これはピンチな現場に助けに入る、しがないIT傭兵達の物語。

Act07 1枚のカード

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  朝10時少し前になって、携帯が鳴る。作業に没頭していた私は誰かを確認することなく、ハンズフリーのボタンを押して、その電話を取った。

 「あ、早瀬さん、お疲れさまです、香取です」

 「応援はあなただったのですね、香取君」

 聞き覚えがある声に思わず笑みがこぼれる。安西システムの後藤さんと同じプロジェクトで一緒だった、若手の香取君の声だった。

 非常口まで迎えに行き、私が休日出勤のお礼を言うと彼は首を横に振った。

 「後藤さんには以前すごくお世話になりましたし、早瀬さんにも助けてもらいましたから、このくらいは……」

 そう。彼と最後に一緒に働いたのは、倒れてしまった後藤さんと一緒の案件だった。新人だった彼の書いたコードは当然、絡まったスパゲティのようなコードになっていて。そのスパゲティを後藤さんと私で解きほぐし、印刷したソースリストに訂正部分を朱書きして渡したこともあった。

 自分の書いたソースコードが大幅に書き変えられているのを翌日に確認して、こっそり泣いていたこともあったそうだ。でも、彼は途中で折れることなくすくすくと成長し、プロジェクトの終盤には一人前のエンジニアに育っていた。

 「今日はここで夜まで作業していきます。 明日以降は、別件のプロジェクトに入っているので丸1日いられないですが、もうだいぶ落ち着いているので終わってからこっちに来て作業してから帰ります!」

 「ちょっと2週間ほどツライだろうけれど……助けてくださいね」

 私は頭を深々と下げると彼は慌てたように、また首を横に振って笑った。この初々しい実直な感じも彼の長所だ。彼のそんなところを裏切らない様にしようと思わせてくれる。

 「そういえば、作業には後藤さんのPCを使ってくださいって安西社長からメールが送られてきましたね」

 手続きを済ませた彼はスマホの画面を指さす。そこには安西社長から草薙さんへ宛てられたメールが転送されていた。

 「あら、私の携帯にも転送されているみたいね」

 ポケットから携帯をもう一度出すと、メール受信のライトがついている。 安西さんいわく。

 急な増員ということもあってお客さまの手続きの都合上、香取君は後藤さんが使っていたPCと共に後藤さんのIDとパスワードも使い回してくれとの話だった。お客さまには許可を取ってあるので問題ないとのことだが、他人が使っていたPCをそのまま使うというのは気分の良いものではない。

 とはいえ、これまでの経緯を知る上で重要な情報を得られるヒントにもなりそうだ。複雑な気持ちを抑えつつ思い直して、教わったIDで後藤さんの使っていたPCにログインする。

 メーラーを立ち上げると無数のメールが取り込まれる。未読メールの日付から、後藤さんが出てこられなくなったのは1カ月前だということが分かる。私はそれらのメールデータをエクスポートして一旦共有フォルダに置いた後、香取君に席を譲った。

 「それじゃ、2つほど、お願いしますか!」

 私は自席からノートを持ち出し、そこに書かれたTODO表から2つの内容を彼に伝える。1つ目は、メールでやりとりされているQA内容をQA表に起票してまとめること。2つ目は、メール・各個人のメモ・議事録等に分散されてしまっている課題を課題管理票にまとめること、だ。

 「メールでやりとりされているQAと課題の内容を、QA票と課題管理票にまとめてください。また、共有フォルダに課題メモが散在しているみたいなので、そこに書いてある内容は課題票に記載してください。備考欄に誰がいつ出したメールか、どのメモから記載したか、分かる範囲で書き出しておいてください」

 おそらく、同じことを何度も彼らはメールで聞いていたり、自分でメモしたりしているはずだ。課題等が整理されてないということだから、疑問は疑問のまま、問題は問題のままになってしまっているものも多数あるだろう。

 聞きづらく風通しの悪い状況になっているから、なおさら……だ。

 「QA票と課題管理票ですね。……問題がある現場はやっぱりこれが整理されてないんですねぇ」

 「そうそう。これらを正しく運用しないと、ノウハウがシェアリングされなかったり、課題が共有できないからね。チームワークが育たないし、チーム全体の力も底上げされないから……プロジェクトが暗礁に乗り上げやすいかな。QA票や課題管理票なんて地味に思われがちなんだよね。」

 先ほど共有フォルダにおいた後藤さんのメールデータを自分のPCに移動させながら話す。話が途切れた少しの時間、頭の中でぐるぐると考え始める。なぜ、こんなことになったのか?

 何がこのプロジェクトをここまで追い詰めたのか? 仕様の何がいけなかったのか? その情報の「ピース」がこのメールデータに含まれているだろう。他人のメールを見るなんてあまり行儀のいいやり方ではないが、私は知っておきたかった。

 「まとめている間、少し休んでください。……俺、きちんとやれますから」

 ぼーっと考え込んでいる私に気付いて、香取君がそっと言葉を掛けてくれる。

 「……では、頼もしい後輩を当てにさせてもらいますね?」


 その言葉に甘えて傍らに携帯を置き、机の上にもたれるように少しうつぶせになる。まぶたをゆっくりと閉じた瞬間、不意に睡魔に襲われて。

 意識が急激に落ちていくのをおぼろげに感じながら、眠りについた。そのメールデータが新たな事実を知るカードになるとは、その時の私は知る由もなかった。

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