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大卒の価値

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はじめに結論を言っておくと、私は大卒に価値は無いと思っています。基準としては希少性で見ています。こちらのページに、年代ごとの大卒の率がありましたが、20代から30代では、ほぼ三人に一人です。確かに、60代のころの十人に一人か二人なら、かろうじて希少性はあったと思います。四年の歳月と何百万という金額を払って、上位三分の一の証明では、ちょっと割に合わないように思います。

ただ、私が価値が無いと思っても、世の中ではまだ価値があると思われています。だからこれだけの人が大学に行くのでしょう。ただ大学といってもピンからキリまで幅広いです。東京大学のように、行くだけでも激しい競争を勝ち抜かなくては行けないようなところから、定員割れで、お金を出せばほぼ無条件で行けてしまうような大学まで様々です。全部をひとくくりにして価値を語るのは無理かと思います。

みんなが大学に行くから、相対的に大学の価値が下がったように思います。これが、百人に一人とか、千人に一人だったら、大いにその価値を享受できるかと思います。ただ実際は、足切りを免れる程度のものにしかなりません。希少性が無ければ優位に立てません。大卒が特権ではなく、最低条件になっています。競争に勝つ条件にはなりますが、競争に勝つための決め手としては不足です。

そうなってくると、大卒プラスアルファが無ければ競争には勝てなくなります。例えば、大卒プラス何かの資格だったり、大卒プラス具体的なスキルのようなものです。大卒の価値云々より、そのプラスアルファが大事だと思います。大卒で即戦力のプログラミングスキルを鍛えておけば、それはIT業界で重宝されることでしょう。研究職に就けば、大学で学んだ内容を活用して成果を出すこともできます。

大卒という肩書は、あるだけでは役に立ちません。活かすための手段が必要です。そして、学歴を実績に引き換えていかないと、社会的な価値は時効で喪失します。多分、これは納得する人も多いかと思います。三十歳を越えたら、社会的な価値を発揮するのは実績です。大卒の価値がある無しではなく、その価値を活かして有意義なものにするためには、流れで考えて実績に繋げることが必須だと思います。実際のところ、大卒に価値があると考える人の大半は、学歴を実績に繋げることに成功した人ではないでしょうか。

Comment(1)

コメント

木枯し紋次郎

大卒には価値はありません。強いて言えば、育成する機関の大学に入る(例えば防衛大、海保大、あるかどうかはわかりませんが、NASAの学校(あるのでしょうかね? コーネル大やイエール大、MITやUCLAカリフォルニア大学バークレー校などのパリパリがNASAにはいります。)とかが値打ちがある(でもその育成した機関の中でだけの話ですがね。)と思いますね。旧国立一期校や関関同立や早慶、東工大、などの大学の方が価値があるとおもいますね。


- Horus -
大学で実務技能を教えるという話を出すとよく来る反論が「学問を軽んじるな!」です。ただ、実情は大学を卒業すると学問を追及する機会を失います。むしろ、学歴によって、学問を競争の道具に使う方が学問への冒涜のように見えます。学問をやるなら社会に出てからでもできる仕組みになって欲しいものです。

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