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2月2日 月曜日、心臓を切った(終) 手術・リハビリ・復帰

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Murave

 こんにちは、こんばんは、おはようございます。村部@ランカードコムです。

 前回、入院してからのことは検査についてばかり書きましたが(すっごく印象に残ってるんですよね、経食道エコー)、肺合併症予防のための呼吸練習などなど他にも準備をしておりました。その中ですごく大事だな、と思ったことがあります。うがいです。

 入院してからは感染予防のために毎食後、うがい薬でうがいをします。感染予防にはうがいが一番。うがい、重要

 ってなところで、続きです。

(編注:コラムの最後に手術痕の写真が掲載されています。苦手な方は閲覧にご注意ください)

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■手術前のお清め

 2月2日 月曜日、僧帽弁閉鎖不全症という病気で心臓の手術を受けます。手術の前日は日曜日ですが、心臓外科に休みなし。日曜にもかかわらずお清めの儀式が行われました。

 へその掃除と、毛の処理(いわゆる剃毛)。

 剃毛は胸周りだけかと思っていたのですが、足の根元からも管を入れるそうで、股間もでした。恥ずかしー。気にしてもしょうがないんだけどー。

 入院中、日曜日には普通、お風呂に入れません。が、手術前なので特別に介護用のお風呂に湯をはっていただき、ゆっくりと入らせていただきました。手術の前にお風呂を楽しめたのはうれしかったです。当分、入浴できませんからね。

■手術前のお清め その2

 手術までに体内もキレイキレイにしなければなりません。前日、21時以降は絶飲食、そして下剤も服用します。

 問題は手術前にブツがキッチリと出るか、です。流す前に看護師さんに確認してもらい、不足と判断されれば浣腸が待っています。イヤだ!

■手術の朝

 幸い、浣腸は免れました。ありがとう快便。手術前最大(?)の懸案事項、クリア。

 洗面してベッド周りを片付けます。手術後はICU(集中治療室)へ入るので、最低限の物、歯磨き用具、ティッシュ、めがねケース、スリッパ、オムツ、バストバンド(「ブラじゃないよ! 大胸筋矯正サポーターだよ!」……ウソ。手術後の痛みを抑えるために胸周りを固定するものです)だけを残し、私物は家族に持って帰ってもらわなければなりません。

 9時前に家族がやってきました。普通に話を交わして、整理した荷物を渡しました。

 9時半ごろ、麻酔導入剤の筋肉注射を受けました。その後はふらつく可能性があるのでベッド上で安静となります。10時ごろ、ストレッチャー(担架)へ移り、手術室へ。

■手術

 記憶、ありません。麻酔ですぐに意識を失いました。順調に進み、3時間ほどで手術は終了したそうです。

 心臓止めて、切って、弁に輪っか(人工弁輪)を付けてってなことが行われたんですよね。怖いね。

■麻酔から覚めて

 ICUで目覚めて、ドクターから僧帽弁形成術が成功したと聞いてホッとしたのを覚えています(人工弁への置換は免れました)。それから翌日の朝までの記憶は曖昧です。苦しく、時間の感覚もなく。

 体に繋がっていた管のうちのいくつか(呼吸補助のために気管に入っていた人工呼吸器のチューブなど)を段階的に抜いたはずなのですが、その記憶も残っていません。いつの間にか酸素マスクになっていて、それから経鼻カニューレでの酸素吸入になりました。

■苦痛

 わたしの場合、イレギュラーなことに、手術とはまったく関係がない部位である右腕が激しく痛みました。これが最大の苦痛でした。切り開いた胸ではなく、なぜか右腕。切ったあたりももちろん痛いのですが、それよりも、右腕。痛くて動かせなかったんです、右腕が。

 この痛み、麻酔の影響かと心配されましたが、幸い、手に力が入らないといった症状ではありませんでした。筋肉痛のような痛みで、おそらく手術中の体勢が原因ではないか? ということで落ち着きました。

 もう1つの苦痛、それはのどの渇き。のど、カラッカラ。手術前にたまたま見かけていたからなのか(病院の自動販売機で「おっ、コレは100円なのかぁ」って感じでね)、あるメーカーのゼロカロリーコーラが脳裏に浮かぶ、浮かぶ。浮かびまくり! しかし、もちろんコーラなんぞもってのほか。それどころかまだ少しの水分も摂れないのでした。

 人工呼吸器の管が外れて3時間後、氷を摂ることができるようになります(気管に水が入ってしまう恐れがあるので飲水はまだダメ)。感動でした。

 それからは看護士さんが様子を見に来るたびに「氷ください」ってお願いしていました。

■集中治療室

 苦しい夜を越え、手術後、初めての朝を迎えました。ICUにあった氷は夜中に食べつくしていました。のどはカラカラですが、水はドクターの許可待ちです。ドクターの回診を待つ時間が長く長く感じられました。許可が下りて水で喉を潤すことができた時はうれしかったなぁ。

 検査もありました。採血や心電図のように動かないでいいものは問題ないのですが、レントゲンは大きく体を動かす必要があってキツかったです。胸を切り開いた翌日、まだ体に何本も管が入っている状態でしたから。

 そんな状態ですが、昼には食事と薬の服用が始まりました。お粥とおかずとフルーツ。まだ右手を動かせなかったので、左手でスプーンを持って食べました。完食とはいきませんでしたが、8割ほどは食べました。大丈夫なものですね。

 その後、だんだんと体に入れていた管が減っていき、それにつれてラクになり、翌日の昼には一般病棟に移ることができました。

■一般病棟

 一般病棟に移ってすぐに自分の弱体っぷりを実感させられました。食事を無理して完食、薬ごとリバース。きっかけは、痰が原因の咳でした。

 痰には苦しめられました。咳が出ると胸の傷も痛みます。手術後には麻酔の影響(気管に管を入れるからかな?)で痰の量が多くなるそうで、わたしもかなりの長い間、痰に悩まされました。

 トイレも大変。はじめに入った個室のベッドは電動で背もたれの角度を変えることができたので、どうにか自分で起き上がって点滴を引っ張ってトイレに行くことはできました。が、それだけの事が大仕事。

 手術から3日目の昼前、大部屋に移ると電動ベッドでもなくなり、体を起こすのが最大の難関となりました。腹筋で起き上がるのは無理です。どうにか横に転がって足をベッドから出し、その重みを利用しつつ手すりを引っ張って起き上がるというテクニックを編み出しました。でも、傷が痛むんですよ。どうしても。

 体を起こせるようになったら、すぐにPCをいじり始めちゃいました。

 2月10日に公開された『西の果てですが、何か?』ってコラム、このころ書いていたんですよ、実は。眠れない夜に暗闇の中で書いていて、怒られたりもしました。

■リハビリ

 大部屋に移ったころから、理学療法士の方と一緒に病棟内を歩いたり体操したりとリハビリが始まりました。はじめは100m歩くだけでも大変でしたが、刻一刻と自分が回復していくのを実感することができました。1日でこんなにも違うものなのかと。

 病棟内は自由に歩きまわっていいので、なるべく動くようにとのことでした。ただし、モニターのための携帯型の心電図をつけている間は病棟から出るのはNGです(電波が届かなくなりますし、危険なので)。同室の方がまだ心電図をつけているのに売店に行ってしまって、騒ぎになったことがありました。

 このモニターのための心電図、はずれてしまうことがけっこうありまして、すると看護師さんが走ってきます。深夜でも。大変なお仕事です。感謝。

 手術から7日目、胸の傷の抜糸が行われ、心電図も外しました。病院内を自由に動けるようになりました。入浴の許可も下りました。やった!

■退院

Operation_wound リハビリしつつ検査を重ね、順調に回復しているということで、手術から10日目に退院の許可が下りました!

 「退院は好きな日でいいですよ」というお話でしたが、翌日、退院しました。早く退院してベッドを空けるべきだと思ったのです。入院できずに待っている人がいるのですから。

 仕事への復帰はデスクワークの場合、早くて退院から3週間、普通は2~3カ月後だそうです。「ストレスも心臓にはよくないので、あまり急ぎ過ぎないように」とのお話もあり、考えた結果、手術を受けた病院での退院後初の診察が1カ月後にあるので、そのときに復帰時期を決めることにしました(普段は自宅近所の、心臓専門医がいらっしゃる病院に通院して薬をもらっています)。

 画像は退院した日(2月13日)に記録に残しておこうと思って撮ったものです。見比べてみたら、傷跡は今のほうが目立つなぁ(赤くなって盛り上がった感じになってます)。意外。

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 退院後1カ月が過ぎ、3月13日に執刀医による診察がありました。心臓の雑音はなく(当然っちゃ当然ですが、うれしい)、経過も順調。4月から復職する予定です。5月ごろには薬の服用も必要がなくなり、普通に生活ができるようになるだろうとのことでした(定期的な経過観察は必要ですが)。

 職場のみんなのおかげで、異常に気付いてすぐに治療に入ることができました。心臓外科の進歩のおかげで命をつなぐことができました。病気になった根本原因が分かりませんので、まだ不安はありますが、自分は恵まれていると思います。

 医学の進歩に、助けてくれたすべてに人に感謝

Comment(4)

コメント

順調に回復されているようで何よりです。療養中にも関わらず、資料レビューありがとうございました。完全復活->勉強会参加お待ちしてます。

iriyama

はじめまして、IRIYAMAともうします。39歳です。
私も開発者なのですが、先週、僧帽弁閉鎖不全症と診断されました。
10年前に弁膜症といわれ、ほかっておいたら自覚症状がでてきて
診断にいったら手術必須と言われました。成形術で事足りるとよいと私も願っている最中です。
こちらの情報非常に安心材料になりました。一言お礼がしたく書き込みさせていただきました。

村部

IRIYAMAさん。

私が僧帽弁閉鎖不全症の手術を受けてから5年ほど経ちました。
定期チェックを行いつつ、心臓には問題なく生活しています。

安心材料になったとのこと、コラムを書いて良かったです。

パンちゃん

はじめまして。
コメントを投稿するのは初めてで不慣れなのですみません。
自由にコメント出来るのですかね。
私の主人も僧帽弁閉鎖不全症で経過観察と言われ毎年エコー検査を受けていました。
先日の検診で手術だねといきなり言われて、ショックで。。主人は32歳になったばかり、現在私は妊娠中でとても不安になりました。
自宅に戻りネットでずっと検索をしていたら村部さんの投稿に辿り着きました。
表現が面白く明るくなれる内容でやっと笑えました。
そしてこれから主人が迎えるであろう全ての過程を先に知る事ができ心の準備が出来ました。
村部さんが現在も問題なく元気に過ごしているとの事で何よりです。
私達も頑張りますね!

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