイルが共有されている状態のまま残る、ということでもあります。
いや、自社なら良いですが、前線ですよね、ここ?サーバーがどうなっているか、わかんないですから。
なーR
ご指摘、ありがとうございます。
一時的に共有もありですね。
確かに、共有に置いたら復元される可能性も考えられますね。
(管理がどうなっているか、早瀬には分からないわけですし)
なお、ここで早瀬は杉野に突っ込まれる情報は見える形で残したくないという思いで書かせて頂きました~
また、あれ?と思ったら、声をかけてください。
なーR
ありがとうございます!
>要件から仕様を起こせていないパターンですね。。
はい。。結構ありますよね。
私もヒヤリとすることがあります。
これ、仕様落ちてないじゃん、とテストシナリオ書いてて気づいたことも。
また、仰る通り非機能要件が欠如した案件だと、目も当てられませんよね(笑)
機器が揃った後で
「そもそも、この機器じゃ無理」
となっても、機器を買い直す訳にもいかないことが多いですから。。
非機能要件は毎回しつこくつめますね(笑)