もっと世界に優しさを
■エンジニアに優しさは必要か
まず、エンジニアには優しさは必要だ。それは何故か。優しさは何も生み出さない。だが、間違いを犯す一歩手前で踏みとどまるための命綱になる。ここで言う間違いとは、コードの書き間違いやサーバの設定間違いではない。人として道を踏み外すという、間違いだ。
優しさといっても、子猫を見てカワイイとか、恋人を愛でるとかそういう類のものではない。利他心を背景とした優しさだ。こういう優しさがあれば、自分の部下が困っていても助けようという気持ちになれるし、メンバーを理不尽に酷使することは無い。
■優しくあることと強くあること
だが、利他心を背景とした優しさを持つには求められるものが多い。例えば、部下が困っていたとしても、自分の仕事すら片付けられずにいたら助けようも無い。当然、助けようなんて気持ちも起きない。同じ理屈で、メンバーを酷使しなければ仕事ができないような人が優しさなんて持てるはずが無い。
そして利他心とは確固たる理論と価値観が背景にある。決して曖昧な精神論で語られるものではない。現代社会で何も考えずに生きていたら、金銭的な価値観にどっぷり浸り、思考すらままならなくなる。利他心を持てるということは、何らか優れた要素の裏付けと私は考えている。
本当に優しくあるためには強くなくてはならない。強さといってもいろいろある。高い知能であったり、経験に基づいたノウハウ、時に痛みに耐える力だったりする。強い気持ちがあれば何とかなるのは、漫画の世界だけだ。何かしら実現する力がなければ、優しさはいとも簡単に打ち砕かれる。思いの強さ、プラス何かが必要なのだ。
■優しさのコスト
優しさを維持するには膨大なコストがかかる。それは労力、努力、時間、時にお金だったりする。ビジネス思考で考えると、到底割に合わない。ビジネスライクな人に冷たい人が多いのはそのためだ。直接的な計算で結論を出しにくいからだ。
本当の優しさというのは、ビジネスよりも考える要素が多い。精神性の高い人でなければ理解できない優しさというのもある。一般的に言う優しさが何の利益ももたらさないのは、私達の精神性が低いからとも言える。物事の上辺しか見ないので、優しさの土台が脆いのだろう。
■優しさにも結果は求められる
一般的に誤解されているのは、優しさにも結果が求められるということだ。結果を出す気の無い優しさを偽善という。単に自分の利益のためにやる行動は優しさとは言わない。人の要求するものを的確に見抜いて実現する。そういう意味ではビジネスに通じるものもある。
能力がある人でなければ優しさが身につかないのか。優しさが人に能力をもたらすのか。そういうのはどうでもいい。ようはどちらも必要だということだ。ただ、優しさの元をたどれば必ず根拠があり、指針として定まっている。指針が定まった人は思わぬ力を発揮する可能性を秘める。
ネコなでて優しさを気取ったり、恋人に優しい人をアピールするのも悪くはない。だが、優しさは利他という形で還元される方がいい。利された人が本当の優しさの価値を知るようになる。そして、価値を知った人が本当の優しさを持つ人を評価する。そういう評価が、誰かの「自分は優しくあろう」と考えるきっかけになる。そういう良いスパイラルを生む。
そもそも、殺伐とした現場で働きたい人なんていないだろう。目先の利益の邪魔だから優しさに価値が置かれないだけだ。せっかくのクリスマスイブなんで、優しさについて語ってみた。
P.S.
そんなことで、美女に囲まれて楽しくクリスマスを過ごしてみたいものだ。
コメント
ksiroi
力と優しさと、どちらか片方しかない人のなんと多いことか!
恩義と仁義を理解しない無粋者のなんと多いことか!
http://www.saicorodo.com/tanoshi-/kaisetsu_jingi.php
楽園追放のこれには感動しました。本編見る余裕が欲しい
美女も結構だが、おっぱいに対する言及が無いのはなんでなんだぜ?
ちっぱいちっぱい