若手の目からみたこの業界のアレコレ、気の向くままに書いてみます。

徒歩5分の憂鬱

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【Intro】

 社会人になってから今まで、ずっと「通勤時間、1時間弱」の生活を送っていました。紆余曲折があり、現在は会社まで徒歩5分のところに住んでいます。一見とても楽になったように思えます。しかしながら、人間どんな境遇でも不満は出てくるものです。「徒歩5分」のわたしも例外に漏れず、若干の不満があるのですが……。

【「電車通勤:1時間」の生活】

 わたしが社会人になったとき、「会社の近くに住む」という発想は皆無でした。わたしが最初に勤めた会社は東京都千代田区にありましたので、家賃がいくらかかるか分かったものではありません。安いところも探せばあったのでしょうが、そこまでして会社の近くに住むメリットが見あたりませんでした。都心から離れた「ベッドタウン」に住むことになるわけですが、それも実に自然な流れです。

 当時住んでいたのは、埼玉県にあるワンルームの部屋でした。JRと私鉄の両方の駅が徒歩5分ほどのところにあり、スーパーもすぐ近くにあるという結構恵まれた環境だったと思っています。会社までは私鉄とJRの両方で行けるのですが、JRで行こうとすると乗り継ぎもありますし時間もかかります。なにより座れる可能性が著しく低いので、できれば避けたいところでしたが……。そこまでうまく事が進むわけがなく、会社から指定された通勤経路はJRでした。出社初日から「洗礼」を受けることになったのですが、最初の数カ月はそれだけで疲れてしまったのを覚えています。

 次第にいろいろなことに慣れていくにつれ、「通勤時間の使い方」というのを少しずつ考えるようになりました。今でもあまり状況は変わっていませんが、当時は覚えることがいっぱいありましたので、勉強の時間に充てるようになるまでに時間はかかりませんでした。そうこうしているうちに、勉強するだけではなくリフレッシュのために時間を使うようになり……。社会人としてそれなりの「慣れ」が出てきたときには、そこそこうまい具合に通勤時間を使えるようになっていたような気がします。

 わたしにとって、この時間は貴重な時間であり、公私の区別をつけるための「境」とも言うべきものでした。

【「電車通勤:5分」の生活】

 その後、いろいろとゴタゴタもあり、転職することになりました。それと同時に引っ越すことになったのですが、一気に会社が近くなり、電車で5分のところに住むことになりました。通勤は非常に楽にはなったものの、本を読んだりリフレッシュのために使うには時間が足りません。「貴重な時間」からただの「無駄な時間」になったわけですが、かろうじて「境」の役割は果たしてくれていました。とはいうものの、他の社員が何人か近くに住んでいたため、微妙なところではありましたが。

 今から思えば、このくらいの通勤時間が一番わたしにマッチしていたように思えます。遠すぎず近すぎずの距離ですから通勤が辛いということもなく、勤務終了後にすぐに帰宅できるというのもあり、プライベートの時間を最大限活用できていました。

【「徒歩通勤:5分」の生活】

 またまたいろいろなゴタゴタがあり、再度転職することになりました。転職してから最初の数年は、再び「電車通勤:1時間」の生活を送るようになりました。しばらく「ちゃんとした通勤」から離れていたので、最初のうちは必要以上に疲れがたまりました。さすがに2回目の「電車通勤:1時間」生活ですから、すぐに慣れましたが。

 そんな生活を送っていたある日、わたし自身の業務内容が若干変化したのもあり、会社の近くに引っ越す必要がでてきました。それが今住んでいるところなのですが、長いとはいえない社会人生活の中で、初めて「電車通勤」から解放された生活を行うようになりました。通勤時間は自宅から会社への道のり、片道5分のみ。朝は勤務開始の30分前に起きれば間に合いますし、仕事が終わればすぐに家に帰れる……。

 ある種、最高の環境ではありますが、不満がないわけではありません。

【贅沢な不満】

 一番の不満は「公私の区別がつかない」という点でしょう。この点については、人によって感じ方は様々でしょう。しかしながら、この記事を書く際に、「同じようなこと考えている人っているのかな」と思い検索サイトでいろいろ探してみたところ、同じような不満を抱いている人は少なからずいるようですね。

 そもそも何でそんな風に感じるのかを考えてみると、わたしの場合は「公私ともに見る風景が全く同じ」というのがあるかもしれません。食事にしろ、買い物にしろ、仕事の時に立ち寄るところとプライベートの時に立ち寄るところがほぼイコールなのです。今住んでいるところ(=自宅と会社の所在地)が非常に利便性の高い環境であるので、行動範囲が似通ってきてしまうんですね。そんなこんなで、どうも新鮮味が薄れているのかもしれません。

 電車通勤をしていたころは「終電の時間」を理由に帰っていたのもあり、必然的に1日の作業時間に上限がありました。が、徒歩で帰宅できる範囲に住んでしまうと、その手が使えません。あまり忙しくないときならまだいいのですが、ある程度忙しくなってくると「あと、もうちょっと」でずるずると仕事をし続けてしまい、帰るタイミングを逃すというのもないわけではありません。また、仮に徹夜する事になったとしても、「いったんシャワーだけ浴びて、またこよう」ということになりかねません。……幸いなことに、今のところそのパターンは経験せずに済んでいますが。

 「終業時間」だけではなく「始業時間」についても同じ事がいえます。この間実際にあったことなのですが、たまたま朝4時に目が覚めてしまった日がありました。しばらくは自宅のパソコンを立ち上げていろいろとやっていたのですが、やることもそんなになかったため時間を持て余すようになりました。また寝ようかとも思ったのですが、その日は目が覚めてしまっていたため断念しました。幸か不幸か、そのときは仕事がたまっていたため、会社に行けばやることがある状況でした。結果、朝6時から仕事をすることになりました。……唯一の救いは、その日だけで、結構な量の仕事が片付いたことでしょうか。

 ここまでに挙げたことは、自信のさじ加減でいかようにもできることではあります。しかし、なかなか簡単に変えられるものでもなく……。難儀なものです。

【Outro】

 なんだかんだ言いつつも「徒歩通勤:5分」の生活は快適で捨てがたいものがあります。しかしながら、一番バランスがとれていたのは「電車通勤:5分」の頃かもしれません。自分が贅沢なことを言っている自覚はあるのですが、隣の芝生は青く見えるものです。

 今の生活がずっと続く保証はありませんので、またいつか「電車通勤:1時間」の生活に舞い戻ることがあるでしょう。電車に揺られ、車窓に映る自分の顔を眺めながら、「あぁ、あのときはよかったなぁ」などとつぶやいているのでしょうか。そんな生活になったら、またいろいろと考えてみるのもいいかもしれませんね。

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