や……やつが帰ってくる! ―カイシャの怪談・極東の大妖怪(番外編1)―
新入社員研修が始まっています。
学校なら、新入生の歓迎会があちこちで催されている頃でしょう。
私の会社でも、初々しいフレッシュマン(この英語は非常に変な和製英語らしいが)たちが、食堂で固まって食事している風景を見ると、4月を実感します。
会社に入ってくる方は、それはそれは期待と不安が入り交じった微妙な感覚でしょう。でも、その感情は、会社で新入社員を受け入れる側だって同じなんです。どんな奴(あ、失礼。どんな人)が入ってくるのか、それはそれは興味津々で、期待と不安が入り交じった感情を持つものなのです。
会社の場合、新入社員の情報は初めのうちは人事が握っています(それと所属長かな)。一般の受け入れ側の社員たちは、新入社員を受け入れてみて、はじめてその(新入社員の)実体に気づくのです。
で、4月はまた別の意味で、期待と不安の入り混じる季節でもあります。そう、4月は……妖怪の季節でもあるのです……。
何やらキナ臭い匂いがします。この腐海にも似た臭気を放っているのが…そうです、人事異動です。
人事異動…。
長いこと会社員をやっていると、職場の上司が異動して新しい上司が来る……なんて経験は、数限りなく経験します。開発系の職場だって、今の上司が永久に自分の上司であり続けることはありません(というか、あっては困ります)。
組合員である場合、会社の規定に従って、人事異動の辞令は1カ月前には出ます。
でも、管理職の場合は、その規定は適用されません。事実、以前の私の上司は、異動日の3日前に辞令を言い渡されて、急いで支度をしていましたし(笑)。←本人にとっては笑い事ではありませんが。
私の関連する職場でも、さまざまな異動がありました。どうも、私の会社は人事異動が大好きみたいです。毎年毎年、相当な数の人事異動があります。これでは人事も大変だなぁ……といつも思っています。
でも、今回は他人ごとでは無い事態が発生したのです。それは、3月に入ると、不気味な噂となって流布されていったのでした…。
3月初旬のこと…。隣の部署のT氏からメールが来ました。
その内容は、
「来期の人事異動について、何か知ってる?」
という短い内容でした。
私は「?」と思いつつ、返事をします。
「いや、知らない」
私は、誰が部下だろうが、誰が上司だろうが、あまり気にしません。嫌なら嫌だってはっきり言いますし(うまの合う上司や部下が良いに決まっていますが、私は人事異動を裏で操作できるほどの地位にないので、私ができる範囲で受け入れることにしています)。
「誰それがxxの役員になった」とか、「今度の役員はxxの派閥だから、誰それは立場がまずい」とか、「誰がxxに飛ばされた」とか、「今度の上司はやたらに気難しい」とか……。
もともと私は、こういった内部抗争みたいな事柄が苦手です。だから、この手の話には、いつも適当に返事をすることにしています。でも、今回はちょっと事情が違いました。
T氏からまたメールが来ました。
「“やつ”が帰ってくる」
何々?「やつ?……」誰それ?
メールでは埒があかないので、私はT氏に直接会いに行くことにしました。執務室の隅に設置されている小さな打ち合わせ卓で、T氏と落ち合います。T氏はちょっと疲れたような、それでいて緊張しているような顔を私に向けて言いました。
T氏:「やつ……が帰ってくるんだ」
私:「やつか……で、誰?」
T氏:「N部長だよ。N! あいつが帰ってくるんだ!」
私:「うーん。ゴメン。俺、Nって人を知らないんだよね……」
T氏:「あ、そうか! ゴメンゴメン。君はN氏が異動してから、こっちに配属されたんだね」
T氏は思い出したように付け加えました。
T氏から聞いた話はこうでした。N氏は数年前まで、T氏と同じ部署に居た人でした。当時の役職は課長クラス。確かに課長クラスにまで成るだけの事はあって、頭は切れるし、仕事は早い。行動力も群を抜いていました。でも……、「天は二物を与えず」とは良く言ったものです。
N氏には大きな欠点がありました。大きな欠点。
それは、「人のことなど顧みない」という性格そのものです。
自分ができることは、他人だって同じようにできる。できて当たり前。できないってことはそいつの努力が足りない! って決め付けるパターンです。
N氏が自分で仕事をしているうちは、仕事を遂行する能力によって、N氏は一目置かれる存在でした。どんな大量の仕事でも、バリバリと馬車馬のようにこなしていきます。そしてトントンと出世しました。業績で出世させると、最悪なことになる好例であります。
昔の人は良いことを言いました。
「徳には位を以て応じよ、功績には報償を以て応じよ」
……。これができてませんでしたね。
そして最初のうちは、マネージャになっても、プレーイング・マネージャとして、仕事もバリバリこなします。当時の部下は、そこそこ仕事もできていたこともあり(人間もできていた)、N氏といざこざを起こすこともありませんでした(部下の方が”徳”を持っていたことになります)。
でも、ある時から歯車が狂い始めます。N氏の部下が何人か入れ替わり、N氏の方も実務ばかりをしているわけにはいかなくなりました。N氏はマネージャになってからというもの、ますます暴君的な性格になりましたから、「よくできた」部下でなければとても付いていけません。
N氏は始終吠えるようになります。
「俺が言ったとおりになんでできない! 俺のやるとおりにやればいいんだ!」
「俺の言ったことくらい、一度聞いたら覚えろ!」
「何度も俺に手を出させるな!」
N氏は自分自身が実務ができなくなったイライラを部下にぶつけます。何人かメンタルを壊して戦線を離脱する者が出たそうです。N氏は知らず知らずに妖怪に変化していったのです。
妖怪はすでに人間に非ず。
そして、部署の皆から「極東の大妖怪」と言われるようにまでなったのです(当時、N氏のグループは、執務室の一番東の隅にありましたから、「極東」ですね)。
類は類を呼ぶと言いますか……っていうか、類する物を集めると言いますか……。いつしか、N氏の周りには他から妖怪が集まって(いや、集められて)きました。
N氏の横暴ぶりには、上長も手を焼いていました。でも、N氏自身の過去の経歴は素晴らしいものがあります。簡単に飛ばして……おっと失敬、ご異動願うわけにも行きません(その栄光が邪魔をしている訳ですけど)。
そこで……目には目を、歯には歯を、妖怪には妖怪を、という訳で、他部署で持て余していた妖怪たちをあてがうようになりました(今思えば、N氏の上長の狡猾さは、もっと妖怪じみたものだったのかもしれません)。
N氏のグループの業績はみるみる悪化。人間関……いや、妖怪関係はさらに悪化。
妖怪には妖怪を持って制す。N氏の部下には、「蕎麦屋」や「ご隠居爺」や「二の足踏み」や「できない爺」などなど……そうそうたるメンバが勢揃い。
これでは業務が進むはずがありません。あれよあれよという間に、グループは空中分解。
N氏にも「実務はできても、管理は駄目な落第マネージャ」の烙印が押されてしまい、ほどなく異動することとなりました。
極東の大妖怪も、ひとつひとつは小粒ではありますが、ベクトルがマイナスな妖怪たちの集団に囲われては、とてもかなわなかったようです。ある意味、策略的な匂いがプンプンしますけど。大妖怪は深い傷を追って、下界に逃れていったのです。
つかの間の平和。……。っていうか、どちらかというと、熱的並行に陥った宇宙みたいに、ドロドロと変化のない日常に戻ったのではありますが……。
T氏は肩を落として言います。
T氏:「今、うちの部署は大騒ぎさ」
私:「でも、随分前のことだから、その人だって変わってるかもよ?」
T氏:「いや……無理だ。あの人が変わってるはずがない。とにかく俺の部の長になるってんだから……これから何が起こるか……」
私:「ううーん……」
T氏:「どうしようもないなぁ。でも、どうして戻ってくるんだろう?」
T氏は浮かない顔をしています。一波乱ありそうな雰囲気ではありますが、これも定めというものでしょうか。
「人間ってものは、適当に苦労するようにできている」って誰かから聞いたことがあります。
私:「触媒かな?」
T氏は驚いて聞き返しました。
T氏:「な……なんだって?!」
私:「いやぁ、なんだね、触媒みたいなものを君の部署に放り込むってことじゃないのかな?」
T氏:「どうして?」
私:「いまの状況に、何か変化を起こすためだよ。このところ、“歩みが遅い”“進歩がない”って経営層が言ってるじゃないか。だから化学反応を促進させる起爆剤が欲しかったのかも」
T氏:「それにしても、あれ(N氏)は強力すぎるよ。奴は反物質みたいなもんだ。化学反応なんてヤワなもんじゃなく、対消滅して大爆発しちゃったらどうするんだ?!」
私:「このご時世に滅相もないなぁ。その人を制御できる人が必要だね」
T氏:「馬鹿言うな!あんな奴の制御ができる奴なんているわけないだろ!」
私:「妖怪には妖怪を当てよ、ってことじゃないのかい?」
私は不謹慎だと思ったが、ちょっと笑った。T氏も仕方なく笑った。
笑うしかないのかもしれない。舞い戻ってきた極東の大妖怪。さあ、眠れる獅子(じゃなかった、妖怪)たちは、この復活の大妖怪を撃破(しちゃだめだよね。部長なんだから)できるだろうか?
4月は妖怪の季節。5月病になんてなってる余裕はない。
つづく(と思う)。