言語の歴史は人類の歴史。そして人類はコンピュータを言語で動かすようになった。

第三の眼を持つススメ

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最近、私も疲れているのかもしれません。つい、イラッとしてKyonさんのコラムのタイトルをパクって弄りました。内容は全くリンクしていません。単にコラムのタイトルを眼にして、ぱっと浮かんだキーワードです。

第三の眼なんて言うと、「コイツ、とうとう頭がおかしくなったか」と思われるかもしれません。頭がおかしいの定義が、普通の人とどれだけ異質であるかということを基準にすれば、確かに頭がおかしい人の部類に入ると思います。「おかしい」というとネガティブな印象を持たれる方も多いかと思います。ただ実情は、差異が大きいというだけで、優れているか劣っているかは別の視点からの話になります。

人は、自分と大きく価値観が違う人と接すると「おかしい」と思いがちです。自分との差分をネガティブに受け取ってしまいがちです。これが価値観でなく、能力だったとしても同じです。どこかで聞いた話ですが、IQが 10 違うと話が通じなくなるらしいです。何らかエビデンスがある訳ではないですが、実経験から納得がいきます。能力が大きく違うと、どうやら見えている世界も別物になるようです。

そんなことで、自分より能力が格段に上で、かつ能力の分野が違うと、相手が超能力者に見えてしまうこともあります。ある意味、心眼を開いているようにさえ見えてしまいます。この科学文明が栄えた現代で「心眼」などと言うとただのおかしい人ですが、自分と大きく違う能力を持つ人と接する時には、相手が心眼を開いているくらいの感覚で付き合うと、円滑にコミュニケーションが取れたりします。

端的に言うと、馬鹿な発想だがやると役に立つ考え方です。この考え方をすることで、自分と違う人への無意識に向けるネガティブなイメージを払拭できます。また、「自分の方が上だ!」と無駄なマウンティングもしないで済みます。自分と違う世界を見ている人は、第三の眼「心眼」を開いているのです。結局、自分の見ることができない世界を見ているので、表現上、そういうことになってしまします。

私自身思うことですが、一芸を極めた人を理解できると思ってはいけません。それは慢心です。分からないままでいいのです。素直に尊敬しましょう。それで充分です。エンジニアの技術というのは普通の人になかなか理解されません。逆に言えば、普通の人で理解できる程度の技術をスキルに数えているのでは、エンジニアとして二流です。エンジニアなら第三の眼「心眼」を開きましょう。

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コメント

通りすがり

第三の眼というと、つまりサードアイ?

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