いろいろな仕事を渡り歩き、今はインフラ系エンジニアをやっている。いろんな業種からの視点も交えてコラムを綴らせていただきます。

ロジカルに依存する人はAIに淘汰される

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ロジカルと野生の勘

ロジカル思考というのは非常に便利だ。問題解決に活用できるし、活用できれば有利に仕事を進めることができ、優秀な人の条件のように扱われている。本屋に行けばロジカル思考の本がたくさん置いてあるし、講座やそれ用の研修もいろいろある。その割に、使いこなせている人より振り回されている人の方が多いように思う。

ロジカル思考の対極といえば、野生の勘と言ったところだろう。直感や言葉で説明できない混沌としたものをまとめてこう呼んでいる。言葉として定義は無いが、「野生の勘」と言えばなんとなくニュアンスは伝わると思う。それだ。定義云々すら取っ払った三歳児的な発想だ。ロジカル思考を好む人にとっては受け入れがたい考え方だろう。

ただ、この野生の勘もロジカル思考も経験を元に行動するのは同じだ。手段としての優劣も無い。違いがあるとすれば、言葉で説明できるかできないかだ。野生の勘よりロジカル思考の方が優れていると思うかもしれないが、三歳児の直感の鋭さと行動力はすさまじい。ロジカル思考では真似ができない。

人間の能力には発想や直感のように、言語化できない要素がある。武道やスポーツでも、見てから思考を介さずに身体が反応することがある。思考を介さなくても、自分の意図したとおりに反応することができる。思考を介さずに反応するので、ああいう能力はロジカル思考では再現できない。

ロジカルを活用する人は意外と野性的

よく勘違いされることだが、言葉にできない要素を切り捨てるのがロジカルではない。言葉にならないものを言葉に落とし込むのがロジカル思考だ。世界には、人間の知らないことや言葉で表現できない事象の方が遙かに多い。それを切り捨てたら、思考の幅が極端に狭まる。俗にいう頭の固い人たちだ。

ロジカル思考に熟達した凄い人が知り合いに何人かいる。何が凄かいかといえば、どのような場面にどのような理論を適用するか。その選択が野性の勘で迅速に行われているところだ。ロジカル思考と野生の勘は対局ではあるが連携はできる。排他的な手法ではないということだ。これができる人を、私はロジカル思考の達人だと考えている。

ロジカル思考にしても、野性的な勘にしても、どちらも根本としているのは経験に基づいている。根本は同じなので連携ができるのだろう。互いに欠けているものを補うことができるので、連携させると最大限に能力を発揮することができる。ぱっと見は真逆で相反するようだが、相性は抜群だ。

どうあれ、大事なのはロジカルか勘かではなく、根本になる経験の質と量だと私は考える。どんなに高度なロジカル思考のテクニックを駆使しても、どんなに鋭く勘を研ぎ澄ませても、プログラムを勉強した経験の無い人がプログラムを組むことはできない。能力を存分に発揮したいなら、ロジカル云々より良質の経験を積み重ねることだろう。と、かなり当たり前な結論にたどりついた。

AIに淘汰される対象

コンピュータが普及しだしてから、勘というのは適当の代名詞のような扱いを受けているように思う。お客さんにプランの説明を求められて、「エンジニアとしての勘」と答えたら、多分、明日から仕事がなくなるだろう。勘だけで話しをすると顰蹙を買うが、ロジックだけで語っても机上の空論と揶揄される。問題なのは、どちらか「だけ」しか機能していないことだ。

勘のように根拠が無いものがデータに対して通用しないのと同じように、ロジックだけならコンピュータの方が優れている。扱っているデータ量も多いし、計算速度も速くて正確。前もって決められたロジック通りに処理をすれば人間では太刀打ちできない。勘に頼る人と同様に、ロジカル思考に依存する人も、AIに淘汰される対象に入る。

AIが普及していくこれからの時代、創造性を持つ人が生き残るというのはよく言われている。しかし、だいたいの人は「創造性って大事だよなwww」と、情報を知っただけで自分が創造性を身につけたように錯覚する。一般的な人のロジカル思考はこのレベルだ。真っ先に淘汰されるのはこういう人たちだと思う。情報だけ知れば、確かにロジカルっぽい話はできる。

これからの時代を生き延びるには、更にロジカルに走ることではない。ちょと野性的な勘を取り入れてみることだ。ロジカルに依存するより楽しくて簡単だ。どうやればいいかは、あなたの勘に任せる。少しは自分というものを信じてみよう。信じるべきは、難解なロジックではなく自分自身ではないだろうか。

AIはどうやって人を淘汰するか

優れたAIが人間の仕事を奪って淘汰していく。よく、こういう論調の話を聞く。実際は、AIに振り回される人が暴走して自滅するというのが妥当だと思う。もし私たちが人として成熟しているなら、仕事はAIに任せて、自分たちは芸術やら学問に専念して楽しく過ごすことができるはずだ。

AIを仕事の奪い合いで使えば、多くの人を巻き込んで自滅する。ロジカルに依存する人は、使って自滅する人ではなく、巻き込まれる側の人と言える。AIは便利だし優れている。通り一辺倒な理屈では「良い」としか答が出ない。デメリットについて言及できないので、AIで自滅する人の周りに集まって自滅に巻き込まれる。

世の中の不幸の大半は、強欲な人の暴挙からのとばっちりだ。そういうものに巻き込まれないためには、自分が賢くなるしかない。その一つの手段として、ロジカルと野生の勘の共存を提案したい。良質の経験を多く積んで、自分自身の内側から出てくるものを信じてみるという実践だ。

「おっぱい。」ただそれを実現したいがために芸術は進化した。そういう側面もある。直感に引っかかったぷるぷる揺れる二つの物体をロジカルに追求し芸術の域まで高める。それを実現した人は歴史上たくさんいる。そんなので十分だ。難しい屁理屈をこねてうだうだやってるより、喜びのために情熱をもやし、頭をフル回転させよう。それでいいんじゃないだろうか。

Comment(1)

コメント

エロす

なるほど、AIで作ったおっぱいが見たいのですね。
そーいえば、「おっぱいポリゴン倍増!(当社比)」っていうエロゲーがあったなぁ。

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