人はいかにしてコラムを書かなくなるのか
村部@ランカードコムです。おひさしぶりでございます。
実は、オープンソースカンファレンス2011 Kansai@Kyoto(以降、OSC京都)に参加しておりました(『県庁で大活躍(予定)!OpenCOBOL☆Perlで汎用機ダウンサイジングに挑んだワケ』というセミナーをしました。そのときの様子はこちら)。
OSC京都では『コラムニストとして情報発信をするということ』というお題でエンジニアライフのコラムニスト陣がLT(ライトニングトーク)するセミナー枠がありました。ボクも事前に知ってはいました。しかし、「ボクも!」とは言えなかった。
だってもう2年もコラム書いてないんだものっ!
そんなボクですが、LTを拝見して刺激を受けました。「みんな輝いてるなぁ」と眩しかったです。コラム、書こうと思いました。
それで書くのが『人はいかにしてコラムを書かなくなるのか』というネタってのはどうかとも思いますが、彼らが光のコラムニストだとすればボクは闇のコラムニスト、という事でありましょう。
闇のコラムニストって言ってみたかっただけです。すみません。
■2年間サボってた者の述懐
本題に入ります。タイトルには ”人は” なんて書いていますが、ボクが書かなかった極個人的な理由を分析してみます。
◆ここに書いていいものだろうか?
ボクたちランカードコムはエンジニアライフ開始時にコラムニスト登録しました。その時の目論見としては技術Tips中心に地方ネタでも入れようかな、って感じでした。
しかし実際にエンジニアライフが始まってみると技術Tipsは場違いなんじゃないかと思いました。その結果、新たに会社ブログを起ち上げて技術Tipsはそちらに書くことにしました。
コレはボクの思い込みが大きいです。OSC京都でエンジニアライフの編集さんとお話した際も「なんでもありですよ」とおっしゃってました。
さて、意識の問題なので本当に「書いてよかったのかどうか」は置いておきましょう。今になって分析するに『コラム』に対する認識に自信が持てず、なんだかスッキリしなかったのです。
◆他のメンバーにも書いてもらいたい
先ほども「ボクたちランカードコムは」と書きましたが、コラムニスト登録はボク個人ではなくランカードコムというグループなのです。ですがボクしか書いてません。「それってどうよ?」とか思うわけです。
メンバーに情報発信に対する心理的障壁があるのかな? いきなりエンジニアライフでコラムというのは敷居が高いのかな? と考えたのが会社ブログを新規に起ち上げた理由の一つでもあります(敷居をさげてみて書いてくれたのはメンバーの半分くらい)。
途中で「まぁ、いいや」とは思ったものの、これも当初の目論見からはズレているので気持ちに引っかかりはありました。あまり他のコラムニストさんには当てはまらない特殊な事情ですね。
◆忙しい
会社のブログのほうも3カ月くらい間があいてることが結構あったりします。まぁ、真実ではあるのですが、自分への言い訳でもありますね。
でも、余裕が無い時に無理することもないと思っています。締切がなく、自分が情報を発信したい時に書けるのがエンジニアライフという場所の特徴の一つだと思いますので。
忙しいとヒキコモリがちになるので生活に刺激がなくなってネタもなくなりがちですし。
◆書く習慣がなくなる
そんなこんなで書かないでいるとさらに書くのが億劫になっていくのでした。
■ということでボクの場合
まとめます。
- 忙しさにかまけてサボってたら書くことへの心理的障壁が高くなっていった。
- なんだかんだでエンジニアライフという場所は敷居が高い(書き始める時には気合が必要)。
締切がなく、書くも書かぬも自由なので情報発信への意識の高さが直結するんですね。
■開かれた価値ある場所
敷居の高さは情報を発信する場所としてのエンジニアライフの価値の高さの裏返しです。そして「情報発信したい」と思えばかなえられる場所です。
興味がある方はコラムニスト登録されてみてはいかがでしょうか? そして、ボクのようにダークサイドに落ちず、光のコラムニストになってください。
コメント
murave
こちらこそありがとうございました。いい刺激をいただきました。