言語の歴史は人類の歴史。そして人類はコンピュータを言語で動かすようになった。

自由さはあなたの能力を解放してはくれない

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先日、勝ち逃げ先生さんが私の事をコラムに書いていました。そこで「ただ強さの秘密を明かすと、どの侍よりも小論文の基本に忠実。」と指摘していました。私は大学ではなく専門学校だったので、小論文を書いたことがありません。人の書いた小論文というものも読んだことがありません。逆に「へー、そうなのか!」と感心しました。このコラムを書く前も文章を書く機会が多かったので、気が付けばそうなっていました。

このような書き方をするようになった理由は特に思い当たるものがありません。よく技術書を読むので、その本の書き方から影響を受けたのかと思いました。でも、技術書を読んでみてもこういう構成になっているものはありませんでした。ただ、感覚から判断して、人の脳みそが一度に理解できるのがだいたい二百文字程度です。その二百文字で言いたいことを一纏めにしていくと、話が伝わりやすいようです。それに気づいて、たまたま実践しただけです。

こういう考え方はマイナーな考え方かと思います。文章の書き方に限らず、自由にやらせた方が能力が発揮できると考えられます。ただ、何の手法も無いので「自由」になるとも言えます。書くことの心地よさを求めるなら、自由がいいと思います。ただ、質を求めるなら何等かの手法が必要になります。コードを書く時も同じですが、なんらかの手法に基づいた自由であってこそ、コードの可読性や効率が上がるのです。単なる自由では、行き当たりばったりになるだけです。

日本のITでよく見る、権力によるコード規則の押し付け等は、思考する自由と発想の自由を奪います。そういう現状から逆算して、自由な方が良質なコードが書けるように思うのかもしれません。あと、自由の心地よさを無意識に求めてしまうのかもしれません。何をもって自由とするかは、それぞれ意見が分かれるところでしょう。ただ、どんな自由であれ、制約のバランスが取れている状態が、最も能力を発揮できる状態と考えています。

コード規約のような制約でも、守ればチーム内のコードに統一性がでます。コード規約を軸に、人の入れ替わりにも対応できるようになります。いわば、山道に設置されているガードレールのようなものです。制約に嫌悪感を感じるのは、力関係で制約を押し付ける人が多い裏返しだと、私は考えます。ただ、賢い人が考えた制約というのは、逆に寄り添うことで安心感を感じます。優れた技法の背景には、賢い人の考えた制約がバックボーンになっているかと思います。

Comment(1)

コメント

勝ち逃げ先生

公務員試験の小論文を例に出すと、800文字〜1200文字程度で、1000文字以内なら4段落構成、それ以上なら5段落構成が一般的です。序論×1、本論×2(×3)、結論×1となり、自然と1段落200文字に落ち着きます。ぼく的には、Horusさんの『感覚から判断して、人の脳みそが一度に理解できるのがだいたい二百文字程度です。』の発言から、200文字5段落構成は、改めて正解なのだなぁと思った次第です。ま、コラムなんで肩肘はらずに好きなように書くのが正解なんでしょうけどね。(笑)
うんちくが長くなりましたが、いつも抜群に読みやすいです。引き続き楽しみに拝読致します。

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