これはピンチな現場に助けに入る、しがないIT傭兵達の物語。

Act18 ぎりぎりのライン

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 システム部長を真ん中に捉えている私の視野の隅で、安西さんは目立たない様にスマフォを取り出した。メールが届いたようだが、私の頭の中ではシステム部長にも指摘された「重大な欠落」の事が溢れている。システム部長は言葉を続ける。なにかに気後れしているような弱さは薄れ、責める訳でもなく、こちらから提示したプランに対する懸念を投げかけてくる。

「先ほど、杉野さんがプロジェクトから離れるという事を安西さんから聞きました。安西さんの能力に疑問があるとかという話ではなく...。これまでプロジェクトに直接関わっていた訳ではない安西さんが、抜ける杉野さんの代わりにここから現場で陣頭指揮を執るという事ですよね?私の予想では、役員会への説明支援や、進行・課題管理、組織間調整といったプロジェクト管理だけで手一杯になってしまうように思えるのですが...。」

「また、早瀬さんが残された時間の中で今から要件見直しと仕様精査をしつつ、開発チームをまとめていくというのにも難しさが感じられます。 もう少し時間さえあれば状況は違うとも思いますが...。やはり一番引っかかってしまうのは期間とコストですね。 客観的に考えて、そのプランは今のままだと実現がかなり難しいと感じるのですが、いかがでしょう?私達としても、リカバリプランに疑問が残ったままでは役員会で説明ができません。」

 システム部長の話ももっともだ。安西さんが実務側にべったり張り付く事はまず無理だろう。説明・報告といった外向き対応に終始せざるを得ない事は目に見えている。
また、私がいくら傭兵稼業を長くやってきたといっても、この状況下で残り少ない時間の中、全てを巻き取って進めるのはかなり骨が折れる。一旦、仕様全体に目を通しはしたが、段階リリースを承認してもらって今フェーズの範囲を手堅い部分のみに限定できたとしても、業務観点での問題点や仕様の矛盾点を見出せるほど習熟できていない。
そもそも、業務部長の言い分だって痛いほどわかる。担当者を新システム対応支援よりも業務優先と判断した事自体は非難できないと思う。ただ、全社プロジェクトである事がわかっていながら、あえて交代要員を立てず問題提起をせず、放置してきた様な点は協力的だったとは言い難い。
システム部長との感情的な部分がセクト意識を強めていたのか、「知らんぷり」をし続けてきた形となり、それが要因の1つとなってしまった。
そんな様々な経緯があったにせよ、今重要な事は前に進めるリカバリプランの設定だ。プランに対する懸念を払拭できる見込みが立たなければ、前に進める事はできなくなってしまう。



 私の正直な思いとしては、確実性を上げるためにもリリースまでの期間を可能な限り伸ばしたいのが本音でもある。延期する期間を倍以上にして欲しいとさえ思う。期間についての懸念は、単純な話だがこれで解消できる。
だが、ここでこれ以上期間を延ばさないことを私は選択した。そう、コストが増大するからだ。これ以上リリースを延期させて、ユーザ企業の業務への支障を拡大したくないという部分がもちろん大きい。これにもコストが掛かる。それと同時に、期間が延びる事で安西システム側の当面の懐事情が厳しくなってしまう事もある。安西システムとユーザ企業の契約形態は請け負いであるため、検収が遅れるとその間、安西システムから「現金」が出続けてしまう。私達の単価だって馬鹿にならない上、この後の交代要員や増員分も補わなければならないだろう。
ずっと現金という「血」を流し続ける。しかも毎月必要となる額は、後で全てが回収できる見込みも無い。以前聞いたソフト開発会社の話では、リリースがずるずる遅れた結果、プロジェクト終了直後に資金難でバーストしたという例もあった。安西システムがそうなるかはわからないが、諸々の事情を考えて私は今回、確実性の高い部分に限定したリリースとして1ヶ月半の延期で実現するプランとしたのだ。

 「いや、もうこれ以上期間を伸ばす事はできない。それ以上延期したらウチの繁忙期に重なるだろう。そもそも新システムで繁忙期を乗り切るという事で、現システムの保守契約を打ち切る話になってるんだ。保守契約を今から延ばせばいいのか?そうしたら新しい仕様を現システムに今から組み込まなければならないだろ!捨てるシステムに別予算組んで改修するのか?それこそ間に合うのか?」

再び怒鳴るように業務部長が吠える。先ほどより心なしか控えた声だが、システム部長をまた困り顔に戻すには充分だった。期間を延ばされちゃ困るという部分は、業務部長と私達の共通項となっている訳だ。

 皆が押し黙ってしばらく、スマフォの画面を見ていた安西さんが私の方に視線を送ってくる。
私の目を見てから、私のスマフォに視線を流している。ああ、「メールを見てくれ」ということなのか。私は静まり返った室内でそっと指を滑らせる。新着メールを開くと、そこには予想だにしなかった人からのメールが届いていた。
...送り主は、昨夜遅くに心配して電話をくれた後藤さんだった。メールの宛先には安西さんのメアドも指定されている。その内容に目を通している間に安西さんが口を開いた。

「まず、期間の話からさせてください。仕様調整の部分ですが、体調不良で離脱していた後藤を復帰させようと思います。後藤を週3くらいで状況を見ながら復帰させて頂ければ、見込みも立てられるのではないかと考えています。ただ、あくまで後藤は仕様ホルダーとしてですので、会議設定や進捗管理、各種調整については早瀬さんにお任せし、草薙さんには説明資料の作成や役員会の説明支援などを兼務してもらおうと思います。それでなんとか期限通りに行けると考えますが、いかがでしょうか?」

迷いがない、言葉だった。
本当ならば安西さんも、上司として後藤さんをもう一度ここで戦わせたくはないだろう。
もしこの後、PJが頓挫してしまったり会社に大きな影響が及ぶ責任問題になったりしたら、後藤さんは立ち直れなくなってしまうかもしれない。あの人はとても真っ直ぐな人だから。
この1ヶ月ほど体調以上に気持ちで参っていたが、もう一度PJに戻って働きたい。自分にできる事があれば、少しでも役に立てるのであれば。後藤さんの「逃げた」という自責を振り払う様な思いがメールに現れていた。
安西さんにとっても、ギリギリの判断をしたのだろう。後藤さんに重くしないような難しい舵取りも必要になる。草薙さんは小さく頷きながら目を細めて構えている。その言葉を聞いて、業務部長が目を見開いて声を上げる。

「後藤君が?体調は大丈夫なのか?まぁ後藤君ならウチの担当と立ち上げから一緒にやってきたし、話も早いだろう!そういう事ならこっちは願ったり叶ったりだがね。」

後藤さんは私から見ても穏やかな人柄だし、ユーザーの希望と現実の摺合せができる人だった。またドキュメンテーションもしっかりしている手練れで、私も何度も助けてもらった人だ。
どうやら、離脱するまでここでもきちんとユーザーの信頼を得ていたのだという事を、業務部長の表情が一変したのを見て理解する。

「残りはコストの話になりますね。積み残し仕様を次フェーズ送りとして、次に回した分の工数をどういう形で計上させていただくか。草薙さんが言うとおり、弊社側の落ち度を充分認識しています。コストについて、どういう内容でご納得いただけるかご相談させて下さい。」

安西さんはそう話すシステム部長の方を向いて、細かな金額については後の話になりますがと前置きをして話し始める。草薙さんと安西さんとで既に案を準備していたらしく、2ページ程度の資料をプロジェクタに映し出した。

「コストについては、1.5か月先までの金額については、請負契約ですので弊社持ちとさせていただきたいと思っています。追加する人員についても、弊社が集め、管理し、弊社持ちといたします。ただし、次フェーズに積み残しとなる部分については、今回のリリースが終わった後で再見積りとさせていただきたく思っています。」

1枚目はコストについての図を入れた説明。
元々のコスト概算と、実際にこの案でかかりそうなコスト概算が書いてある。
また、そこには安西システムが負担する旨もしっかり書いてある。
そして、2枚目は元々の要件と現在の要件の比較表だ。元々の要件定義書に比べて、現在の要件はだいぶ膨らんでいる。これは現時点で把握されている範囲であり、その要件にも相違がある事も備考欄に書かれている。どうやら、私が眠っている間に彼らはこれを作っていたようだ。

 確かにこのレベルでのPJ立て直しについては、コストの話とセットになる。このあたりの事まで予見した上で、草薙さんは昨夜ずっと動いていたのだろうか。

「2枚目の図のように、現在の要件は元々の要件と異なっている部分が見受けられます。あるべき要件をきちんと業務部側とシステム部側と詰めさせていただき、再見積りをした上でエンハンス...改修案件として扱うというのはいかがでしょうか?」

もしかしたら、ここ数日。安西さんと草薙さんがあまり現場に姿を見せなかったのは...。
予算面も含めた準備をしていたのではないかと思えた。
後藤さんの体調や状況確認をした上で情報連携を図り、最終的にはリカバリプランの欠けたピースを埋める働きかけを直前まで進めていたとすれば。全てが納得できる。

システム部長と業務部長のそれぞれが押し黙って考えを巡らせる。2枚目の資料には、元々の仕様と新しい仕様の対比が簡便に図化されていた。なるほど、1番わかりやすい図にすることによって、高い位置にいる役員レベルの人にも「これは大分違っている」と判断できるレベルにしたのだ。以前見たことのあるフォーマットで中身の数字と内容を書き換えられたものだったので、なんとなくわかる。

....これを作ったのは草薙さんだ。

「まず一旦、今の話を持って帰ります。明日には解答させていただくとして、3日後の役員会で話をする事になりますね。基本方針は私はこれでいいと思いますが...」

システム部長が業務部長の方を見る。システム部長が水を向ければ、今まで押し黙っていた業務部長が口を開く。

「一旦担当者に事実確認をしてからになるがー。問題がなければ、これしかないのならば、後はシステム部に任せる。」

しばらく相互でやり取りをした後、2人の部長は会議室を去った。



 ありがとうございますと、安西さんは深々と頭を下げた。ため息と共に椅子に腰を落とす安西さん。張りつめた糸が切れたのか、椅子にぐったりと座る安西さんに。一度会議室の外に出て、ミネラルウォーターを買ってきた草薙さんはそれを差し出しながら声をかける。

「お疲れ様でした。それではそれぞれの役割分担をしましょう。リカバリプランを進めるための準備はまだ半分。役員会でOKもらうと共に、体制の見直し、人員確保、WBSの引き直し...やることはたくさんあります。最後まで、全力を尽くしましょう。」

草薙さんの言葉に安西さんと私は大きく頷き、ホワイトボードにタスクを列挙し始めた。
やっと立て直しの扉が開いた。

Comment(3)

コメント

ナンジャノ

なーRさん、upありがとうございました。
何とか会社間の最初の調整の目処が立ちましたね。
エンジニアや担当者として、火中に投げ込まれることはあっても、政治的な交渉の場に立ち会える機会はそうないので、作り話だとしても新鮮ですね。
各部長さんは、それぞれの部署に持ち帰って、事実をねじ曲げない範囲で「自社の負債は最小に、他社の負債は大袈裟に」(笑)、報告して印象よく受け入れてもらえるよう、調整するわけですね。
個人的には、1,2ヶ月後に杉野さんを格下げした上で、PJに復帰させてあげたいのだが…
いつまでも傭兵がいられるわけではないのでね。

hoge

本当の地獄はここからだ・・・ って感じで吐きそう・・・・

なーR

ナンジャノ様
おせわになります、なーRです。
こちらこそ、ありがとうございます。
たぶん、通常の火事場については、もう皆さんご存知だと思うので、
今回のお話しについてはあんまりそのあたりは濃く書かないつもりでいます。
 #前半の焼き直しになっちゃいますし。。

基本はおっしゃる通り、政治的な交渉の場を多く描こうと思っています。

>個人的には、1,2ヶ月後に杉野さんを格下げした上で、PJに復帰させてあげたいのだが…
杉野さんと安西さんのその後については、ちょっと切ない形になりそうです。
ゆっくりとなりますが、お楽しみに。。


 hoge様
ありがとうございます、なーRです。
確かに、製造者の方々の地獄はここからだとおもいます。。
たぶんhoge様は地獄を知っていらっしゃる歴戦の勇者様なのですね。
会議室や応接室がまるで、野戦病院と化している様を見ている(経験している?)方なのでしょう。。

この後はそんなに爆発はしないと思いますので、
安心してエピローグまでをお楽しみいただければと思っています。

以上よろしくお願いいたします!

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