Act13 崩壊
私が自席に戻ったときには、運よく杉野PMは離席していた。どうやら、設計チームと共にお客様に呼び出されたらしい。
私が何をしているか、杉野PMはきっと気にしているだろう。機能ごとに優先順位を明らかにしようということについては何とか言い訳が立ちそうだ。でも、WBSを引き直していることが知れてしまった場合、面倒なことになるのは目に見えている。昨日書き直したばかりなのに、すぐまた引き直しているというだけで格好の攻撃ネタだろう……。
私にとっては彼らがいないことはある意味「好都合」だ。長時間戻ってきそうにないことを幸いに、思考の海に潜り込むことができる。機能ごとの優先順位を付け、多段階リリースへの道筋を付けるために必要な資料の叩き台を作ること。これが今の私の課題だ。
機能一覧を印刷してから、机の上にプロジェクトペーパーを広げる。機能について、私が理解できていることは要件定義資料に書いてあることくらい。機能の詳細について握っている杉野PMと設計チームは会議に引っ張られて誰もいない。席にいるのは、指示を与えられて四苦八苦しながらコーディングしている若手のプログラマ達だけだ。まぁ、朝の給湯室の様子から考えれば、設計チームがここにいたところでまともに教えてくれないだろう。となれば、彼らがいないこと自体が別にマイナスでもなんでもない。
あてになるのは要件定義時のメールや後藤さんがいたころに作られていた過去の議事録。それらを引っ張り出して優先機能を見切っていく。
周りの音が消えていく。息をするたびに、世界が広がっていく。本当に集中できた時のクリアな感覚。無数の情報の中から大事なキーワードだけを拾い出して、プロジェクトペーパーに書き出していく。
一区切りついたのはその日の夕方。機能一覧の優先順位と重み付けの叩き台が出来上がった。
- 今回の必須機能である「建設機材予約」は優先度:高/重み:◎。
- 「建設機材予約」の制約事項に関しては明確になっているもののみを実装し、
それ以外の曖昧な部分については、後続エンハンス対応の候補とする。 - 「建設機材登録」等のマスタ系登録は、後フェーズ実装とするため優先度:低。
自分が客だったら確実に怒るだろうなぁと思いながら、まだ空席の杉野PMの席に目をむける。もうかれこれ6時間以上、引っ張られていることになる。相当もめているのだろう。きっと。携帯のメールをそっと見れば、草薙さんからのメールが1時間ほど前に届いていた。
「安藤社長に状況説明をして許可をもらった。もしお前さんのしていることで何か言われたら、直接安藤社長に話を通してOKだ。事を構えるつもりはないが、問題があったら言ってくれ」
この後ろ盾が得られたならば、心配せず後はまっすぐ仕事を進めていくだけだ。
昼飯も夕飯もとらず休憩もせず、集中してただひたすら計画案を練る私。ふと、視界の端にあたる机の上へ、小袋に入ったちょっと大き目のクッキーが1つ置かれた。ふいに顔を上げると若手プログラマの山口さんが立っている。元々私は物事に集中すると没頭してしまうタチで、間近にいる人の気配にすら気付かないことも多い。
山口さんと目が合った瞬間、ちょっとギョッとしたような、言いようのない妙な顔を見せてしまった。私にとっての、よくあるパターン。急いで深呼吸して、人様とお話しするモードに切り替えて笑う。
「あ、これ、私に?」
「お昼とか取ってませんよね?お腹、空きませんか?」
「うわーー! 嬉しい!! ありがとう! そういえば何も口にしてなかったです! ああ、そろそろ進捗確認の時間でしたね。いただいたクッキー食べてからヒアリングさせてください」
彼の目の前で小袋を開けて、クッキーを4分の1くらいに砕いて一口でそのかけらを食べる。人に食べ物をいただいたら、目の前でおいしそうに食べる。それが、人と仲良くなる秘訣だと思っている。私の喜び方を見て、山口さんもつられる様に笑った。この現場に来て、初めて見た彼の笑顔だった。砕いた分は小袋に残しつつ、もぐもぐと咀嚼して、ぬるくなってしまったコーヒーと一緒に飲み込む。
案外、これだけでもホッと一息つけて頭がリセットできたりする。思考の海から抜け出して、今度はヒアリングする頭に素早く切り替えて。彼らプログラマ達の席に行き、集中の邪魔にならないように配慮しながら現在の進捗状況を聞いていく。
先日取り決めたように、10%が着手で製造完了が50%、単体テストを完了して100%としたが、殆どのメンバーが10%で止まっている。山口さんの進捗も、前日と同じ進捗率だと言う。よくよく聞けば、実際には他の機能が変更された事による手戻りがあったそうだ。
「あれ? 変更の話って今日、メールで飛んでなかったような気がしましたが、私見落としましたかね?」
「いえ、メールはありません。朝、杉野PMから直接言われたんです。俺の担当部分も対象だからやっとけって」
山口さんとそんな話をしている最中に杉野PMが戻ってくる。疲れ果てたような顔を見せながら、明らかにイライラした空気を振りまいている。
こりゃ、絶対何かあるなと思った瞬間「朝に伝えた変更は無しになった。朝の状態に戻して、この仕様通りに修正してくれ。こっちが正解だ」と、クリップで止められた仕様書が山口さんの机に置かれた。置くというよりも、叩きつけられる様に。その仕様書はあちこち手書き修正され、大きくバツが書かれている所もある。正直、信頼がおけない仕様書だなと瞬時に感じた。
「山口、わかったな?」イライラをそのまま口から吐き出す様な、そんな言い方。
ちょっと待て。
「あ、ちょっと確認させてください。その変更、本当にこの部分のみでしょうか?」
考えるより先に反応してしまった。経験で得たカンが私の口を動かした。本当に煩いという表情で杉野PMが私を睨みつけた。
「早瀬さんには言ってない。山口、大丈夫なんだよな?」
喧嘩をするつもりもない、が、ここで一歩も引くつもりはない。少なくとも元に戻すことはソース管理をしているからリビジョンを元に戻すことで対応できるが、「でも進捗への影響がある以上、そのリカバリプランを考える必要があると思いますが……」そこまで穏やかに言った瞬間、語気を荒げた言葉がかぶせられる。
「黙ってあんたは線表ひいてりゃいいんだよ!」
あぁ、完全にキレちゃったなぁこのPM。頭のどこかで冷静な私がため息をついた。ここで話していても感情論に拍車をかけるだけで意味がない。そう思い、別室でやりあおうと言いかけた瞬間、山口さんの口が開いた。さっきクッキーをくれた時とはまったく別人のような、紅潮した顔で。
「朝変えろって言っておいて、修正したのにまた元に戻してもう一度変更しろってずっとそんなことばっかじゃないですか! 俺、何度修正すればいいんですか!? みんなも困ってるんですよ!? もういい加減にしてくださいよ!」
山口さんは震える泣き声混じりで怒鳴った。彼にとって、今の叫びはとても勇気がいったのだと思う。限界をこえた、あふれた思い。彼はおもむろに自分のPCをシャットダウンして自分の荷物を取り、そのまま無言で部屋を出ていってしまう。
部屋に訪れる微妙な沈黙。その沈黙を、私はできる限りの穏やかな声で解消する。
「明日、修正範囲について、他に影響しないかも含めてみんなでレビューしましょう。山口さんも帰宅されましたし、彼が考える修正範囲と杉野PMが考える修正内容、影響の有無なんかを確認しませんか?」
山口さんの予想外の反応に、驚きと憤りをかき混ぜた様な表情で無言で立ちつくす杉野PM。一瞬の間をおいて、その表情を消せないまま自分の机にあるカバンを乱暴にとり、そのまま外に出る。取り残される形となった他のメンバーは、居づらい空気を押し殺す様に自分の作業にもたもたと戻る。
キーボードとマウスの控えめな音だけが響く部屋で、自分のやるべきことをもう一度頭の中で整理し直す。私にできることは今日洗い直した機能の優先順位をベースに、要員を当てはめたWBSを再定義することだ。
静かに時間が過ぎ、気づけばもう24時。そろそろ終電がなくなる頃。最後のメンバーが帰っていく姿を見送ったすぐ後に私の携帯が鳴る。携帯に表示された発信者の名前を見て、少し戸惑いながら通話ボタンを押す。
「もしもし、早瀬です」
「早瀬さん? 色々と迷惑をかけて本当に申し訳ないです」
「いえ! お声が聞けただけで、それで十分です!」
その電話の主は、後藤さん本人だった。
コメント
好好
更新キタ!
毎回楽しみにしていますよ!
さすらいのインフラ屋
自分は、インフラ系の火消し役でしたが…、
こんな悲惨な状況は経験したことがありません。
次回の展開はどうなることか…。
ある意味、楽しみにしています。
な-R
好好様
ありがとうございます!
遅筆ですがのろのろ更新してまいりますので、
更新スピードが遅かったら突っ込んでくださいw
さすらいのインフラ屋様
お世話になります(笑
実話に基づいていますが、
お客様がわからない程度にぼかしたり混ぜたりしています。
(大事なところはほぼほぼ一緒ですが)
楽しみにしていただけるのはとてもありがたい限りです。
今後ともよろしくお願い致します。
ごろねこ
早く続きが読みたい
な-R
ごろねこ様
ありがとうございます!
つ、つたない文章ですが、大変嬉しく感じております。
現在、次の話を検閲者(くさなぎ?)に回しておりますので、
しばらくお待ちくださいませ。
よっしー
検閲者さん早くー!続きが読みたい!!
な-R
よっしー様
ありがとうございます。
とりあえず、来週までには上げたいと思っておりますーー
つたない文章を楽しみにしてくださいまして、ありがとうございます!
大変励みになります(感涙