健康について第49回 組織と健康(2)
お世話になります。龍澤と申します。
前々回の「組織と健康」の続きとなります。
ところで……経営層がどんどん会社に新しい「血」を入れるというのは、現有戦力を信用していないということだと思うのですが、いかがでしょうか?
特に、研修制度や教育にまったく投資できない(しない)ベンチャーなどに顕著です。「即戦力としてお迎えします! 」と上っ面だけ美辞麗句を並べて、会社に入れたら即「成果を出せ!」と丸投げ。そして、多くは数年でまた辞めていくだろう、辞めないとしても数年は成果は出さないだろうという前提で、さらにどんどん中途を受け入れる。
才能のある(であろう)戦力をどんどん採用して、現場に放りこんで、シナジー効果は勝手に出せよ、と。出さないと承知しないぞ、と。成果出さなきゃ肩たたき。誰もが、周りを疑心暗鬼の目でみるようになってきます。
信頼関係が、希薄なのですよね。そして育てる気もないですし。
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なんだか会社というのが最近、個人事業主の集まりのように思えてならないのです。会社組織というものをプロ野球の球団とカンチガイしていないか? と。
会社の運動会とか、家族ぐるみのイベントとか、末端でいえば上司と部下との飲みとかが流行らないのは、社員側(特に管理職でない一般の方)の帰属意識が批判されることが多いのですが、実はだいぶ会社側に原因があろうかと思いますよ。
成果主義などが一時期かなりトレンドでしたが、会社というものが本当に個人事業主のマインドを持った人たちの集まりなのであればうまく機能するのでしょうけれど、会社というものはそんな風に一筋縄でゆくものではないですからね……。
それを分かっていながら、強引に、会社を個人事業主の集まりであるかのような幻想を持ってムチ(「アメとムチ」の)だけで運営していこうとするのは、昨今ありがちな間違いです。
そんな風に運営したいのであれば、会社のカネでそのように育てるべきなんです。自腹で。
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とにかく、会社が人材を育てるのは「義務」といっても過言ではないと思います。会社が、育てる機能を持っていないのだとすれば、会社という集合体は、何なのでしょう? というかもはや「会社」とはいえないのでしょうね(「事務所」という言葉がぴったりかも)。
この業界の底辺層の、零細のSIer、ソフト会社等の現状は、未だ本当にヒドいものです。社長が、気分で、人材を右から左へ横流ししてるだけですからね。人間を安く買って、高く売るだけ。株や為替と同じ感覚でしょう。
そして、いずれ自分が育てた会社自体を高く売るのだけが目的なのでしょうからね(それでも「会社」といえるのだろうか? )。
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よく使われる、経営側の言い分が、「もう社会人なんだから」(ガキ相手じゃあるまいしなんで1から教えなきゃならねーんだよ! ただでさえコスト削減が必要なのに! )と。
あくまで自己責任、自助努力を要求するのですよね。企業側のリソースをケチる。社員側のリソース(カネと時間)でスキルアップするよう、強要する。
一見、正論ですが、思いっきり間違っています。あまりに企業側に都合のよい論理です。このあたりを説明している本はたくさんありますので、これ以上の言及は省略します。
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いつものように「健康」に引きつけて考えれば、まず、人を育てるという機能を有していない(あるいは、持とうとしない)会社というのは、組織として不健康です。
不健康な組織に属する人間は、当然、よっぽど「自分」を持っている人をのぞき、不健康になっていきます。それは、当然のことです。
そして、「自分」を持っている人は「出る杭」としてパージされていきますので、その組織の品質に見合った人材しか残りません(それも当然)。
パージされる前に、「自分」を持っている人の大部分は出ていってしまいますけどね……
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不健康な組織は人間関係もギスギスしているものです。そういう人間関係の中にほおりこまれて健康を維持するというのは至難の業ですよね。
ということは、経営層がやるべきは、組織の中で良好な人間関係をキープする施策を、トップダウンで行うということでしょうね。「現場のことは現場にまかせる」なんて、そういうときだけ都合のいい言い訳をするのではなく。
スキル見合いで新しい人材を現場に放りこむのではなくて、現有戦力で最大限のシナジー効果を発揮させるための、プロフェッショナルのコンサルを「刺客」として送り込むべきなのでしょう。同じお金をかけるのであれば。
読んでいただきありがとうございました。