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円滑なコミュニケーションとは?

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SESの案件の募集で「円滑にコミュニケーションが取れる人」という項目を見かけます。円滑なコミュニケーションって何でしょうかね。コラムを書いていてコメントが付くことがありますが、コメントの七割が明後日な方向なことを書いています。コラムに書いていない内容を想像で付け足しています。その付け足された想像の部分は、私が知る由もありません。ゆえに返答に困ることが多いです。ただ、コメントを付けている人の頭が悪いのかといえばそうでもありません。Twitterやネットの書き込みでも、勝手に想像を膨らませて議論をする人はよく見かけます。どうやら、それが普通のようです。

実際のところ、よほどプロとしての行動を心掛けている人でもない限り、実質的なコミュニケーション能力は高校生からさほど変わりはないでしょう。普通の人がやっているのは、気を配るべき相手の選択と、その相手に対してのコミュニケーションの最適化です。万人に礼を尽くせるような、真のコミュニケーション能力を高めようとしている人は皆無でしょう。だから、ネットの書き込みやSNSの一言でボロが出まくるのではないでしょうか。そんな、誰にでも礼を尽くせるような聖人君主なんて、そうそういるものではありません。ましてやそれを人に求めるというのも図々しいものです。

気を配るというのはエネルギーを使います。実際の気配り云々よりも、その気を配るエネルギーの配分が下手な人が多いように思います。人ひとりが持っているエネルギーは有限です。自分の上司にエネルギーを全振りして気を遣えば、部下に気が回らなくなります。上司にも部下にも気を回そうとすれば、どちらにも十分に気が回らないか、エネルギーが枯渇して疲れ果てます。ここら辺を上手く配分している人というのは確かにいます。しかし、世間一般の人がイメージする真面目な人、優秀な人というより、何かつかみどころの無い感じの人だったりします。

人である以上、やっぱり気を使ってもらうと嬉しいです。女性にモテるコツは、気遣いだと聞きます。ただ、気遣いできる量は有限です。気力と体力に依存します。気遣いの質を高めるとか、限度を決めておかないと簡単に枯渇します。仕事をしていても、どのようにして気を配るかという話はよく聞きますが、どこら辺に気を抜いていけばいいかという話はほとんど聞きません。気配りの取捨選択という概念がないのでしょうか。気を配るためのエネルギーを仕事に向けたら、きっと今より多くの結果がでるはずです。気合でエネルギーは無尽蔵に湧いてくるとでも思っているのでしょうか。むしろ、エネルギーが沸いているというより、頭の中にウジ虫が湧いています。

みんなが幸せになるためには、人のエネルギーを奪わない省エネなコミュニケーションを心掛けたいものです。ただ、能力差がある人同士でそれをやるのは難しいです。一般的な日本人の傾向として、能力の差があった場合、能力の高い人が遜って能力の低い人に合わせるというのが美徳とされます。なので、能力の高い人に負担が行きやすくなります。一番楽なのは、バカで立場の高い人です。世間一般に言うコミュニケーション能力というのは、そういう人に合わせていくテクニックが中心です。本当のコミュニケーションは、お互い対等という立場で敬意を持ってこそ成り立つものではないでしょうか。

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