Act15 悪さの分配
「おい早瀬、悪いが起きろ。時間だ」
ゆさゆさと、体を揺すられて起こされる。目の前に草薙さんの顔。一瞬状況が理解できないそのままの勢いで立ち上がると、小さく笑われる。
「無理させてすまんな。資料、目を通しておいたよ。問題ない」
お疲れさんとばかりに、1000円ちょっとの栄養ドリンクが机にそっと置かれる。あ、支給品の栄養ドリンクがレベルアップしてきましたねぇ、などと冗談を言うと。「今日は長丁場になるだろうから今のうちに飲んどけ」と言って、私に背中を向けてひらひらと手を振った。栄養ドリンクを少しゆっくり目に飲みつつ。暖機運転をするように頭を回転させ始めると、少しずつ冴えてくるのが分かる。
「さてと、ここからが勝負だ。もう杉野PMも来てる。準備できたら行くぞ?」
「了解です。ちょっと化粧だけでもさせて下さいー。」
洗顔セットとタオル、化粧ポーチを両手に持って化粧室に滑り込む。頭の中で説明の内容をまとめながら、顔を洗って、ベースメイクとチークだけといった最低限のメイクだけする。冷房にさらされて乾燥して、おそらく3時間くらいしかもたないだろうが…… すっぴんでいられる程ヤワなクマじゃない。コンシーラを頑固なクマに叩き込んで、チークで顔色だけ回復させたら自分の頬を叩く。
今日が、勝負。
化粧室から出て会議室に向かうと、会議室の前で草薙さんは待っていた。
「自信を持てよ。お前のプランを全面的に支援する。心配しなくて大丈夫だからな。」
その言葉をそっと私に置いて、会議室の扉を開く。中では、安西社長と杉野PMが向かい合うように座っていた。12時過ぎ。30人以上はゆうに入る広さの会議室。一歩入ると、凍てついていながら肌にまとわりつくような重い空気を感じる。
「お時間を取っていただいてすみません、ありがとうございます」
できる限りのにこやか笑顔を向けつつ、そそくさとプロジェクターに資料を映し出した。多段階リリースへの道筋を付けるため、必要な資料の叩き台を次々と説明していく。数時間ほど眠ったせいか、頭の暖機運転のおかげなのか、自分でも驚くくらいにすっきりとしている。
「私が考えたのは次の資料にある通りです。」
調子よく説明を続けながら、もう一方の危惧していたリアクションがないことに不自然さを感じ始める。杉野PMから何の圧力も感じない。何一つ言葉を発してこない。プロジェクターに半身を向けつつ、おかしいな、と思いつつも言葉を紡ぎ続ける。
今回のフェイズでは「建設機材予約」のみを対象とする。制約事項に関しては明確になっているもののみを実装し、それ以外のあいまいな部分については、後続のエンハンス対応へ送る候補とする。映し出しているパワーポイントの資料でそう述べた後、「変更案のWBS」を出した。そこでは、1回目の「リリース日」の文字が1.5カ月先に位置しており、今月中は並行タスクとして「要件見直し」を割り当てていた。
「仕様の変更管理がない今、何が正解かが分からなくなっています。ここでいったん要件をきちんと洗い直し、正解をお客様ともう一度詰めていく必要があります。正解を明確化して、正しく進行管理を行っていけるようにし、ここまで整えられれば、この後はスキルマッチした要員を追加投入するという事も可能でしょう。少なくとも、今の状態で要員を追加しても効果は期待できないと思います」
ここまで言い切ったところで、さっきまでの重い空気がゆらりと動いた。反射的に一瞬身を固くしたものの、覚悟していた反撃や圧力が向けられない。まるで、身構えて待っていた花火が着火する寸前に消えてしまったかのような、感覚。
理由がわからず目を杉野PMの方へ向けると、まったく何も発さないまま、無表情に立ち上がった。何かを考えている目の色ではなく、喜怒哀楽のどれにも属さない、顔。怒鳴ることも、流暢(りゅうちょう)に否定論を展開することもなく。辛辣な意見をすることも、意図的な無視を決め込むわけでもなく。また、すべてを認めて受け入れようということもない。
自分の中に持っていた「何か」を失ったような、抜け殻。
彼はその表情と裏腹に、てきぱきとした動きで自分の鞄からIDカードを取り出すと机の上に置き、無言のまますーっと会議室から出て行ってしまう。声をかけようと思って私が口を開こうとした瞬間、安西社長がそっと制する。
「もういいんですよ。このまま…… 説明を続けてください」
一通り最後まで説明をすると、安西社長がその案でいきましょうと言い、躊躇(ちゅうちょ)なくうなずいた後、ひとつため息をつくと苦しそうに薄く笑った。
「杉野はシステム部の一部の方だけと仕様を決めてきていて、その仕様自体がそもそも食い違っていたことが分かりました。実は元々、仕様を熟知している業務担当者がいたんですが、自身の作業で手一杯になってしまって、次第に関われなくなったそうです。本来であればその時点で問題提起をして、リスケを含めた対応策を検討すべきだったんでしょうが、どうも杉野は、後藤を責め続けた挙げ句、自分が懇意にしていたシステム部の方と仕様を握り始めたんですね。その方も悪気はなく、大まかに仕様を知ってはいましたが、詳細の部分について思い込み仕様も含まれていたわけです」
ユーザー内部の事情が含まれていると言えなくもないけれど、フェイズごとの仕様Fixをあいまいにした「事なかれ主義」の結果、使えないシステムができてしまうよくあるパターンだわね、と思いながら、私は席に座って安西社長の続く話に耳を傾けた。
「草薙さんから、こんなに要件が詰め切れないまま進んでいるのはあまりにも不自然過ぎる。誰かが何かを隠しているのではないか? という話もされてました。早瀬さんたちにリカバリープランを模索してもらう一方で、なぜこうなったか疑問に思っていたんですよ。で、そんな時です。そろそろユーザーテストが近いこともあって、手が空いてきた業務担当者が戻ってきて確認してみたところ、当初の仕様と全然違う、と怒っているとの情報が入りました。杉野は、もともとの仕様に後から思い込み仕様も混ぜてしまい、あろうことか、もともとの仕様を曲げてしまったんですね。体面を気にして進捗を悪くしたくないという甘い考えが、結果的には補正できない歪みを生んだんです」
杉野PMと設計チームがここ最近、業務側の方に呼び出されていたのはその辺りが理由だったらしく、言い訳を繰り返したことで業務担当が激昂して、その上の部長を通して昨夜、安西社長へ直接話があったということだった。
草薙さんの方を見れば、特にどうということもなくゆっくりと相槌を打っている。いつもどおりの顔で、目の奥ではすでに「どう畳むか」という算段に入っている。
「昨日の電話によれば、このままだとウチを訴えるということに発展しそうです。まぁ今朝話したシステム部の部長は多少こちらを擁護するようなことも言ってくれましたが、そもそもコッチが掛け違えたのが原因ですし、訴訟となればそうもいかんでしょう。そういった状況を、さっき杉野に話しました」
どうやら、私が眠っている間に安西社長と杉野PMとで話をしていたらしい。草薙さんの反応を見る限り、なんらかで安西社長とやり取りしていたようにも思える。
「2時間ほど杉野と話をしました。今となってはどうしようもないですが、もう、彼はこれ以上続けられないと判断しました。PMは私が引き継いで進めます。この後、この部屋でシステム部長と業務部長にも話をする段取りにしてありますので、早瀬さんから説明してもらったプランを説明して、なんとか巻き直しできるようにしようと思います。どちらに転ぶにせよ、今回ご迷惑をお掛けした費用はなんとしてでもお支払いするので、その点だけはご安心ください。」
最後の一言は「腹をくくった」社長の一言だろう。でも、そんなものが欲しくてここまできたんじゃない。絶体絶命の状況でどうにもならないのか。
そのとき、草薙さんがゆっくりと口を開いた。
「電話でもちょっと話させていただきましたが、システム部と業務部の部長さんと、話をする場に早瀬と一緒に出席させていただけませんかね? 杉野さんがいない以上、現場状況を説明する人間も必要ですよね。お役に立てると思います。もちろん、その場での発言でマズいことなどあれば、止めていただいて結構です」
憔悴(しょうすい)しきっていた安西社長はそれを快諾し、部長たちを呼んでくるために一度会議室を後にした。その間、私たちは喫煙所に向かった。
草薙さんはタバコを1本くわえた。唇を濡らすための2本の缶コーヒーが汗をかく。昼休みが過ぎ、誰もいない喫煙所。ヤニで僅かに汚れたガラスの向こう側に見える街並みを、草薙さんはじっと見ている。こういうときに声を掛けてはいけない。長い付き合いだから、なんとなく分かる。タバコの先の赤い光が吸い上げられて、紫煙に代わっていく。
「今は感情を切り離せ」
私に掛けた言葉なのだろうか。それとも自分に掛けた言葉なのだろうか。切なさとか悲しみとか、そういうものを含んだ瞳からそれらの色が抜け落ちていく。彼はチェーンスモークをしながら、いくつものシミュレーションを頭の中に走らせているのだろう。あきらかにいつも以上の速さで、タバコが灰になっていく。3本目のタバコを吸い始めて、半分以上残して灰皿に押しつける。缶コーヒーの残りをゴクゴクと飲み干して。
「それじゃ、さっきの感じでリカバリープランを説明してくれ。そのあとはこっちがやるから議事録を頼む。誰かだけを悪者にして終わりにはしない。関わるすべての人間に、少しずつ『悪さ』を分配してみんなで前に進める。さぁ行くか。ここが本当の正念場だ」
彼は口元だけ小さく笑って、システム部長たちが来たであろう会議室へ向かって歩き出した。
コメント
BEL
お、杉野PM陥落ですか。
この時点でダメージ大な感じですが、ここから起死回生となるのか。
逃げ出さない(逃げ出せない)傭兵さんは頼もしくもあり、悲壮感も漂います。
草薙さんは相変わらずのイケメン発言ですね。
トラブルとなった場合、責任の所在だけ明確にしてもしょうがないんですよね、
お客様が求めているのは、プロジェクトが正常に進行することですし。
な-R
ありがとうございます!
誰か一人を悪者にして、首切って終わりにするというPJも多いですが、
巡り巡ってそれは繰り返されてしまう。
いくつもそんなPJを見てきました。
トラブルになったときに大事なことって、「どう畳むか」だと思います。
そして、トラブルが終わったときに大事なことって、「どうしてそうなったか?」だと思うのです。
それは、コスト負担の話もあるかもしれないけれど、
二度と悲しいことを繰り返さないように。
杉野さんの元になった人と安西さんの元になった人は、
この後、もう何年も経ったのにまったく会っていないとのことです。
かつて同じ夢を見て、一緒に辛い時期を乗り越えたのに。
なんだか、とても悲しいとその話を聞いた時に思ったことを覚えています。
BEL
リアルだなあと思って読んでいますがやはりモデルとなった人がいるのですね。
仕事では"自社の利益"や"お客様の利益"などをつい中心に考えてしまいますが、
それら利益のためにも、人間関係というものが何にも代えがたい財産であるということを
いつも(特にトラブル時には)頭の根底においておかないといけないですね。
な-R
ありがとうございます、BELさん。
はい、出てきた全ての人物にモデルとなる方がいらっしゃいます。
#元々、今までの現場をお客様が分からない形にして
#焼き直ししている感じなのです。
利益ももちろん大切なのだと思うのですが、
お互いに笑い合えるお仕事でなければ、次のお仕事の機会はないと思います。
余裕がなくなると忘れがちですが、
誰かが泣いてしまうことは避けたいものです。
この業界、狭いですし(笑
この案件も、本当はこうなる前に参画したかったのですが...
よっしー
ひとことだけ。
いつも楽しみにしてます!
ごろねこ
再開されてうれしいです。
Act16も楽しみにしています。
lav
続き、早よー
な-R
すみません、また、リリースラッシュに巻き込まれておりました。
3案件掛け持ちで10リリース。。。
とりあえず、12月はリリースないはずなので、
このあと書き溜めておきますw
よっしー様
いつもありがとうございます。
この後、この後!がんばって書きます!!
#週末対応させていただきます。
少々お時間くださいませ。
ごろねこ様
ありがとうございます。
とりあえず、今、がんばって執筆中です。
遅筆で申し訳ありませんが、お時間くださいますようよろしくお願いいたします。
#ちなみに、私も猫好きです。
lav様
ありがとうございます!
何とか今週末には書いてしまいたいと思っております。
少々お時間くださいませ。
#早くと言っていただけて、光栄ですーーー
よろしくお願いいたします!
MUUR
最近はじめて知り、一気読みしてハマりました。面白い!
続きを楽しみにしてます。
一点だけ…
Act12~14で「安藤」さんが出ていましたが、「安西」さんの間違いかと…
お手すきの時にでも、ご確認ください。
な-R
MUUR様
ありがとうございます!
うぉっ、気づかれたか!(笑
実は、編集さんに「直してください(涙)」と伝えたのですが、
ご多忙な模様でまだ、直っていないようです。。。
#もともと私が間違えちゃったのが原因なのですがw
次の作品を書いた時にもう一度プッシュしてみます☆
指摘範囲の指定がエンジニアさんっぽいと思って、
ついつい笑ってしまいました。
ご指摘、ありがとうございます!
遅筆ですが、あと2回~3回で一区切り付きますので、
少々お待ちくださいませ!
宜しくお願い致します。
なーR
お世話になります、なーRです(涙)
1月~3月まで、平行で苦しい戦いの案件に入ることとなりました。
更新、ちょっとだけ。。ちょっとだけ、お時間ください。すみません(めそ
というわけで、生存報告でした!
よっしー
楽しみにしているので、再開お願いしますね。
ごろねこ
もう再開しないんですか?
なーR
よっしー様
やっと、地獄の案件から抜け出せました。
現行はできましたので、UPします!
8月頭までにはやりますので、お待ちください。
いつもありがとうございます。
ねこさん
ありがとうございます!
やっと案件が落ち着きました!
というわけで、書かせていただきます。
気にしていただいてありがとうございます!
よっしー
楽しみにしてますね!
ナンジャノ
梅雨明けと共になーRさんの復活予告出ましたね。何事もいつかは次に進むものですね。楽しみにUPされることをお待ちしておりますよ。
なーR
よっしーさま
お世話になります!今更新しました。
待っててくださってありがとうございます!
ナンジャノさま
ありがとうございます。
あわわ。。。忙しさにかまけていて、こんなことに。。
今度からはかきためておきます!!