いろいろな仕事を渡り歩き、今はインフラ系エンジニアをやっている。いろんな業種からの視点も交えてコラムを綴らせていただきます。

結果主義と実力主義の違い

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実力と結果の混同

結果主義と実力主義というのは混同されやすいと思う。結果が出る、イコール実力があると思われるからだ。これについては、視点によって色々と解釈できる。結果を出す力が実力と定義すれば、混同ではなく類義になる。結果は結果、能力は能力と分けて考えれば全く別の意味になる。

実力があれば結果は当然ついてくる。そう考えるのが一般的だ。しかし現実はもっとバリエーションが多い。実力があっても、条件が揃わないために結果を出せないとか、実力が無くても周囲の助けによって結果を出したりする。何をもって実力と言うか、何をもって結果と言うか、これも個人個人で結構バラバラだ。

この手の話で議論をすると、意見が噛み合わないことが多い。それぞれが大きく間違えたことを言っている訳ではないが、見ている観点が違う。単純に正しい、間違えていると判断を付けようとすると、話に収集が付かなくなる。平行線で変にテンションばかり上がるので、この手の話は酒を飲みながらやりたくない。

個人的には、結果主義だろうと実力主義だろうとどうでもいい。結果主義は出した結果を基準に考える手法で、実力主義は能力の高さを基準に考える手法だ。それだけの話で、両方の基準を掛け合わせて判断することもできる。ただその場合は、二通り掛ける二通りの四パターンの結果が出るので、単純なYes,Noの二通りの回答は得られない。

見方は多様で事実は一つ

どう主義主張を持つかというのは一見大事なようだ。しかし、実際はそんなことはどうでもいい。主義主張と言う型よりも、現実をより的確に認識した人が結果を得る。それだけだ。結果に判断基準を置けば結果主義。実質的な能力に判断基準を置けば実力主義。というそれ以上、それ以下でもない。

◯◯主義という考え方は、テンプレートとしては非常に使いやすい。うまく使えば、先人の積み重ねた思考パターンを存分に活用できる。ただ、あくまで基礎的な部分なので、自分で固めていかないと穴だらけになる。あとは、どういう条件の時にその考え方を使うかを掴めば、最善の結果が望める。

だが、人がどう考えようが事実は一つだ。見る方向を変えても事実は変わらない。変わるのは自分の感じ方だけだ。結果主義だろうと、的確な手段を実行できなければ結果は得られない。実力主義でも、努力を怠れば実力は付かない。考え方の指針としては、◯◯主義でいいと思う。しかし、行動が伴わなければ何も変わらない。

ものの見方は多種多様。取れる手段は限られる。そして事実は常に一つ。多種多様だからと言って、その中に正解が含まれるとは限らない。もちろん、現実主義だからといって正解、実力主義だからといって正解というのは無い。たまたま条件が一致したら、その部分だけが正解になる。

一連の流れから考える

実力のある人が行動して結果が出た。私たちが一般的に考える成功パターンだ。この条件しか頭になければ、結果主義だろうと実力主義だろうと差は出ない。想定している条件が狭いので、いくら考えたところで同じ内容が頭の中をループするだけだ。「じゃぁどうすればいい?」という問いを投げても、「頑張れ」しか返答が返ってこない。

例えば、実力が無くても結果が出せる。そういう条件を加えたらどうだろう。これは実際にあり得る。実力ではなく、発想で結果を得たり、チームワークで結果を得ることもできる。こういう発想が加わると、実力主義と結果主義で差が出てくる。「じゃぁどうすればいい?」という問いを投げかけると、答にバリエーションが出る。

もし、周りの人がコネや人間関係ばかりで成り立っているような組織にいたらどうだろう。結果と実力が結びつかないので、実力主義という言葉が結果主義という言葉とは別の意味を持つようになる。そもそも、コネや人間関係だけで得た実質の無い評価を「結果」なのかは怪しいところではある。

このように、状況が変わることで言葉の意味合いは全然変わってくる。これは人の話を理解する上で凄く重要だ。同じ言葉でも全然逆の意味になることさえある。結果と実力というのは、関係ありそうで関係なさそうな、考え方次第で大きく関係の変わる組み合わせだ。こういうキーワードが出たら、言葉の定義なんて言ってないで、話の流れをよく整理するといい。

違いが分かる男(もしくはレディー)になるには

エンジニアというのは一般的に理論的だと言われている。反面、言葉ばかり追いかけてそれっぽい話に酔いしれ易い。エンジニアの話が分かりにくいのは、単に専門用語が多いからではない。理屈大好きで話の流れを見ないで話すから、というのもあるように思う。言葉には背景があり、気持ちがあり、たまに誤用や誤解が含まれている。

言葉ばかり追いかけると、思わぬところで罠を踏む。言葉として書き出すと、一度読めば意味だけは分かる。だが、流れは何度か読まないと汲み取れない。これをやるかやらないかで、大きな違いが出てくる。

流れなんて言われても漠然としすぎているかもしれない。別の表現をすると、何かしら伝えたいことが発生した原因から言葉になるまでの経緯だ。人に物事を伝える時、結論から言えとよく言われるが、逆に言うと「起承転結」の「結」しか言わない。「起承転」の部分が私の言う「流れ」だ。

結果主義と実力主義を例に挙げたが、言葉尻ばかり追っていると重要なことを見逃す。条件によって変化する意味を、条件を見ずに語っても本当の意味は見えない。それはコードを書く時も同じではないかと思う。見るべきは、言葉ではなく現実ではないだろうか。

Comment(1)

コメント

いっち

結果主義や実力主義にこだわる人は、その主義が自分が得意で有利な土俵だから、そこに他人を巻き込もうとして主義を主張してると思っています。
コラムの結論と同じようにケースバイケースなのに。
ただ上記の理由からケースバイケースに主義や思想を変えるのは難しいだろうなと思います。
場合によっては、自分の不利なことが今必要かもしれないわけで…

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