いろいろな仕事を渡り歩き、今はインフラ系エンジニアをやっている。いろんな業種からの視点も交えてコラムを綴らせていただきます。

怒ったり悔しがっても結果は出ません

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すげー理論だなおい。

最近はあまり聞かなくなったが、というか、そういう発想をする人と距離をおいているが、「悔しさをバネにして頑張れ」とか「怒りを糧にして」という人がいる。よくよく考えると、凄い発想だと思う。普通に考えると、悔しさとか怒りを抱えた状態というのは精神が錯乱してる。

悔しさや怒りを感じたときは、一度心を落ち着けるようにしている。そのまま突っ走ると、あらぬ誤解を生んだり、無駄に人と対立することになる。何より怖いのは、自分の非に気づかないまま突っ走ってしまう危険が大きいことだ。悔しさや怒りは、正常な判断を妨げる意外の何者でもない。

悔しさは感じた時点でダメージだ。怒った時点で冷静さを欠いている。それ自体に何の意味は無い。よく、圧迫面接や情熱的指導という屁理屈で、相手にわざと悔しさや怒りを感じさせる接し方をする人がいる。あれはただの言葉の暴力だ。大した理由も無くぶん殴っているのと大差は無い。

人はぶん殴っても成長しない。「悔しさをバネにして頑張れ」とか「怒りを糧にして頑張れ」と言っても、単に弱い人を叩いてスカッとするための言い訳でしかない。悔しさや怒りで精神が不安定な状態で、本来の力すら出せるはずもなかろう。それでもというなら、自分が誰かに同じことをしてもらおう。不愉快な思いだけが残るのが分かるだろう。

怒りを糧にし悔しさをバネにできる条件

一応、怒りを糧にしたり、悔しさをバネにできる条件というのはある。無駄を補ってなお余りある程の余裕がある状況だ。団塊世代の人やバブル世代の人なら、こういう条件が備わっていたのだろう。彼らの武勇伝を聞くと、能力を発揮たというより、周りの同情や共感を集めて成功してる例が多い。その証拠に、具体的な手段について語る人が少なく、やたらと「頑張った」を力説する。

だが、今の時代はそんな悠長ではない。人類かつて無いほどの経済競争の激化で疲弊しきっている。正に末法の世といったところだ。昔とは考え方が大きく変わったので、余裕に満ちた昭和時代の理屈は通らない。昭和時代の人がやられて怒っていた事を今の人にやると、怒らずに呆れられるだけだ。同様に、昭和時代の人が悔しがるような事をやると、別の手段を模索する。

条件によっては、怒りを糧にして結果が出ることもある。ただ、いちいち怒らずに考えて行動した方がより良い結果が望める。悔しさにしても、いちいち悔しがりながら我慢しなくても、悔やまずに行動に移す方が早い。外国の人なんてだいたいそうだ。怒る時は純粋に怒る。悔しがる時は純粋に悔しがる。それで十分だ。

実際のところ、怒ることと結果を出すことに因果関係は無い。悔しがることについても同じだ。結果が出るか出ないかは、感情ではなく何をやったかで決まる。思い切り怒ればリミッターが外れるので、殴り合いでは強いかもしれない。本気で悔しがれば、感情に勢いがつく。クレームは通しやすくなるかもしれない。怒りや悔しさが結果に結びつくケースといえば、実際のところこんなものだろう。

そもそもそんな奴いたら嫌だろ

ちょっと視点を変えてみる。仮に怒ることで結果が出るとして、結果を出すためにいつも怒ってる人がいたらどうだろう。誰も近付きたいとは思わないだろう。また、自分が常に怒っていたいかというと、これもそうは思わないだろう。怒るというのは、非常に不愉快だ。しかも疲れる。

同様に、仮に悔しがることで結果が出たとしよう。結果を出すためにいつも悔しがってる人がいたとしよう。私はそういう人と友達になりたいと思わない。きっと誰でもそうだろう。また、自分がいつも悔しがっていたいだろうか。これも嫌だ。すごく精神的に暗くなりそうだ。後ろ向きな発想しか出なくなって、人生を損しそうだ。

間違いなく言えるのは、普通にやって結果が出せない人は、怒ろうと悔しがろうと結果は出ない。自分の思うような結果が出ないからといって、感情の赴くままに怒ったり悔しがったりしても、周りが不快になるだけで何の解決策にもならない。特に、非常事態であればなおさらだ。怒ったり悔しがって結果が出ると思っている人は、必ず別の方法で結果は出せる。

結局、怒っても悔しがっても大した利益は無い。怒りたかったり、悔しかったりする場面ほど、冷静になる必要がある。怒ることも悔しがることも、それ自体はカッコ良くない。むしろカッコ悪い。怒っても悔しくても、自分に負けないのがカッコ良いだけで、怒ってたり悔しがってるだけじゃカッコ悪い。

とりあえず落ち着け

人間の思考が一番冴えるのは心が落ち着いている時だ。思い出して欲しい。プロの棋士が将棋をしている時、怒っていたり、笑っていたりするだろうか?普通、真剣な顔をしている。怒っても喜んでもいず、ただ目の前の戦局に集中している。ああいう感情がフラットな状態こそ思考するのに最適だ。脳みそのリソースを思考にフルで割り当てることができるからだ。

別に感情を否定する訳ではない。冷静に考えるべき時は落ち着いた方がいいということだ。本能に任せて感情を振り回しても、本質的に出せる力は変わらない。もし、普段の力以上の潜在能力が出せるとしたら、感情が吹き飛ぶレベルの危機的状況だ。俗に言う火事場の馬鹿力と言うものだ。怒るとか喜ぶという感情自体は、火事場の馬鹿力のはきっかけにならない。

怒るとすごく力が出そうだが、実のところは短距離走で全力ダッシュするのと同じだ。一瞬の力は出るが、継続的に力は出ない。逆に、喜こんでも力は出ない。モチベーションは上がるかもしれないが、本質的な能力は変わらない。感情というのは心の状態というだけで、能力の底上げはしてくれない。能力を発揮できてるという「気分」の感じ方が変わるだけだ。

そもそも、能力というのは普段から鍛え上げていくものではないだろうか。普段の鍛錬を抜かして、感情でどうにかできるという考え方がおかしい。結果を出したいなら、普段から鍛錬を積み重ねよう。一時的な感情に任せるより確実だ。あと、感情で云々する前に、まず手段を模索しよう。手段が間違えていたら、怒ろうが悔しがろうが間違いなく結果は出ない。

悔しさを感じたり、怒りを感じた後にするべきことは「反省」だ。それを抜かして頑張っても、何も結果は出ません。

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