疲れた身体と心に響く書籍をご紹介

書籍「世にも美しき数学者たちの日常」を読んでみた。数学はこんなにも美しい【第30回】

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ありがとうございます。平岡麻奈です。暑さも厳しくなってきました。ここまで暑いと気が滅入ってしまいますが、もっともっと暑い場所は沢山あります。ただ私が経験した中で今がとっても「暑い」だけに過ぎず、この暑さを「涼しい」と感じる人もいると思います。

生活したことのない場所での暮らしに想像を巡らせます。暮らしの習慣だけでなく、思考等も大きく異なるかと思います。人の数だけ「正解」があり、その「正解」を理解し合う為にはお互いのコミュニケーションは欠かせません。外国のみならず日本国内においても、行動が制限されています。実際に臨場感を味わう機会が減ってしまった今だからこそ、映像や文字によって物事を理解したり、伝える力を身に付ける必要性があるのではないでしょうか。実際に読書は頭の中をグルグル回転させて、その状況を想像してみたりします。そんなことを繰り返していたら、妄想癖がついてしまうことも多々あり。けれど、自分なりの解釈が生まれたりすることは、読み手独自の個性の現れであり、面白さのひとつです。

私が興味のある世界のひとつ。それは『数学』の世界です。理系に進んだものの、その道を「究めた」訳ではありません。どこかで自分の限界を感じ、退いてしまったように思います。エンジニアの方向けの書籍には、沢山『数学』に触れる機会があります。そこに「数学が苦手な方でも大丈夫!」という見出しがあっても、どの程度が「苦手」で「得意」なのか、曖昧な部分があるかと思います。自身では『数学』に対して苦手意識がなくても、数式がぎっしりと並んでいるだけでページをめくるスピードが遅くなることはないでしょうか。行き詰ってしまう感覚を覚えてしまうと、なかなか勉強も捗りません。苦手意識の克服に大切なことは一体何なのでしょうか。考えた末、その答えはおそらく、「その道を楽しんでいる人の思考を知ること」にヒントがあるのではないかと感じました。例えば、自身が嫌いだと感じている食べ物をすごく美味しそうに食べる人がいたとして、延々とその食べ物についての利点や、美味しいお店について語られると、「嫌いだけど、そんなに言うならなんだか食べてみたいかも?」という気持ちの揺らぎを感じます。伝わる気持ちには嘘偽りがなく、純粋に好きだからという理由も重なり、魅力を出す要因になります。今回ご紹介する書籍は、『数学』を極める数学者の日常を追った内容です。エンジニアライフコラム「平岡麻奈のちょっと一息」の第30回は、『数学』に魅了され、「美しい」と表現するまでに至る過程を覗くことが出来る1冊を紹介します。

数学.jpg「世にも美しき数学者たちの日常」
【著】二宮 敦人
https://www.amazon.co.jp/dp/4344034503/

7人の数学者と、4人の数学マニアを通して、あまり触れられることのない『数学』の未知なる世界への旅に出かけます。数学者ってこういう人かな?と興味を抱きながら、実際に著者が話を聞き、その人となりに触れることで明らかとなる『数学者』の日常。本書を通して、『数学』の魅力を発見し、なにかひとつにこだわりを持ち続けることの「美学」を学ぶことが出来ます。また、人それぞれ『数学』に対する向き合い方の違いもあり、『数学』の奥深さを感じました。

・「こんな風に、素人にでもパッとわかる説明ができる。これが美しい証明であり、本当に理解したということなんです」(美しき数学者たち その1 4,芸術に近いかもしれない P,88)

・「数学雑誌を読むとね、『エレガントな解答を求む』とか普通に書いてありますよ。普通の解答じゃつまんないから、何かこうアッと言わせて欲しいというわけです」(美しき数学者たち その2 4,数学は嫌いになるはずがない、自分そのものなんだから P,187)


なぜ?と思った瞬間から『数学』が始まるのならば、どこに辿り着けば「理解した」と言えるのでしょうか。誰にでも伝わることは、シンプルで簡単なように見えるかもしれません。そこには、多くの数学者が『数学』と向き合い、費やした時間が出した結果だと思うと、『数学』は「美しい」と表現せざるを得ません。『数学』の美しさに触れていくと、解答は人の数だけあってもいいんじゃないかと思うようになります。それは、人それぞれ「美しさ」に対する違いを表し、その違いこそ「美しさ」を際立出せることと重なります。


・「ただ事実を積み重ねて、その結果行き着いた結論を、端的に返してくれた。だからこそ説得力があった。自分の選んだ世界の奥行きを数学の目から教えられ、図らずとも僕は励まされてしまった。」(美しき数学者たち その2 4,数学は嫌いになるはずがない、自分そのものなんだから P,192)


受け流したり、誤魔化すことのない事実を積み重ねこそ、「数学の誠実さ」を感じ取ります。『数学』的な考え方は問題を解くことに留まりません。どこか単調で、寂しく感じてしまいそうでも、事柄に対して的確に考察したことによる証明だと理解出来れば、なんとなく言葉を濁されるよりも嬉しい気持ちになります。


・「そういう遊芸としての数学とか、いい点を取って大学に入るための数学、すなわち受験数学が、日本では一人歩きしちゃってるところがあるのかと、点をできるだけ取って、ちょっとでもいい大学に入ろうとする人たちには、問題は解けてもその奥の意味を知る余裕がないんですよね。だから学ぶモチベーションが消えてしまう。せっかく大学に入ってもそのまま、いい点を取るにはどうすればいいのか、という気持ちのまま数学をしてしまうんじゃないか。数学の考え方を踏み台にして何かをより深く理解する、ということを目指すと、違ってくるとは思うんですが...」(美しき数学者たち その2 9,ちょっと、修行みたいなところがあります P,210)


私自身、公式や模範解答を丸暗記して試験に臨むことが多くありました。振り返れば、『数学』の魅力を感じるどころか、暗記する科目のような位置づけになっていたのかもしれません。本書では「定義なんていくらあってもいい」と示されています。『数学』は人の数だけある、丸暗記なんてもったいない。受験や試験から遠のいた今、『数学』に興味が湧いてくる感覚。大人になって『数学』を学びたくなるということは、『数学』への魅力に気づくことが出来た証拠です。確かこんな公式あったなあと、どこかで出会った公式との再会は、『数学』への理解を深めるチャンスかもしれません。


・ 「数学がつまらない、嫌いだと思った時、僕は数学の本をぽいと投げ出して他のことを始めてしまっていた。しかし嫌いな数学があるということは、その反対に好きな数学がどこかにあるかもしれないのだ。」(美しき数学者たち その2 11,頑張っても、そこには何もなかった P,281)

本書では、昔と今の『数学』の違いにも触れています。どちらが良いというわけでなく、自分が「面白い」と感じた『数学』を学ぶ。進歩が続き、変化をしている中でも、問題や不満は出てくるものです。今取り組んでいることが嫌いになりそうな時ほど、嫌いなことばかり目につきます。視野が狭くなっている自分に気づき、敢えて嫌いなことを「認める」。好きになれる角度を見つけられたならそれでいいと許す。苦手意識は「意識」に過ぎないこと、『数学』を通して、捉え方の多様性を大切に思えるようになりました。


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