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帰納法『のようなもの』講座(2)

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 ITエンジニアの皆さん、明けましておめでとうございます。

 さて、昨年末からの続きです。前回は、帰納法の説明としてときどき引用される次の「ポーランド戦車論法」を紹介しました。

  1. 「フランスの戦車がポーランド国境にいる」
  2. 「ドイツの戦車がポーランド国境にいる」
  3. 「ロシアの戦車がポーランド国境にいる」
    よって
  4. 「ポーランドが戦車によって侵略されようとしている」

 そして、「本当に帰納法ですか?」という指摘を受けて、コンサルタントのグループリーダーが絶句した状況までを説明しました。

 今回は、なぜリーダーが絶句したのか、この「ポーランド戦車論法」をどう考えればよいのか、そしてこの「帰納法『のようなもの』」の正体が何か、までを簡単に説明したいと思います。

 なお、コラム内容への軽い感想などはツイッターの方へぜひお願いします。みっちり系の考察はこれまで同様コメントで。

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 たぶん夜中(と昼休み)くらいしか無理ですが、できるだけフォローします。

◆コンサルタントのバイブル

 突然ですが、皆さんは、「これこそが仕事をする上での『バイブル』だという本をお持ちでしょうか?

 上流系のコンサルタントの仕事をしている人に「仕事をする上での『バイブル』」を挙げてもらうと出てくる本の1つに次の本があります(以下、[MINTO99]と書きます)。

 大きな書店では平積みになっていることがあるので、見たことのある人は多いのではないでしょうか。おそらく、コンサルタントという職業をしている人でこの本を知らない人はほとんどいないと思いますし、かなりの確率で持っているはずです。

 この本は、多くのコンサルタントが「バイブル」というだけあって、非常に内容が濃く、有用なノウハウを満載しています。いわゆる「ロジカル・シンキング」と呼ばれる思考テクニック群の大元をたどっていくとこの本にたどりつきます。

 書店にロジカル・シンキングの本が数多く並んでいますが、それらの多くはこの本の一部の内容をわかりやすくしたり、具体例を補ったりした解説書であると位置づけることができます。つまり、「ロジカル・シンキング」と呼ばれる一連のコンサルスキルは、この本を源流にして、その後に多くの人の努力が積み重なって形成されたと見ることができます。それほどまでに、この本の意義は大きく、コンサルティングのノウハウ体系化の嚆矢となる1冊なのです。

 わたし自身、MALT体系を考案し、本を書くにあたっては、常にこの[MINTO99]のことを意識していました。単にこの本の一部をわかりやすく解説するだけの本になるのであれば、今さら世の中に出す意味はほとんどないと思っていたからです。この本と比較して、質的に新しいといえるだけの要素がどれだけ出せるのかという自問自答を繰り返しました。

 いずれにしても、この本は、ビジネス上の課題分析を行い、それをプレゼンテーションするためのノウハウの定式化において、極めて重大な功績であることは疑いようがありません。

◆そのときリーダーが絶句したわけ

 さて、前回紹介した「ポーランド戦車論法」なのですが、実はこの[MINTO99]の中で帰納的理由付けの例として紹介されているものなのです。これで、コンサルタントのリーダーが絶句した理由もおわかりいただけると思います。彼の「バイブル」に載っている例を使って資料を作ったら、「違うんじゃないの?」と言われたたからです。

 ではここで、ITエンジニアの皆さんの回答結果を見てみましょう。1月10日121人投票時点の結果です。ご協力いただいた皆さんありがとうございました。

Pollresult

 「まったく納得できない」「あまり納得できない」を合わせると約85%に達します。圧倒的に納得できないということですね。この結果を見て、「ITエンジニアのセンスでは、コンサルタントはできないのか」なんて思う必要はありません。

 [MINTO99]には、前提となる定義の違いによって納得できない場合もあるとちゃんと書いてあります。ポーランドに対する友軍の戦車という場合もあり得るという指摘をしています。これについてはコメントされていた皆さんもいましたね。さすがです。ちなみに、わたしの答えも「まったく納得できない」です。

 実はこの[MINTO99]ですが、内容の充実した名著なのではありますが、なかなか読み切れない難解な本ということでもけっこう有名だったりします。その後、続々と解説書が出ているのはそこにも理由があると思います。

 どうして読みにくいかについては、いろいろな理由がありそうです。まず、教科書っぽくて堅いですね。また、翻訳がこなれていないと言っている人もいるので、ひょっとするとそうかもしれませんが、わたしは原著を見ていませんので、この点は何とも言えません。わたしが読んで戸惑うところは、例を使った説明に納得感のないものがけっこうあるところです。「ポーランド戦車論法」はその一例です。

 いくら「前提の定義が違えば納得できないこともある」と言ってもそれが85%にもなると、「それって例としてどうよ?」という気はしますよね。「ポーランド戦車論法」については、考えなければならない点が2つあります。1つは、これに納得できない人が多い理由です。もう1つは、これが本当に帰納的理由付けなのかというという点です。それぞれ見ていきましょう。

◆後から前提を持ち出してもいいの?

 納得できない人が多い理由ですが、おそらくそれは、「後から書かれていない前提を持ち込んでいる」というところにあると思います。少なくともわたしはそうです。

 文献や発言を読むときの態度として、2種類のタイプの立場があるように思います。1つは、ものを読んだり、理解をするときの態度として、記述されている情報だけから理解しようとする立場です。この立場に立つと、この「ポーランド戦車論法」は論外です。書かれていない前提を持ち出せばどんな結論でも出せるからです。「その日は戦車競技の国際大会があるから」でも、「ジオン公国からの攻撃に備えるため」でも何ありじゃん、とわたしなら言いたくなります。

 しかし、別の立場の人もいます。できるだけ書いた人の意図をくみ取って理解しようとする立場です。上のようなことを言えば「おいおい屁理屈言ってるんじゃないよ。ポーランド国境で戦車と言えば第二次大戦のポーランド侵攻のことに決まってるだろ。そのくらい察しろ」と怒られることになります。

 ここからはわたしの仮説ですが、科学技術系の訓練を積んできた人と、人文科学系の訓練を積んできた人で読み方が変わるのではないかと思っています。科学技術系の文献を書いたり読んだりする場合、前提条件をしっかりさせない議論でどんな結論を出しても説得力はまったくありません。そのため、結論を出すのに十分な前提が書かれているのかを、しっかり吟味する訓練がされます。逆に、人文科学系の文献を読むにあたっては、それが書かれた時代背景を考慮に入れるのはむしろ当然のことであるにちがいありません。

 [MINTO99]の序文をみると、最初に原型となる本を書いたのが1973年と書かれています。本コラムの読者の半分くらいは生まれていなかった時代です。その時点で「ポーランド戦車論法」の説明が載っていたかどうかわかりませんが、当初の想定読者はその当時の現役ビジネスパーソン達だったに違いありません。そして、そのころは第二次大戦の記憶がまだ生々しかったはずです。今のわたしたちが世界貿易センタービルと聞けばテロの話だと思うのと同じように、ポーランド国境の戦車と聞けば、ごく自然に第二次世界大戦におけるポーランド侵攻の話だと思ったことでしょう(フランスの戦車がどうして出てくるのかは今1つわからないのですが)。

◆帰納法の『ようなもの』の正体

 次に「ポーランド戦車論法」は、本当に帰納的理由付けであるかどうかに移りましょう。わたしの理解が正しければ、これは帰納的理由付けではありません。アブダクションと呼ばれる理由付けです。

 本当に専門的なところに入ると、細かい立場の違いがあるかもしれませんが、推論には3種類のものがあると言われています。

  1. 演繹 (ディダクション:deduction)
  2. 帰納 (インダクション:induction)
  3. アブダクション (abduction)

 の3種類です。

 ここでは簡単にしか説明しませんので、くわしい話に興味がある方は次の本を読んでみて下さい。

 さて、今回の話もそうなのですが、上の3つのうち、帰納とアブダクションが区別されずに理解されていることが多いようです。帰納とは、観察されたものを一般化するという推論です。典型例としては、「わたしが見たすべてのカラスは黒かった。よって世の中のすべてのカラスは黒いはずだ」という論法です。これに対して、アブダクションというのは、状況を説明するのにもっとも適切な仮説を立てるというものです。最大の違いは、帰納は与えられた前提だけから導くのに対して、アブダクションはそれ以外の話を持ち込んで構わないという点です。

 「ポーランド戦車論法」を帰納的という意味で正しい推論に直すと次のようになります。

  1. 「フランスの戦車がポーランド国境にいる」
  2. 「ドイツの戦車がポーランド国境にいる」
  3. 「ロシアの戦車がポーランド国境にいる」
    よって
  4. 「世界中の国の戦車がポーランド国境にいる」

 それこそ、戦車競技の国際大会でもなければちょっとあり得ない結論ですが、帰納的な理由付けで言えるのはここまでです。「ポーランド戦車論法」は、3つの国の戦車がいるという状況を説明するのに適切な仮説として、前提だけからは導けない「ポーランドが侵略されようとしている」という仮説を立てています。つまりアブダクションです。

◆その微妙な違いがどれほど重要なの?

 以上、長々と小難しい説明をしてきましたが、論理的な推論についての基本認識が同じであれば、だれが考えても上のようになるので、相当多くの人が同じように考えたはずです。ですので、今回のこの指摘をわたしがはじめてしているとはちょっと考えられず、行くところに行けば常識になっているのではないかと疑っています。ご存じの方がいれば教えてください。

 それでもあえて書いたのは、最近いろいろな人と話をしていて「アブダクション」のことを「帰納」であると解説をする人がけっこういるので、混乱が拡がっているように感じたためです。

 最後に誤解のないように確認しておきますが、わたしは上記の[MINTO99]のあら探しをするつもりは毛頭ありません。そんなことをしても、重箱の隅をつついて、木を見て森を見ない不毛な議論になるだけです。多少理解しにくいところがあったとしても、それによってこの本の価値が低くなることはありえません。前回のコンサルタントのリーダーの話の教訓は、いくら権威のある本にある例でも、自分の資料で使うときには注意しよう、ということに尽きます。

 なお、[MINTO99]には、追補として上で説明した3種類の理由付けについても記述していますので、この議論に気づかなかったわけはないとも思っています。なぜ、「ポーランド戦車論法」を帰納的理由付けと位置づけたままにしているのかわかりませんが、大きな話の流れを捉える上で不要な細かい差異であるという判断なのかも知れません。

 読者の中にも「そんな定義の微妙な違いがどれほど重要なの?」と思われた方がいるかも知れません。帰納法『のようなもの』講座はここまでにして、次回からは、この基本的な疑問にこたえるべく、演繹、帰納、アブダクションについてその特性と使い方を検討していきます。

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コメント

しっぱ

こんにちは。しっぱと申します。
ためになるコラムありがとうございます。

私自身、客様と接することがありまが、話しても話が平行線だったりすることが多くあります。

その際、失礼ながらも一旦話を切らせて頂いて、会話の目的を

 問題解決⇒平行線になってしまう原因追究

に切り替えることにしています。
そうすると思っていなかった部分で話が違っていて、そこを解決するとスムーズな議論が遂行できることがありました。

記述による表現よりも会話による表現の際にこう言った「前提」の違いというのは現れてくるのかなと思いました。

これからはより一層自戒も含めて、自分と相手の前提の違いには気をつけていこうと思いました。

しっぱさん、

いつもコメントありがとうございます。
何か得るものがあったようでわたしも書いた甲斐があります。
話を切って前提の確認をするのはよいアプローチだと思います。
なかなか勇気がいるときもありますが。

ITエンジニアと経営者やコンサルタントには、非常に根本的な前提の違いがあるように感じています。これについては、何回か後で書きたいと思います。
引き続きよろしくお願いします。

まさぼう

まさぼうといいます。

私もITエンジニアと経営者や、コンサルタントには違いがあるのかなと思っていましたが、お正月にThe GOALとThe GOAL2というTOC(制約理論)に関連した小説をよみましたら、ちょっと考えが変わりました。

読んでみて、かなり考え方や、アプローチの方法は似ているな~と感じました。
むしろ、制約理論にあるような考え方はITエンジニアの方が身近にすら感じました。

「ポーランド戦車論法」も、これを使う目的が共有されていれば、少しくらい前提が足りなくても、言われていることはわかると思います。
つまり、ポーランドがどのくらい危ない状況にあるのかを知るためとか・・・

TOCを知ってから、考え方が全然違うと思っていたのが、ある程度同じなんだとわかり、ただ目的が異なっている(共有できていない)ために、必要な前提が洗い出せていないだけでないではないかと考えるようになりました。

まさぼうさん、

コメントありがとうございます。

アプローチに対する親近感はひょっとすると、他の理由もあるかもしれません。
制約理論もそうですし、仮説検証など、コンサルタントの様々なノウハウは、科学技術的な管理手法を経営に活用しようという流れから来ているように見えます。その意味で、方法論としてはエンジニアや科学者の方が先輩にあたるとも言えます。

わたしが指摘したいと思っている「違っている点」というのは、「お金」「利益」に対する感覚の違いです。これについては改めて書きたいと思います。

目的についていうと、合意形成をする上で非常に重要なファクターということはそのとおりだと思います。でも一方で十分な注意も必要です。特に目的に階層構造があるということを意識しておかないと、私の本で書いている「ロスト・スキーヤー現象」が起きて話が混乱することがあります。これ以上は長くなるので、また次の機会に。

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