健康について第50回 (ついに?)食について
お世話になります。龍澤と申します。
おかげさまで50回目ですが、健康生活のキモ、といってよいであろう「食」について、直接的に言及したことはなかったように思います(忘れているだけかもしれませんが)。
食についても、星の数ほど文献があります。グルメ本からマクロビから精進料理から……そして、はっきりいって「異常」といってよいでしょう、テレビから流れてくるグルメ情報、食についての健康情報……。
ところで、第1回以降ずっと、一般的な話ではなく、IT業界に特化した健康になる方法について書いていく、というのを目標にしており、それはブレていないつもりです。「一般的な話」は完全に世の中に出尽くしているので私が書くまでもないと思っています。
ですので、私は私なりの、この業界で健康になるための「食」について書いていきたいと思います。
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私、40代になってしみじみ思うのですが、工業製品(工業食品)を食べ続けるのは、「家畜」と同じなのではないでしょうか。
昔はこれっぽっちもそんなことは考えていませんでした。楽しんで「工業食品」を食べていました。そして、IT業界のヒトたちは傾向として、「工業食品」が大好きです。
最近は、人間っていうのは進んで「家畜」になりたがっている(行為でそれを示している)のだなあ、と、思っています。
「ブロイラー」という言葉が思い浮かびます。家畜は、(私のイメージでは)立錐の余地もないところでろくに動くこともできず、でも餌はふんだんに与えられますが、その理由、というか目的は「人間様に食べていただくため」です。もちろん、彼らはそのことを知りません。運命について考えることもないのでしょう。
で、このニッポンに住んでいる我々人間様のうちの多くは一見、自由に動けているように見えますが、まるで見えない紐で首をしばられているかのようです。物理的には動けるかもしれませんが、精神的自由は減ってきているように見えます。
「世間の目」やら法律やらモラルやらマナーやら会社やら家族やら、とにかくさまざまな要素に束縛されています。最も我々を束縛しているのは「金」ですが……。
世の中が進化していっているのに、人生は「豊か」になってしかるべきなのに、なぜ人間は「家畜」になろうとするのだろうか? そんなに縛られたいのだろうか? 楽だからかな? なんて、ガラにもないことを考えるようになりましたね。
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で、そんな我々が何を食べているかといえば、ホント、工業食品が増えましたね。おそらく、我々世代(のうち「気付き」がない方々)はそんなに長生きできないと思います。
私は、幸いにも「気付き」があったために、考え方を改め、なるべく人間的な「食事」を多くとるようにしています。
食事をとるとは、(なるべく)自然の食材を、自分、あるいは家族で料理して食べるということです。定義的には(あまり細かい区別はどうでもいいのですが)信頼できる料理人につくってもらうのも「食事をとる」に含めてもいいと思いますが、例えば常に新しい店を食べ歩きしているケースでは、お店側との人間関係が構築されていないので、「食事をとる」とはいえないような気がします(その店が「自然の食材」を扱っているとしても)。
逆の言い方をすれば、家族で料理して食べるのであれば、ちょっとぐらい工業食品がまざっていても大したことではありません。そのへんに目くじらを立てる必要はまったくありません。このあたりは、マクロビ原理主義者周辺の方々とは意見が分かれてきます。私個人的には、自然の食事をするために金をかけて外食する、という方向性に対して否定的です。
外食(あるいはコンビニ弁当系も含め)を全否定しているわけではありません。そして、この現代社会で、さらに、高度に発達した東京の都心に暮らしているクセに外食を全否定できるわけがありません。
食べ歩き、外食の類は自然な行動ではないということ。そういうのは趣味嗜好の話であって生命の営みからは若干離れているということ。それを認識していればOK。
私も、たまに家族や、気のおけない友人と外食するのは、とても楽しみです。
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人間様の社会では、巧妙に、あたかも工業食品でないように見せかけた工業食品が跋扈しています。例えば「コンビニの自然派志向弁当」などがそうですね。
そういうところに、人間の叡智(と金)がムダに使われている。
人間がそういうものを研究開発して、同じ人間に売る。そして、多くの場合研究開発した人間は自分は買わない、食べない。自分の子供には食べさせようとしない。
テレビや通信社は、原発問題において「当面、健康に影響はない」と報道しつつ、家族は福島からそそくさと撤退。自治体の長や議員連中も同様。(私は福島出身です)同じ構図ですよね。当面健康に影響がないならなぜ逃げる? 福島に根を張って生きてきた/これからも生き続ける人たちの立場は? それをぼかすために「絆」というキーワードで連帯しているフリ。
おそらく、カンタンに、「引っ越せばいいじゃん」と言うのでしょうね。
まぁそれは余談ですけども。
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さらに悪いことに?(私個人は「悪い」と思うのですが)経済を循環させるために大量生産する工業食品は、買ってもらわなければならないわけですから、はっきりいって「おいしい」のです。
工業食品が、かなりおいしくなってきたことが、人間にとってかなり不幸なのではないかと最近思います。
そういうものを巧妙に買わされている我々は、幸せなのでしょうか? そしてそれは、本当に、「買うほうが悪い」のでしょうかね?
工業食品がおいしいということは、「舌をだましている」ということです。我々は、だまされていないでしょうか?
続けます。今回はイントロダクションということで……。
読んでいただきありがとうございました。