コンサルスキル補完計画(2)
林です。随分とご無沙汰してしまいました。
新しい会社の立ち上げに時間を取られて、こちらがしばらく手つかずになっていました。少し落ち着いてきたので再開しようと思います。
さて、前回(かなり前ではありますが)、ITエンジニアが上流の領域でコンサルタントや経営者と互角に渡り合うためには、いわゆる「ロジカル・シンキング」に代表されるコンサルスキルを身に付けることが大切だという話を書きました。
そしてITエンジニアがコンサルスキルを効率良く「補完」するための体系としてMALTを考案していることを説明し、この「計画」にはさらに先に真の狙いがあることを示唆して終わっています。
今回は、改めてMALT体系の狙いについて説明した上で、概要を簡単に紹介したいと思います。MALT体系については、書籍にもまとめましたが、それで完成したということではなく現在も改良を加え続けています。
次回以降で、本に書ききれなかった話題についても、いろいろ書いていきたいと思っていますが、今回はそのためのイントロの位置づけです。
◆コンサルスキルをコモディティ化する
MALT体系を考案したわたしの狙いを一言でいってしまうと、コンサルスキルを「コモディティ化」するということになります。
コモディティ化は企業戦略などで使われる概念で、「製品やサービスのコモディティ化を防いで競争力を維持する」といった具合に使われます。コモディティとは英語でcomodity「日用品」のことで、どこにでも手に入るものという意味です。つまり、わたしの目的はコンサルスキルをIT技術者なら当たり前のように誰もが持っているスキルにしたいということです。このことが、さらに何を意味するかは最後の方でもう一度触れます。
◆技術者は経営から軽く見られがち
MALTを考案したそもそもの動機は、ITに限らず技術者が軽く見られている現状を何とかしたいというところにあります。エンジニアが技術的な観点から企画を提案しても「ビジネスのわからない専門馬鹿の考え」などという扱いを受けることがしばしばあります。わたし自身、この不愉快な扱いは過去に何度となく経験してきました。大抵の場合、この原因は、技術者のほうに、経営層と議論をするにあたって持たなければならないコミュニケーションのスキルが不足しているところにあります。
エンジニアの中には、興味があるのは技術であって、自分の働きによって所属している会社がどれだけの利益を得ているのかはどうでも良いと考える方も多いと思います。わたしも新人エンジニアの頃はそうだったので、別にその考え方自体は不思議ではありませんし、悪いことだとも思いません。
しかし、まったく理解してくれない人達がいることも知っておく必要があります。このような立ち位置で話をしても経営者をはじめとする上級マネジメントを動かすことはできません。これらの人達は利益を上げることこそが最大の使命だからです。技術のあるべき論を話したところで相手にしてはもらえません。
技術者と経営の間には意識の違いによる厚い壁があります。この壁を突破するためには、自分がどのような筋道で考えているかはさておき、相手の考え方に合わせて説得力のある議論を展開することのできるコミュニケーションスキルが必要になります。この場合、技術の言葉でなくビジネスの言葉で話ができるということになります。相手の土俵で戦える技術者にならないかぎり、いつまでも軽く見られてしまいます。
◆習得に時間がかかるのは暗黙知が多いから
さて、相手に対して説得力のある提言をすることはコンサルタントにとって基本のスキルです。したがって、コンサルスキルを身に付けることが、技術者が相手の土俵で戦えるようになるための有力な手段です。
ところが、それを習得するのがとても大変な試練の道であるというのは前回まででご紹介したとおりです。先輩コンサルタントからときに厳しくときに理不尽に、叱咤激励あるいは罵詈雑言を受けて、何年もしごかれながら経験を積むことによってはじめて、現場で通用するスキルが習得できるのです。
このような習得方法しかないのには理由があります。ノウハウの多くが暗黙知のままだからです。暗黙知というのは言葉で表現することのできない知識のことで、その反対に言葉で表現できる知識は形式知と呼ばれます。言葉で表現されていない以上、暗黙知を習得するには体験するしか方法がありません。
「暗黙知」と「形式知」の分かりやすい例が、文法知識です。日本語文法は、言語で記述できるので形式知といえます。しかし、日本で生まれた人であれば、文法を知らなくても日本語を習得することができます。例えば、主語が2つある次のような文を見れば、すぐに「何かおかしい」とわかります。
- 「文法を知らない日本人が日本語が習得できる」
後のほうの「が」は「を」にして、次のようにするべきだといった指針も出せると思います。
- 「文法を知らない日本人が日本語を習得できる」
しかし、なぜおかしいのか、どうすればこのような文を書かないようにできるのかを、説明するのは大変です。これは日本語の知識が暗黙知の状態であるからです。一方、「主語」という形式知となった文法の知識を使えば簡単に説明できます。
しかし、なぜおかしいのか、どうすればこのような文を書かないようにできるのかを、「主語」という文法の知識を使わずに説明するのは大変です。
もちろん、文法知識がすべてを解決できるのかというとそんなことはありません。前の方の「が」は「でも」にしたほうが自然な文になるかもしれません。
- 「文法を知らない日本人でも日本語を習得できる」
こうなってくると、基本的な文法知識で簡単に説明するというわけにはいきません。
以上、まとめると、自然な日本語を書けるようになるには、最終的には経験を通じて暗黙知を蓄積する必要があるものの、文法知識があればずっと効率的にできるということになります。日本語を英語に置き換えて考えてもらうとわかりやすいかもしれません。
◆MALT体系の概要
わたしは、コンサルスキルについても必要な暗黙知を形式知化することによって、習得を容易にすることができるはずだと考えました。この考えに基づいて作ったのがMALT体系です。
MALTとはModeling As Logical Thinkingの頭文字をとったもので、「モルト」と発音します。
MALTの特徴は2つあります。
1つはITの基礎となる理論や概念を応用して、従来のロジカル・シンキング整理/拡張することにより、使いこなしのためのノウハウを形式化しているところ。もう1つは、従来のロジカル・シンキングが論理の組み立て方のところのみを対象としているのに対し、MALTではそれを提示し、相手と合意し、最終的な成果物にするところまでの範囲をカバーしているというところです。
これら2つの特徴により、特にITエンジニアにとって、習得しやすく実践しやすいノウハウ群にすることを目指しました。
MALTは、以下の7種類のテクニックから成っています。従来のロジカル・シンキングはこのうちモデリングの一部に位置づけられます。
- ロジカル・モデリング
ITの理論を使って従来のロジカル・シンキングを再整理・補強したノウハウ群 - ロジカル・ドローイング
主張や提言を効果的に伝える図表を作成するためのテクニック - ロジカル・ライティング
主張や提言をわかりやすいテキストで書くための考え方 - ロジカル・リーディング
インタビューなどの調査結果から、事実、解釈、意見を的確に切り分ける手法 - ロジカル・アグリーメント
主張や提言について納得してもらうための議論の進め方 - ロジカル・レビュー
ドキュメントの品質を評価/改善するためのポイント - ロジカル・ドキュメンテーション
高品質のドキュメントを効率的に作るためのプロセス
MALT体系 (「ITエンジニアのロジカル・シンキング・テクニック」より)
◆相手の土俵で勝負するための武器
コンサルティングに限らず、ノウハウの定式化はその分野を発展させるためにはとても重要です。従来のロジカル・シンキングもコンサルスキルの定式化の試みの1つと考えることができます。しかしながら、ロジカル・シンキングにはMECEといったごくシンプルな指針しかないために、実践的なノウハウの習得の大半は暗黙知に頼るしかありません。定式化がこのレベルにとどまっている理由は、おそらくロジカル・シンキングの定式化を行ってきた戦略コンサルタントの人達の身近に、この目的に使えそうな理論があまりなかったためだと思っています。
これまでなされてこなかったノウハウ部分の定式化がわたしにできたのは、ITの発展の中で生み出されてきた理論や概念が身近にあったからに他なりません。例えば、数理論理学、MVC、ドキュメント処理などの理論や概念を使っています。これらはITを学んでいなければ触れることがなかったものです。
ITの発展は社会に様々な変革をもたらしてきました。これまで普通の人にはできなかったことが、誰にでもできるようになった例はいたるところにあります。インターネットを使って世界中の情報へアクセスしたり、商品を取引できるようになったことはもちろん、少し考えればその例はいくらでも思い浮かびます。コンサルスキルのようなヒューマンスキルもその例外ではないということです。
MALT体系をまとめたことによって、かなり広範なノウハウの定式化ができたと、わたしは考えています。もちろん、他にも定式化できるコンサルティングのノウハウはたくさん残っているだろうと思います。また、本を読んだだけで身につけられるものではなく、経験を積んで蓄積する暗黙知はやはり必要です。しかし、従来のロジカル・シンキングで示されているような単純な指針だけから学ぶのに比べると、コンサルスキルをずっと効率良く習得できるのではないかと考えています。
ITとはこの数十年の間、世界中の最も優秀な人達が集まって、よってたかって作られてきた技術群です。MALT体系はその中のごくごくわずかなアイデアを借りてきて作った体系です。ITの広さと深さは実に驚くべきものです。
MALT体系とは、相手の土俵で、経験値で優る相手と互角に勝負しなければならない技術者を支援するために、最新技術を投入して作った武器だと考えていただければ幸いです。MALTによってコンサルスキルをコモディティ化することで、IT技術者と経営との間にある壁をなくし、ITを自在に操れる優秀な技術者が正しくリスペクトされる世界にしていきたい、というのがわたしの目指すところです。
◆おわりに
以上、コンサルスキルのコモディティ化とその具体的な方法としてのMALTの概要を紹介しました。MALT体系は、昨年『ITエンジニアのロジカル・シンキング・テクニック』という書籍にまとめましたが、今なお進化し続けています。本コラムでも、書籍化を見送った話題や書籍化の後で新しく追加した内容について、随時紹介していきたいと思います。