会社がなくなるとき-春~spring~-
今回のテーマは「会社がなくなるとき」の2回目です。前回の内容はこちら。
◆年が明けたとき
さて、自分の行き先も会社の行き先も決まらないまま年が明けました。社会人初めての年越しでしたが、特にどうってことなく。例年通り実家に帰省しましたが、親からも特になく(この辺りの放任は今でも感謝です)。
◆半休とって初めて競馬場に
会社の新年会、あったかどうか覚えていない。あったとしても印象に残らないというか、先が見えない中で新年会では上司も開くの嫌だろう。
それはさておき。競馬好きの職場の先輩に初めて競馬に連れて行かれたのがこの時期。確か平日なんだけど何で平日の昼間に行けたの? と考えると、やることなかったからというのが素直な回答で、多分半休とって繰り出したのに違いない。ビギナーズラックは成らず。
◆最初の派遣先へ
そんな中、役員の昔の同僚繋がりの会社に1人で派遣に出されることとなりいきなり忙しくなる。Accessをフロントエンドとした通販のシステム開発。こういう状況だったからか、余計な情報が入らない派遣先環境では逆に打ち込めた気がする。自身の成長が実感できた期間だった、感謝。
とはいえ、それなりに行き先情報は入ってくる。同部署のA君は上司のコネでL社に入社が決まったとか、隣の部署のB君は常務の取引先の会社に、とか。趣味の合ったC君は後から聞いたが商社系M社に1年遅れの新卒として入社した。今思えばこの派遣先こそがぼくの受け入れ先候補の1つだったのかもしれない。当時は全く思いもしなかったが。会社自体の受け入れ先はコンピュータメーカー子会社になりそうと噂に聞く。
◆新たな出会い
この時期、以前の案件の兄貴分X氏と急速に接近することとなる。彼は会社の払い下げPCを買い取り実家の空室に配備。休日は勉強会と称してそこに入り浸りワイワイガヤガヤと。平日も休日もITの知識を吸収した時期だった。この出会いは新たな別れの始まりとなるのだがその話はまた別の機会に。
◆そして誰もいなくなっていた
これといった転職活動もせず、なくなる運命の会社から派遣されているという不安定な状況をまったく気にせず働いているという中、ようやく受け入れ先が決まった。前評判から一転、親会社と共にシステムインテグレータN社の傘下に入ることとなった。いったん全員が退職扱いで新会社へと。
3月1日がその入社日。LAN敷設していなければ机もないだだっ広いオフィスで入社式が行われた。派遣の身のぼくは、午前中を抜けてこれに参加。周りを見渡す。知った顔はあるが同期の顔はない。噂には聞いていたが、この会社に入ることを選んだのはぼくだけだった。さらば同期。涙があふれ……、ることもなくぼくは淡々と(これだから「あなた冷たい」と女性から言われるの? おれ)。契約の関係で更に3カ月派遣期間が続き、新会社のオフィスに戻ることとなった。
◆親の心子知らず、子の心親知らず
以上が新卒の会社がなくなるときの思い出。振り返るとそれになりに上は考えてアクションしてくれていたのだな、と。派遣の期間がなくって何もしないままずっとオフィスにいたら……、多分ぼくの場合は関係なさそうだが、一応気をもんでくれて、この過渡期に余計な外聞をシャットアウトできる環境に置いてくれたのだろう、そんな親心に感謝。当時は考えもしなかったが。
こんにちは、けいいちっくです。春はお別れの季節です。とともに出会いの季節です。今年も花粉症との出会いがやって来ました。飲み薬も目薬も処方してもらいましたがこれからGW明けまで結構苦痛です。