いろいろな仕事を渡り歩き、今はインフラ系エンジニアをやっている。いろんな業種からの視点も交えてコラムを綴らせていただきます。

AIがプログラマの仕事を奪うのはいいが、それが何なん?つーか、そもそもAI開発して何したいん?

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■仕事が奪われるとか核心ではない

 手塚さんの書いたコラムのネタに便乗して私も書いてみた。こういう仕事が奪われる的な話題を読むといつも思うことがある。「仕事が奪われる」って言葉のインパクトで思考が停止してないだろうか。

 そもそも、AIが発達して自動でプログラミングをできるようになったとしても、要件定義がクソなら炎上する。クソをぶち撒ける人がいる限り、何を使おうと炎上する。クソをぶち撒ける人に限って、炎上の原因をコンピュータに押し付けるだろう。いつものパターンだ。

 どんなにAIが進化しようと、誰かに文句を言いたいのは変わらない。文句を言う相手がコンピュータじゃ納得がいかないだろう。文句を言う相手は人間でなくてはならない。そういう欲求がある限り人間の仕事は無くならない。ただし、ストレスの溜まる仕事は増えるだろう。

 簡単に言おう。AIで仕事が奪われるより、人間の無知の方が深刻だ。AIが進化しようと、人が愚かなら何も解決しない。実際、新しいものが出ても仕事は減らないし、給料も上がらない。むしろ、競争が激しくなって窮地に立たされる。新しいものを創り出すことの意義が損なわれていないだろうか。

■AI関連のニュースに対する違和感

 Googleの囲碁ソフトが人間に勝ったというニュースを読んでいて、ものすごく違和感を感じた。車が人より速く走った程度の話ではないのだろうか。だいたい、一般的な人の囲碁の実力なら、とっくの昔にコンピュータは凌駕している。処理できる情報の量が増えれば強くなるのは当たり前だ。

 もう一つツッコミ入れるなら、コンピュータと人間が囲碁で対決してるように見えるが、実際は、コンピュータという道具を使った人間と、囲碁が強い人間との対決だ。例えるなら、自転車に乗った人と走ってる人との対決みたいなものだ。人間同士の対決に変わりは無い。

 コンピュータのバッックにいるのは人間だ。すごく高性能な道具を持った人間だ。凄いのはコンピュータではなく、この囲碁ソフトを作った人の技術のはずだ。その人を賞賛するなら意味が分かるが、なぜそこでAIが仕事を奪うという話に繋がるのだろうか。意味が分からない。

 AIが仕事を奪うとい発想は、映画を見すぎた人の妄想だ。仕事が無くなるのは、経営者が人にお金を払いたくないからだ。AIが仕事を奪わなくても、別の方法で仕事を奪う。奪われないにしても、どんどん仕事が奴隷的なものになっていく。正に今の日本だと思うのだが。

■コンピュータに対する誤解

 考えるということは、必ず間違えるというリスクが伴う。これは人が考えようが、AIだろうと同じだ。計算のような機械的な動きであれば、コンピュータは基本的に間違えない。コンピュータだから間違えないのではない。計算が機械的だから間違えないのだ。

 人間が考えると間違えると思われているが、それは違う。人間は機械的に対応できない課題に取り組んでいるのだ。だから間違える。同じ課題をコンピュータに対応させたとしても、同じように間違える時は間違える。

 現代人はコンピュータの本質を見間違えている。コンピュータは間違えないのではない。機械的な作業を淡々とこなしているだけだ。工場の機械が動いているのと大して変わらない。動いている部分が見えないので、勝手に想像が膨らんでいるだけだ。

 人間とコンピュータ、どちらが優れているかという考え方自体が愚問だ。コンピュータはあくまで道具だ。人間が動かさないと動かない。"人間 対 コンピュータ"というのは、実質的には "従来の技術 対 新しい技術"だ。そういう風に置き換えて見ると、Googleの囲碁ソフトの記事も非常に納得がいく。

■AIが進化することで得られる本当の利益

 AIは仕事を変化させても奪わない。仕事を奪うのは、人に金払いたくない人間だ。そこに集約できると考えている。人にお金を払うことに何らかの意義を見出しているなら、AIが進化しようとこういう話は出ないはずだ。

 問題の本質は、人にお金を払いたくないケチな人が増えたということだと思っている。AIが進化して仕事が減ったなら、現状の給料を維持して昼で仕事を切り上げればいい。その方がよっぽどイノベーションだ。

 技術にしても、ビジネスにしても、それを活用して幸福になりたいはずじゃないだろうか。ビジネスにしても、技術にしても、それを使って張り合ってるから恩恵を受けることがない。

 さっさと仕事済ませて花でも育てたい。AIが進化して仕事奪ってくれるなら、いくらでも奪ってくれ。その分、いっぱい花を育てて愛でたい。そういう方向にならないのは、人間の業が深いからじゃないだろうか。ビジネスやら技術を語るのも結構だ。だが、愛でるものはあるか?そこを見失っていないだろうか。

Comment(4)

コメント

仲澤@失業者

大昔、コンピュータの始まりのころ、
(この頃のコンピュータにはキーボードもディスプレイもありませんでした)
それぞれ
 (1)プログラマ(処理手順やアルゴリズムやメモリレイアウトを作る人)、
 (2)コーダ(プログラムをニーモニックや機械語等にして16進数の羅列に変換する人)、
 (3)パンチャー(16進コードをパンチカードや紙テープに穴あけする人)、
という専門の担当者(ないし職業)が独立して存在してました。
大学時代、知人が大量のパンチカードを持って、コンピューター棟に
並んで順番を待っているのを茶化したもんです
(つまり、抱えているカードを落として順番がバラバラになり困るのを期待したのですね)。

いずれにしても、現在においてこれらの仕事の内容は消滅するか質が変わってしまってます。
飛脚が消滅した(そしてその代替が発生した)のと同じかもしれません。
おっしゃる通り、このような消滅や質的転換は、
コンピュータを使う側の人にとってはそれほど問題にはならないかもしれませんが、
コンピュータに仕事をもらってる人にとっては、近々に死活問題化するかもしれないと考えています。

ksiroi

個人的には「コンピュータに仕事をもらってる人」はどんどん去ってもらって
僕らのお給料を上げてほしいなぁと思わなくもない。

そういう意味ではAI(を作る僕ら)が労働者を駆逐していくのは理想社会とも言える。
別の仕事しなさいよ、と。片田舎の酒屋でもいいじゃん。大切な仕事には変わりない。

おたみ

人間が行う活動の中で「機械的じゃないもの」ってもしかしたらないのかもと思ったり。
マシン側の処理能力や精度が足りないだけで、結局は機械的なんじゃないかと。

「AI(を作る僕ら)」に給料を支払っている人たちが駆逐したいのは
「AI(を作る僕ら)」なんじゃないかなぁと思ったり。

匿名

給料を支払ってる側をai化するプログラムをみんなで考えたら面白いかも

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