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逆だったかもしれねぇ

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最近、開発の現場で「ノーコード」というプロダクトを使用してコーディングを省くアプローチを耳にします。一方、インフラの現場では、Infrastructure as Code(IaC)という、インフラそのものをコーディングに落とし込むようなアプローチを耳にするようになりました。この二つの傾向を見て、お互いが本来あるべきとされていたスタイルが入れ替わっているように、私の目には写りました。

そしてふと頭をよぎったものが、これです。「ナルト」というジャンプの人気作品の一コマだそうです。主人公とそのライバルの立ち位置がそのまま逆になっています。この一コマを、ネット上でネタとして使用している人を何人か見かけましたが、ITの現場でこれと同じようなシーンを私は見ているような気がします。インフラエンジニアと開発エンジニアでやろうとしてることが「逆だったかもしれねぇ」と思いました。

ただ、SES経由で大きな会社で働いているとコーディングをやる人とインフラをやる人が対面することがほとんどありません。コーディングをやる人は「インフラがこういう条件だ」と、絶対な条件の下でコーディングをやります。インフラ側も、「こういう条件でコードが動く」という絶対的な条件の下でインフラを構築します。つまり、何か良いアイディアが浮かんだとしても、要件が絶対なので、話が広がりません。

インフラと開発の人がガチでぶつかるような現場というのは恵まれていると思います。お互いが刺激しあうことで、いろいろなアイディアが出てくるのだろうなぁと。ぶつかり方が悪ければ百年戦争みたいになるかもしれませんが、エンジニアとしては充実した時間を過ごすことができるのではないでしょうか。刺激を受けて、それを実行に移します。実行した結果にまた刺激を受けて、新たなアクションへと繋がっていく。そいういう、良い循環が生まれやすいです。

異質なものと対面することで刺激を受けることができます。これができる現場は恵まれています。刺激に対して弱い人が集まると、どうしても聞き分けの良い人が優遇されます。それはそれで日々が平和になるのですが、刺激を受けることがなくなって成長が鈍ります。私の視点からみると、日々の快適さと刺激はトレードオフなのかと思います。血みどろの戦場で自分の進化を望むか、平和な現場で平穏な日々を望むか、どちらも一長一短です。ただ、自分とは異質な考え方をする人とうまく付き合うことで、こういう極端な選択をせずに、ベストな結果を導き出せるのではないでしょうか。

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