ソフトウェア・エンジニアの語る、虚々実々の物語

天の川は三途の川? とある社内登用制度の使用例

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 先日、とある外資系の会社に勤めているKから連絡があった。

 Kとは大学時代の同期だ。この度、転勤で関東地方に来るという。もう何年も、我々は大学の同期会をしていないので、大学時代の仲間で会うことになった。

 ああ、何年ぶりだろう。

 時期が急だったこともあり、あちこちに声をかけたが、都合がつくメンバーは、結局私を含めて5名のみだった。

 みんな忙しくなってしまったものだ。学生時代の「のほほん」とした雰囲気が懐かしく思い出させる。

 さて、この歳(40代)にもなると、集まるところといったら居酒屋になる。

 とりわけお酒が好きなわけではないが、やっぱり我々の年代の象徴である居酒屋に集合することになった。

 そして、現地集合。何年も会っていないが、面影はしっかり残っていた。予約してあった会場に入り、はにかみながらも思い出話に華が咲く。

 集まってみて面白い現象があることがわかった。K以外の面々は、ことごとく転職を経験していた。1人として、一番最初の会社に留まっていたものは居ない。

 転職理由もさまざま。

 ある者は、前職で死にそうになったという理由で。

 ある者は、やりがいを。

 ある者は、当時の気分で……。

 Kの話は特に面白かった。

 彼は転職ではなかったが、転職に近い異動だとのこと。話題が直近だったことでもあるが、異動までの経緯が面白かったのだ。

 彼は、会社のことを「監獄」と呼んでいた。鉄柵は存在しないが、柔らかい監獄だと。

 一同:「おまえ、たしか勤務地は四国だったよな」

 K:「ああ、四国だ」

 一同:「よく、戻ってこれたよなあ。以前連絡があったときは、俺は“あそこで死ぬ”って言ってたぜ」

 K:「まあな。俺もそう思っていたよ。何しろ、監獄だったからなあ」

 一同:「監獄か……。ってことはお前は囚人なんだな(笑)」

 K:「そうそう。囚人さ。だから基本的な人権すらなかった」

 一同:「おいおい、いくら囚人でも、人権くらいはあるだろう」

 K:「いやぁ、それがなぁ。俺達は人間“以外”って扱いだったからな。つまり妖怪だな」

 一同:「なんじゃ、そりゃ?」

 K:「とにかくさ。仕事が半端じゃないんだよ。ブラック企業っていうのがあるだろう? 大企業の中のブラック組織ってやつさ」

 そう。Kは名だたる大企業(今でも十分に後光が射している)に務めている。

 Kは続けた。

 とにかく新人には人権がない。ただの牛馬と大して変わらない扱いを受けたそうだ。それでも退職せずに頑張ったのは、大企業っていうネームバリューの魅力だとか。また、上に行けばかなり給料は良いらしい。

 Kのように多少破天荒なところをもった奴じゃないと、まともに精神を維持できなかったようだ。彼の同期は、何人もリタイヤし、結局最後まで残ったのは彼1人だったらしい。

 そんな彼も、故郷に戻りたくなったと言う。両親の高齢化と、自分の体力の限界を感じたからだ。

 K:「この前さ。実家に戻ったとき、両親のあまりの変わり様にショックを受けてね。でも、だからと言って、俺を本社に異動させてくれるほど、会社は甘くない」

 そして、こうも言った。

 K:「俺も若くないだろう。もう、がむしゃらは通じない。若い奴らと体力で勝負しても勝てない。だから異動を願い出たんだ」

 Kの戦いはここから始まる。

 上司に話をするも、鼻先であしらわれる。その時の言葉は、かなり辛辣なものだったらしい。その言葉で、彼の覚悟は決まった。

 「必ず生きて、本州に戻る」と。

 準備には約半年を費やした。まずは、社内の登用制度を探した。彼の会社ともなれば、社内に登用制度がいくつもある。

 その中で、数個に目星をつけた。自分のスキルと今の状況から、確度が高いものをピックアップする。

 だが、最大の難関は、上司の承認って項目だった。登用制度に応募するためには、上司の承認が不可欠だった。だが、このハードルは絶対に越えられない。普通に申請すれば、必ず上司が「握りつぶす」からだ。

 Kは、人事に居る彼の知り合いにそれとなく連絡を取る。このハードルをなんとかクリアできないものか、と相談したのだ。

 Kの知り合いは、少し考えてから、声を落としてこう告げたそうだ。

 「かなり禁じ手だけど、やってみる?」

 もう、それしか手がないのなら、掛けてみるまでだ。

 その禁じ手の名は

 「全社登用制度」

 これは、社長から直々に発行される登用制度だ。そこらへんの中間管理職くらいの権限盾なんて、簡単に貫通してしまう。

 Kの知り合いは、本社の人事のコネを使って、手を回した。ちょうどいい案件があったのも、彼に幸運が味方した。

 だが、簡単にOKが出るかどうかはまだ分からない。不安な気持ちが何日も続いたそうだ。

 彼は、仕事が終わった後、会社のビルから、部署の同僚と、四国と本州の間の海を見ていた。

 K:「本州って、物理的には近いのに、心理的には途方もなく遠いんだなぁ……すぐそこなのに……」

 同僚:「ああ、これは海じゃないんですよ」

 K:「え? 海じゃない?」

 同僚:「そう。天の川っていうんですよ(笑)。ああ、三途の川って言ってもいいですね」

 K:「おいおい。天の川なら年に1回しか渡れないし。三途の川なら、生きて向こうに渡れないじゃないか……」

 同僚:「だって……渡った人……いますか?」

 同僚の暗い顔。その時、Kは心の奥で強く唱えた。

 「必ず……必ず、生きて向こうに渡る」と。

 後日、Kの上司が彼を呼び出した。それも、重要な会議に使う会議室に、2人だけで。

 上司:「何をした?」

 上司がいきなりKに告げた。声がこわばっていたそうだ。

 K:「はぁ?」

 しらばっくれた。事実、状況がまだ分かっていなかったからだ。

 上司:「……。やってくれたな……」

 K:「はぁ~(ほくそ笑む)」

 上司を目を合わせずに告げた。

 上司:「異動だ。急だが、来月にな」

 今、私の目の前でうまそうにビールを飲むKがいる。本社に行って認められるかどうかは、これからだそうだが、彼ならやってくれるだろう。

Comment(5)

コメント

ardbeg32

なんなんでしょうね、こういう上司。
人をいたぶって監獄に入れるのが趣味なんでしょうか?
私はK氏の様にうまく立ち回れず、握りつぶされて転職せざるを得なかったものです。(もうちょっとだったんですが)
今は再就職もかなって天国とは言えないがまあそれなりに楽しい職場で、これまで前職で受けた教育を、恩返しとばかりに新しい会社に活かそうと頑張っています。

別に全社登用制度に受かったからと言って、その上司の評価が下がるわけで無し、変にメンツを潰されたとでも逆恨みしているんでしょうけど、そういう物言い自体がさらに噂を呼ぶのにねぇ。
君子危うきに近寄らずですが、会社勤めである以上こういう人物に突き当たるのはままあること、何とかならんのでしょうか。

wm

他人の無能な様を見て、自分の無能を無視する輩がいるんですよね。
あぁ。こんな奴が居るから自分はまだ大丈夫だ、と。
そんな奴でも、まぁ、終身雇用制というのがあるから食べていける。と。
そういうのをなんとかするのが本当のコスト削減なんですけどねぇ。

うちも似たようなもんでねぇ。ただ、ぜんぜん後光なんて射してない。
だから、なんとか別の会社に転職、と思ってるもんだが仕事の後に転職活動ってーとなかなか気力が沸かない。
難しいもんですなぁ。

虚数(i)

ardbeg32さん、wmさん
どうも、コメントありがとうございます。

会社人として、致し方ない部分もありますが、それでも皆精一杯生きてるんですよね。
いやぁ~、私もこんな上司の元で働いたら、って思うと、ぞっとしますね。
(でも、なんか昔、こんな上司が居たような…)

ardbeg32

虚数(i)様
>ぞっとしますね。

ぞっとするどころか、メンタルやられましたよ。半年で15キロ痩せましたし。
やはり前職の会社にも登用制度があって(というかどっかで聞いた話だなー)
人事も協力してくれたんですが、ヘマかましましてこの記事のとそっくりの
上司にバレて握りつぶされ、それどころか「上司に相談もしないで異動を考える
なんて信頼のおけない部下には仕事を与えない」とかなんとか。
座席もPCも取り上げた上に「一日勝手に社内うろついてたら?」

まあ今となっては貴重な経験をしたと考えています。恨み言も言わなくなりました。
それに肥満気味だったのが標準体重にもなれたしw

虚数(i)

ardbeg32さん
どうも、コメントありがとうございます。

> 肥満気味だったのが標準体重にもなれたし

災い転じて福となす、ってやつですか?(^^:
何事もポジティブにとらえないと身が持ちませんね。

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