闇推し(笑)
無駄と密接に関連する「闇」について
1年前書ききれていなかったと思うのであたらめて。
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エンジニアの方は、定期的に「闇」に還ることをお勧めします。
意図的に、なるべく真っ暗な闇をつくってそこに20分ほど身を落としてみてください。
もちろん暗さだけでなく、無音であることが望まれます。
我々には誰も「精神と時の部屋」を用意してくれないので(笑) その代わりといってよいでしょう。
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私は都市部に住んでおりますが、もはや世の中に「闇」ってないですね。
あるとしたら、墓地ぐらいですかね...
なぜ世の中から闇がなくなったかといえば、現代人が闇、すなわち無の象徴を無「用」なものとしてとことん排除してきたからでしょう。
なぜ排除してきたかといえばまずは本能的なもので、闇に対する恐怖でしょうね。
人間に恐怖を与えるものはすべて無用であるという考え方。
「都市」そのものも、人間が自然や外的からの恐怖を回避する目的で成立してきたという歴史的経緯があります。
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でも実は、闇(および無)こそ現代人にとって必要なものだと思います。
なぜならば、闇(無)とはおそらく、人間が還るところだからです(だから恐怖を伴う)。
人間は闇の中のほうが実はよく眠れています。真っ暗だと逆に眠れない、というのはわからないでもないのですがそれは寝付きの話で、眠った後部屋が明るいままだと眠りは浅いです。
ただ、闇は必要とはいっても太古の時代から安全とセットである必要があります。なぜなら闇の中で人間は完全に無防備だからです。
安全であるためには堅牢である必要があります。つまり、基本的に自分と信頼できる人間以外は誰も入ってこれない状態である必要があります。
より安心感があり、より闇が深いほどに、人間は安心して無に還ることができるのでしょう。
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私の育った田舎では至るところに闇がありました。ですので、世の中に闇夜に対する恐怖感がしっかりと残っていたような気がしますね。私が小さい頃は24時間営業のコンビニもなかったですし。
住宅街をちょっと離れればこんもりとした林や茂みなどがいたるところにあり、本当に真っ暗で、とっぷり暮れた後は誰も入っていきません(いけません)でした。
ヤンキーですらも...((((;゚Д゚))))
闇夜に対する恐怖感は、無意識のうちに神仏および霊に対する畏敬の念と直結していたような気がします。
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ところで、安心感付きの闇があれば人間は瞑想状態にも簡単に入れます。それが、闇をつくることをお勧めする理由なのですが...
瞑想状態とはすなわち、人間にある種のスイッチが入るということです。
最近は「ゾーンに入る」とかあたりさわりのない言葉に置き換わっていますが、スイッチが入るということは「あっち側」にいってしまうということですからね。
ということは、昔の時代の人(かなり昔、19世紀以前とか)って、いたるところに闇があったということは瞑想もしていたと思うのです。
もちろん、本人はそのことに気づいていなかったと思いますけども。瞑想をしている自覚はなくとも自然と瞑想状態に入っていた(入れた)ということです。
幽霊をみるとかって、そういうことだと思うのですね。オカルトチックな意味でなく、だれもが自然に、意識すらすることなく、霊的な世界と交信していたに違いないと思うのです。
それが、路地に街灯が灯り、世の中に闇がなくなってしまって、現代人にはそういう体験がまったくなくなってしまいました。
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さて
現代のオトナは、何も生産的なことをせずぼけーっとしていたりスマホに目を落としたりしていると時間を無駄にしてる認定されてしまいますが、これが同じ何もしていないでも闇で瞑想してるとなると(なんかすごそう...と)一気に過ごしている時間の格が上がります(笑)
「何もしていない」に変わりはないのにねえ
それはなぜかというと、まず「無」を徹底すると「無駄」ではなくなるということ。これは以前書いたかもしれませんね。
「行為」としては何もしていない状態であってもヒトとして何か有益なことをしているに違いないと...
そういう共通認識があるように思います。
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もうひとつは(これが重要)闇(無)に身を落とし、静かな時間を過ごしているイコール実は何もしていないわけではないんです。
さきほども書いたとおりで闇に身を落としてしばらくすると身体にある種のスイッチが入る。
ということは、脳および身体が何かしら「活動」を始めるということです。そして慣れるとそれを感じることができます。
経験からくる個人的な感想ですが、人間の意識上でのやらなければいけないこと、考えなければいけないことからは少し離れて、自身が本当にやらなければいけないことや考えなければいけないことを勝手に始める感じです。
それはおそらく、自分にとって有意義なことに違いないのです。
一方で意識上の自分は一旦バトンタッチして休息をとっている状態なので、一石二鳥なわけですね
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身体に何かしらスイッチの入った瞑想状態と睡眠中の状態との違いは、
あたりまえですが前者は意識がありますね。
眠っているとき自分が何をしているか正直わかりませんし、夢をみているときも我々凡人は夢で動いている自分を自在に動かすことはできません。なすがままです。
でも意識さえあれば...「完全には支配されていない状態」とでもいいましょうかね、日中、起きているときよりもより自分を俯瞰してみることができます。
これが、とても面白いんです。面白がってよいのかどうかわかりませんが... まあよいのではないでしょうか(^^ゞ
もちろんいざとなったら意識のコントロールを試みることもできますし、自身で身体を動かして瞑想状態を解くこともできます。
でも、なるべくそれは最後の手段と考えて、闇の中で、自分の身体や心の動きをじっくり観察してみてください。
観察するだけでよいです。そこに解釈を加える必要はありません。
善も悪もないので判断も不要ですし、何かが立ち上がってきても感情を発動させる必要はありません。
夢では、自身をコントロールできないのでやたら感情的になったりしますけど...
ただ感じるということですね。それが、日常生活ではめったにできない貴重な経験となります。
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では、幸運を祈ります(笑)