我がエンジニアライフに悔いなし? -第5話(後編)
第5話 後編(最終話) 第2のエンジニアライフ
前編の続きです。
(二屋演次氏の病室にて)
「叔父さん、こんにちはー」、「こんにちはー」
■野球少年とパパ
この声は、甥っ子の定治とその息子の飛雄馬じゃな。
「おじいちゃん、動かないよ。死んでるの?」
「そんなことないよ。ちゃんと飛雄馬の声を聞いているさ。今日のことを話してごらん」
「今日の試合でねえ、ボクがリリーフして勝ったんだよ。満塁のピンチを大リーグボール1号で打ち取ったんだ!」
大リーグボール1号? あの魔球を投げたのか。すごい!
「運よく、暴投が相手のよけたバットに当たっただけですけどね。でも叔父さん、勝ち進んだので明日は区大会の決勝ですよ。今年から僕もコーチになったので、土日は全部駆り出されてますよ」
がんばっているようじゃのう。
■エンジニアの卵とパパ
「先週は、パパと一緒にロボット教室の親子合宿に行ったんだよ」
ロボット教室???
「レゴブロックにモーターやセンサーを付けてロボットを作るっていう教室があるんですよ。エンジニア教育としてやらせてます」
「ロボットサッカー大会で優勝したんだよ!」
「運よく、相手のオウンゴールで勝っただけですけどね」
そんな教室があったのか。面白そうじゃのう。
■エンジニアは忙しい?
でも定治はIT系のエンジニアだろう。忙しくないのか?
わしが現役だったころは常に忙しかった。深夜残業は当たり前。休日出勤もあれば徹夜もあった。エンジニアは質の高いモノを作るのが仕事だ。仕方がない。
そういえば、残業しないでとっとと帰るヤツが一人だけいたなあ。子どもを4人も作って、仕事そっちのけでコラムばかり書いておって。エンジニアの風上にもおけぬヤツじゃった。名前はたしか、「あっかんべ」 だったかな?
■ワークもライフも楽しもう
「叔父さんは生涯エンジニアで仕事一筋でしたよねえ」
「お仕事が忙しかったの?」
「そうだよ。パパのパパ、演一お爺さんも仕事人間だった。いつも会社にいたからパパは全然遊んでもらえなかったんだ。しかも体を壊してパパが大人になる前に亡くなってしまった」
「うん。前に聞いた」
「パパは父親との想い出がほとんどなくて寂しかった。だけどおまえにはそんな思いはさせたくない。パパは家庭を大切にしたいんだ。
パパが最初に勤めた磯樫システムズという会社はみんなが毎晩遅くまで残業している会社だった。遅くまで残っている人が評価された。パパはそんな生活が嫌になって今の会社に移った。今では定時に帰る日も多いし休日出勤もない。その代わり、朝早くから全力で集中して働いているからこなす仕事の量は少なくない。仕事も家庭も、今の方が充実してるのさ」
そうか。時代が変わったのかなあ。仕事も家庭も充実か。これがワークライフバカンスってやつじゃな。いいのう。
■人は幾つまでチャレンジできるか
わしはエンジニアとしては充分なことをやってきた。悔いはない。だけど、暖かい家庭を持って子どもを育てるということだけはできなかった。息子とキャッチボールをしてみたかった。定治のようなワークライフバカンスも体験したかった。それだけが残念じゃ。
いや、まだだ。わしに不可能はない。諦めるのはまだ早い。人は幾つまでチャレンジできるか? 45歳だろうが、84歳だろうが、それが必要であれば「いつでも」だ。体を治して立ち上がるんじゃ。48歳のハローワークならぬ84歳の婚活をして、加トちゃんのように若い嫁さんをもらって、あっかんべのように子どもを4人作るぞ。第2のエンジニアライフを始めるのじゃ。やるぞ。気合いだ!気合いだ!気合いだ!気合いだ!気合いだ!
ガバッっ!
「わっ、おじいちゃんが起き上がった!」
(完)
■あとがき
スティーブン・R・コビーの「7つの習慣」の1つに「終わりを思い描くことから始める」というものがあります。人生の終わりを迎えたときに、自分がどんな人物だったと思ってほしいか、を考えることで、自分にとっての成功とは何かを見つけることができる、というものです。
この「我がエンジニアライフに悔いなし?」の第1話から第5話までの主人公たちは人生の最期に悔いを残しています。それぞれのエンジニア人生の終わりを思い描きながら書いてみました。この話が読者の「終わりを思い描く」きっかけになってくれればいいなと願っています。
abekkan でした。