エンジニアとしての優しさって何だ
強いだけでは人はついてこない
スキルの高いエンジニアというのは尊敬される。ただし、スキルが高い「だけ」のエンジニアは敬遠される。一緒にいて疲れるからだ。人というのは、何だかんだで能力だけで人を判断しない。どちらかと言えば感情で判断することの方が多い。想像するより正しさに価値は置いていない。
一緒に仕事をすると分かるが、スキルの高さに任せて、自分が面白いと思ってた仕事を全部持って行かれてしまったらどうだろう。いい気分はしないはずだ。また、自分の意見に対して、必ず否定して自分の正しさを被せてこられたら、相当に鬱陶しいと思うだろう。私はそういう人と仕事をしたくない。
スキル自体に価値はない。スキルをどう活用するかが本当の価値だ。仕事で存分に活用して、会社の利益を出すなりできれば人にとっての価値が生まれる。逆に、自分の優位性の確保に利用すれば、自分にとっての価値は最大限だが、周りの人にとっては利益は少ない。
技術を優位性の確保に利用すれば、仕事は簡単に属人化してしまう。ドキュメント作らずに突っ走ったり、やり方を人に教えなければ、後からくる人は追いつけなくなる。自分の優位性を確立できるが孤立する。周りから見ると、こういう人は凄く強そうに見えてしまう。しかし実態は、一人で走って孤立しているだけの人だ。
エンジニア同士の衝突
スキルの高い人ほど仕事をこなせる。これは一般的な常識だ。しかし、あくまで一人でやる仕事という条件に限られる。チームを組んでやる仕事では、スキルの高い人を集めただけでは成果が出ない。逆に、お互いの主張がぶつかって仕事が回らなくなってしまうことも多い。
スキルの高い人同士でぶつからなくするにはどうすればいいのだろうか。優れたマネージャをあてがうのもいいだろう。役割分担をハッキリさせるというのもいい。しかし、エンジニア個人でできるアプローチは何だろうか。それを突き詰めてたところ、「優しさ」というキーワードが浮かんだ。
エンジニアであれば、自分の技術で問題を解決したら楽しいと感じるだろう。しかも、周りから賞賛される。この状況が、目の前に楽しいゲームが置かれている状況に似ている。ここで、何人かいたとして、一人だけでゲームを独占しようとするか、みんなでゲームを楽しもうとするか。「優しさ」の有無で発想が別れる。
みんながゲームを独占しようとすると、必ず争いが起きる。この争いが、スキルが低い者同士であれば治めることは簡単だ。しかし、スキルの高い人は、手元に強力な武器を持っている。その分、争いの規模も大きくなるし、内容もより凄惨なものとなる。
成果を分かち合うということ
プロジェクトを成功させたいと思うなら、成果を分かち合おう。言い方を変えると、仕事のおいしい部分を独占しちゃダメだということだ。スキルに任せておいしいところを独占すると、他の人がつまらなくなる。そうなれば当然、周りの人が離れていってしまう。そして孤立してしまう。
あと、仕事のおいしい部分を独占したら、当然おいしくない部分が残る。おいしくない部分の始末をする人は、それはつまらないだろう。お互いの意識の差が大きくなるので、当然、心理的な距離が離れていく。結果、意思の疎通がうまく取れなくなり、業務に支障をきたすようになっていく。
仕事をしている時の楽しさと結果というのは、意外と比例している。だったら、一人だけ楽しいでなく、みんなで楽しい方がより多くの結果が得られる。お互いを尊重しあって、お互いの長所を認め合うような環境になれば、能力だっていかんなく発揮できるはずだ。
ではそれを実現するには何が必要かといえば「優しさ」ではないかと思う。分け合うにしても、一人で独占するにしても、理屈は通る。しかし、どちらを選ぶかという決定は、精神的な余裕に依存する。この精神的な余裕の形の一つを優しさだと考えている。精神的な余裕と考えれば、みんなに優しさがあってもいいかと思う。
優しさって何だ
ただ、「優しさ」とを単に甘やかすことだと考える人は多い。だが、辞書を引いてみよう。おおよそ載っている意味は、「心あたたかく思いやりがある。」だ。甘やかすなんて意味は載ってない。優しさを単に甘やかすとどう意義で考えるなら、それは間違えた解釈だ。考えを改めた方がいい。
では、エンジニアとしての優しさとは何なのか。それは、正しいものは正しい、間違えているものは間違えていると、的確に相手に伝えることだと思う。エンジニアが持っている技術的な観点でそれをやるのが、エンジニアとしての最大の思いやりではないだろうか。
言ってることは理論的だが、結論の持って行き方が感情的な人は多い。言っている内容は理論的に組み立てているのだが、結局言いたいことが「お前は間違えている」とか、「それダメじゃん」だったりする。言っていることは正しいが、自分の気持ちを発散しているだけで、次に繋がらない。
優しさとは、究極のリアルの追求だ。目の前の事象だけではなく、相手の心理まで包含して考えることだ。単に技術を追求するよりハードルは高い。非常に高度な実践だと思う。本当のや優しさは、ドラマなんかでやっているほんわか甘ったるいものではない。人を対象とした高度な分析と対応の技術だと考えている。