劣ることを許す強さ
優れようとする弱さ
優れたいと思う心の裏側は、劣りたくないという不安や恐怖だ。本当に優れるためには、この恐怖や不安を超える必要がある。それを、「劣ることを許す強さ」と私は考えている。決して劣ることを妥協して迎合するという意味ではない。優れたいと思う気持ちの裏側に何があるか。それが大事だ。
例えば、成績が劣っていたら学校ではいじめの対象になりやすい。同様に、仕事ができない人は何をされても文句を言えない。そういう立場になりたくないから頑張っているという人はよく見かける。残念なのは、そうやって頑張った人ほど劣っている人を虐げる。これが人としての弱さなのだと私は思う。
一般的な視点からすれば、優れようとするのは非常に強い向上心があるので素晴らしいと評される。しかし逆に、優れるためにあらゆる人を蹴落とすような冷たさ、優れた人に対する強烈な妬みを持ったりと、全く素晴らしくないケースもある。同じ「優れようとする」人でも、中身によってその価値は大きく変わる。
優れようと思う動機が不純なことも多い。特に、利益の絡んだ競争では汚さが噴出する。優れた成績を残したいがゆえに不正やごまかしに走るのはそのためだ。優れようと躍起になると、心に隙ができやすい。それが精神的な弱さに繋がる。心の隙が判断を誤る原因になり易いのはもちろんのこと、イタイ発言や残念な行動の原因にもなるので注意しよう。
ミスらないよりミスを許す
私は学生の頃、ケツから一桁台だった。働き出してからは、仕事ができる立場も経験したし、仕事ができないと散々な立場も経験した。実際のところ、仕事ができると言われる人とできない人の差は実力ではない。仕事ができる人の方が、理由はどうあれ多くのミスを許されている。仕事ができるようになるには、ミスをしないよりミスが許されるような立場になる方が有効だ。
失言をしても、許される人と追求される人がいる。実力が同じであれば、許される人の方が精神的な負担が軽い。精神的な負担がかるいので、ミスも起しにくくなる。「いや、ストレスで緊張した方がミスは減るんだ。」という人もいるかもしれない。そういう人は、みんなに虐げてもらうといい。実際どうなのかがよく分かるはずだ。