言語の歴史は人類の歴史。そして人類はコンピュータを言語で動かすようになった。

GUIが簡単という幻想

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GUIをどんなに工夫しても、やろうとしている作業の複雑さは変わらないです。ただ、不出来なGUIで作業の複雑さが増すことはあります。GUIを工夫することで利便性が上がるのではありません。作業が最適化されるのです。利便性を上げたければ、処理のフローを考えましょう。GUIで解決できるのは視認性です。よく誤解されるのは、視認性が良くなると情報が整理されるけど、作業の複雑さ自体が減る訳ではありません。

複雑な作業は、GUIを使おうがCUIを使おうと複雑です。整理することで見やすくはできますが、フローを見直さなければ複雑さは解消しません。よく、高齢者にスマホを使わせるために、インターフェイスを簡素化した端末を見かけますが、アレではダメです。高齢者がスマホを使いこなせないのは、そもそも機能が多すぎるからです。システムを使う人が複雑さについていけなければ、GUIだろうとCUIだろうと使いこなすことはできません。

GUIは、何も知らない人でも最初のワンクリックならできます。また、画面を見れば何となく何かができてしまいます。GUIであれば、多少知らなくても「何となく」で操作ができてしまいます。これを「簡単」と言えば、確かに簡単です。しかし、操作ができても仕組みを知らないと、逆に深みにはまります。Excelのファイル一つをグチャグチャにする程度ならいいですが、これがサーバにインストールしたミドルウェアだったりすると顔面蒼白です。

インターフェイスがGUIだろうがCUIだろうが、分からない人は分からないです。簡単かどうかは、やりたい作業の複雑さに依存します。どんなに洗練されたインターフェイスでも、会計センスがゼロの人では弥生会計は使いこなせません。弥生会計を使いこなしたければ、ソフトが云々言う前に、まず会計の勉強をする方が賢いです。

GUIにすれば簡単というのは、ある程度は真実かと思います。ただし、簡単だから何でもできるかといえば、できることしかできません。「簡単」と「できる」を混同して「簡単だからできるよね」になると、明らかな間違いです。簡単かどうかは、最低限できるようになってからの話で、簡単だろうと難しかろうと、できない人にはできません。そういう人には、GUIで操作が簡単になっても意味がありません。だから、「GUIが簡単」というのが幻想になります。簡単か難しいかの前に、できるかどうかです。

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