その学歴に意味はあるのか
▪️教育にいちゃもんをつけてみる
最近ちょっと疑問に思うことがある。学歴を聞くとき、どうして大学名を聞くのだろうか。東大なんて言ったら、すごく頭が良いというイメージを持つだろう。
・・・大学、ぼろ儲けだよね。
もう、ブランドのバッグと同じ感覚だ。名前を掲げておけば勝手に学生が集まる。
凡才を天才に育てたり、可能性を見出して発現させる。優れた教育ってそういうもんじゃない?大学って、最初から優秀な人を集めて、適当に課題をやらせてるだけじゃないか?教育機関としての役割に疑問を感じる。
▪️入学試験に意味は無い
大学入試って例えるなら、ディズニーランドに入園するために試験するようなものだ。やりたい勉強があって入試する人なんてごく一部だろう。大部分は大学に入って遊ぶとか、大卒のライセンスが欲しいだけだ。
大学の試験は、成績上から順に何人を合格というやり方だが、受かる受からないの差は非常に小さいそうだ。学力だけで見れば、試験会場に来ている8割は合格する資質はあるらしい。以前、教育機関で働いていた時に聞いたことがある。
その資質を受験競争ではなく、それぞれの才能を伸ばすために使えば、優秀な人材がどれだけ輩出されるだろうか。これだけの才気に満ち溢れた人材に、⚪︎⚪︎大学のブランド争奪戦をさせてるのは非常にもったいない。そう思うのは私だけだろうか。
▪️実は学歴なんかに誰も価値を置いていない
例えば、新卒採用試験で35歳のおっさんが来たらどう思うだろうか?
おっさん: 「社会に出てから学問の重要さに気づきました。大学で一から学びなおしました!」
・・・・採用したいと思う会社はあるだろうか?多分、無いと思う。中途採用だとしても一緒だと思う。採用されたとして、決定打は社会経験になるだろう。
そもそも、誰も社員に学問なんて求めていない。学問の価値を理解できないからだ。そして、日本では学問を利益に還元できる仕組みが無い。結局、学問を修めても活用することが難しい。これは非常に勿体無いと思う。
学歴と言いつつ見ているのは、いかに挫折しないで人生を歩んだか。その程度に留まってしまう。今まで挫折しなかったから優秀、過去に難しい試験を通ったから優秀。程度の判断材料にしかならない。
▪️人材の価値を見抜くということ
本当に良いものは、価値の分かる人にしか良さが分からない。優秀な人を見抜くのは容易いことではない。企業が優秀と謳う人を分析すると、実際は優秀ではなく都合のいい人だ。世間で優秀と認識されていて、自分たちの考えを愚直に実行してくれるような人だ。
学歴というのはパッケージみたいなものだ。所属する会社とか役職も同様だ。もし、人を見る機会があるなら、きちんとそのパッケージを紐といて中身を確認しよう。もっとも、中身がお粗末なのでパッケージで押し切ろうとする人はすごく嫌がると思うが。
エンジニアとして中途で入ると、実質何ができるか、そういう質問が事細かに来る。職歴で判断されることも多いが、中途採用の方が中身を見てくれる。良い高校に行って良い大学に入る。そして大きな企業に入社して・・・。というテンプレートに沿っているうちは、自分の中身を見てもらえないように思う。
少子化も進んでるし、企業も人材不足に陥っている。そろそろこのテンプレート的な考え方も破綻するんじゃないかと思う。ある意味、こんないい加減なものの見方でも世の中が回るくらいに平和な時代だったのだと思う。おかげで、いろんな問題も山積みになってはいるのだが。
もし、進路やら就職先で悩んでいる学生がいればアドバイスをしたい。何かやりたいことがあるなら、もしくは見つけたいなら、自分に何ができるかを考えてみることだ。ちょっと道を逸れた時に、その真価が試されるのだ。
コメント
大学の価値
学歴なんてたかが高校3年間の積み重ね・・ととらえることもできる。社会人になってから猛烈に努力して高い価値を創出する人もいる。
と同時に、学生時代もサボり、社会人になってもさっぱり成長しないのもいるし、本人が必至になってもしょせんは・・ってのもいる。
学歴がどうと言うより学んだ内容が大切だとするならば、理系の3流大学の卒業生なんて金の卵だろう。
文系で一流大学を出ていても微分方程式や物理演算なんかさっぱりかもしれんが、理系の3流大学卒なら、微積分、数列、線形台数、物理演算・・こんなもんはお手の物。
ただ資本主義の世の中では、それを金に換えられるかも問われる。
あと、コミュニケーション能力とかはアホのひがみ(笑)
悔しかったら技術力で勝負するべし。じゃないと日本は負け続ける。
大学の価値
後はデザインだね。美的センスが重要。本人が醜男でもブスでも、そいつが生み出すプロダクトが美形なら、それだけで商品価値は高いね。
数学+工学+美術⇒製品の価値
だね!