人と機械の分析力について
2002年8月7日の「@IT通信」に掲載したコラムを紹介します。編集部員Kは、自分が知らない分野の書籍を人からすすめられることが好きです。人は、自分が知らないことを調べることはできない。
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新聞や雑誌の書評欄で紹介された新刊を入手する場合、かつては、ジュンク堂やLIBRO、芳林堂といった大型書店に足を運び、目を皿のようにして当該の書籍を探索し、それでも見つからないときは、検索データベースを活用し、そこまでしても見つからないときには、店員さんに聞いていたものでした。
もちろん、いまでも本屋に行って、同じようなことを続けているのですが、Amazonを利用する以前と比較すると、目当ての書籍を探索する苦労はかなり軽減されました。机上のPCで目当ての書籍が即座に検索可能という状況は、書籍探索にかける仕事量と時間を著しく削減してくれたのです。
利用者であればご存じでしょうが、Amazonは購入履歴を蓄積し、そのデータをもとに購入者の嗜好傾向を分析して「おすすめの書籍」を紹介してくれます。神保町の古本屋街に足繁く通っている人であれば、店を訪れるたびに書店員があなたにぴったりの「おすすめの書籍」の入荷を教えてくれる、この幸せについてよく分かるのではないでしょうか。Amazonも同じことを厳密なデータの分析で行っています。
ただし、そういうおすすめが必ずしもぴたりと当たるとは限りません。それはあくまで蓄積されたデータからはじき出された傾向に過ぎません。人の嗜好は複雑怪奇な要素の塊から漂う臭気のようなものです。ピンポイントでその人の好み通りの書籍を選択することは不可能でしょう。恐らく自分自身でも自分の好みとやらを分かっていないことが多いのではないでしょうか。
結局、人の感性によるゆらぎを含む分析と、機械による極めて論理的で隙のない分析には大きな違いはないのかもしれません。どっちでもいいんですけど、少なくとも私にとっては。どっちも間違ってるし、どっちもあっているわけですから。
つまり、人はしょせん孤独なのさ、ということでした。