いろいろな仕事を渡り歩き、今はインフラ系エンジニアをやっている。いろんな業種からの視点も交えてコラムを綴らせていただきます。

誰だ、教育現場でタブレットとか言い出したやつ。

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■エビフライぶつけるぞ!

 最近、学校の教育でタブレットPCを使おうなんて動きがあるようだ。個人的な意見だが、この試みは軽率だと思う。この企画を考えた人は、きっとタブレットPCを使いこなしていない。Webや動画を閲覧して、「スゲーー!」と思っただけの人だと思っている。

 タブレットPCはあくまで道具だ。教育者の手腕がなければ、導入だけで革命的な進歩など起きない。単に教科書と置き換えるだけなら、学生のかばんが軽くなる程度のメリットしか望めない。電子データで授業したいなら、単純にPDFを配ったり、Webアプリケーションで十分だ。別にタブレットPCでなくてもできる話だ。

 普段からIT化を怠っておいて、革新性に目が眩んでないだろうか。タブレットPCの前に、コンテンツのIT化に対応するのが先だろうと思う。

■使い勝手の部分を検証する

 実際にタブレットを使った人だと分かると思うが、電車の中で漫画やら小説を読んだり、Webや動画の閲覧するには便利だ。しかし、机に向かってる状況でタブレットを使ってもあまりメリットが無い。「そういえばあれ、どこに書いてたっけ?」と、パラパラめくって文書を確認するにはタブレットは向かない。教科書はそのような使い方をよくする。

 そもそも、授業受けたらノートを取る。タブレットPCで教科書見て、同じ端末で入力もするのだろうか。タブレットPCで文字を入力しようとすると、画面にキーボードが表示される。しかも、自由に線を引いたりできない。数学の授業で数式を入れるとなれば拷問以外の何者でもない。

 それなら、タブレットPCより、普通のノートPCを使った方がよっぽど効率的だ。入力の効率もいいし、同時に複数の情報も確認しやすい。教科書のデータをコピペできれば、効率的に情報をまとめることができて、学習効率も上がる。むしろ、なぜそちらを先にやらないのかが疑問だ。

■物ではなくコンテンツだ

 確かにタブレットPCは何か面白そうなことができそうだという想像をかきたててくれる。だが、それはコンテンツを消費する立場の視点だ。コンテンツを作成する立場としては、ただの出来損ないのパソコンだ。道具は適材適所に使わないと効果を発揮しない。

 もしタブレットPCを教育の現場に導入するとしたら、授業のやり方を根本的に変えなければ効果は低いと思われる。授業の内容を復習できるコンテンツを作成して配信したり、学習内容を管理できるDBを作成する等、道具を活用するためのコンテンツが必要だ。

 それをやるには、教師も発想を大幅に変えなければならない。もっとも、何十年も同じやり方で教育をし続けていること自体、進歩がなさすぎる。教育のコンテンツ自体、ノウハウを蓄積していないのではと疑いたくなる。物がいくら斬新でも、教師の方がついていけないのではないだろうか。

■IT化の前に

 教育のIT化にはある程度賛成だ。だが、IT化以前ににやるべき教育がある。国語の授業でマニュアルの読み方を教えるべきだ。これだけ文明が近代化したというのに、マニュアルを読めない大人が多すぎる。文学も大事だが、国語は文学作品を作るための訓練ではない。言葉で物事を伝えるための訓練だ。

 国語でマニュアルの読み方、ノウハウを伝えるための文章の書き方を教えれば、ITが理系の仕事とボヤく人はいなくなるだろう。また、ITに限らず情報の伝達が円滑に行えることは役に立つ。教育をIT化するより、マニュアルを正しく読める人、分かりやすく書ける人が増えるほうが有用だ。

 教育関連の人に問いたい。革新的な事をやろうと躍起になるより、そういう地道なことをきちんと教育してはどうだろう。そして、実質役にたつ教育をきちんと考えて欲しいものだ。タブレットPC云々より、そっちの方が先だろう。マニュアル等のドキュメントをろくに読まない人がITを扱えるとは到底思えない。まずはそこからだ。

Comment(9)

コメント

仲澤@失業者

そういえば、自分が小学生のときですが(とほい目)、
鉛筆削り器(電動を含む)の使用は、手先の器用さが失われるので
良くないとの議論が活発でした。

肥後の守(ひごのかみ)や、ボンナイフを使って削りなさいってことですね。
もちろん言った通りになり、現在では鉛筆をまともに削れる人は少なくなりました。
が、鉛筆自体をほぼ使わなくなったので、あまり影響は無さそうです。

ひょっとすると何らかのデバイスさえあれば、メモをとったり、何かを記憶したり、
文字を筆記用具で書いたりする必要が、なくなるのかも知れませんねぇ。
まぁだいぶ先のことかもしれませんけど。

ちなみに、鉛筆はきれいに削れますけど字は超ヘタです(しくしく)。

Anubis

>>仲澤 様
そう言えば、何かとこじつけてシャープペンシルの使用に対してネガティブだったのを覚えている。テストやプリントへの記入は鉛筆を使えと。

今の子供に刃物持たせたら、喧嘩に刃物使うから危ないのか、
普段から刃物使う機会が少ないから、刃物を喧嘩に使うのか。
鉛筆削る話を聞いて、そんなことを思い起こした。

こういう鉛筆神話って、今どうなってるんでしょうね。

仲澤@失業者

さすがに鉛筆削れ。は言われて無いのでは・・・。

さて、刃物に関しては新聞沙汰になったと記憶してますが、
鉛筆だってそれなりの凶器になります(自分の手にはいまだに芯が埋まってます)。
一方、電子デバイスが人を殺さない保障もありません。
情報的抹殺も死の一種ですし、生物的な寿命に直結すると想像できます。
要は、使う人の精神を鍛えるべし、の一点の様な気もします。
まぁ昔から言われてるのでいまさら感が満載ですが。

Masa

数学にタブレット使うのは確かにきつい…。想像するだけで泣きます。

ただ、話を聞いたとき英語や社会科の視聴覚教材ならいいかもしれないって思いました。スライドショーの代わりはさすがに教科書では務まらないし、リアルタイムに音出すのも望めませんから。特にゲーム感覚の教材ならタッチパネルの良さは出ると思います。

要は使い方でしょうけど、そこまでコンテンツそろっているのかな。ハード先行型だったらどうしようもないですね。


> 今の子供に刃物持たせたら、喧嘩に刃物使うから危ないのか、

そんな理由つけて子供を危険から遠ざけてるだけな気もしますけど。刃物を自由に使わせても人を切る子供はまずいませんが、自分の手はほぼ確実に切りますから。

でも、子供のころに刃物傷の痛さを知ることって大切だと思うし、そういって刃物持たせないことの方のが問題な気がします。痛さを知って(いい意味で)トラウマになっていれば、軽い気持ちで人に刃物を向けないでしょうから。

同じ意味で火遊びすること、動物の死を見ることも大切だと思うけど、そういうのを最近は何で避けたがるんでしょうかね。

Anubis

>> Masa さん

私としては復習用や連絡、むしろ学校行事に役に立つんじゃないかと思う。
集会で、何十分も炎天下で校長先生の能書きを聞くより、Webコンテンツで配信してしまえと思う。いや、それすらも要らないかもしれないが。

タブレットを導入したら、先生はパワポで授業するのだろうか。タブレット片手に黒板を使うのだろうか。光景が想像できないです。

> 同じ意味で火遊びすること、動物の死を見ることも大切だと思うけど、そういうのを最近は何で避けたがるんでしょうかね。

経済活動では美味しいところだけ取ることを素晴らしいと問いている。私達は、そういう考え方に浸かって生活しているので、そういう流れになるのだと考えています。

taonao

反転授業あたりの事も含めて考察するといかがなりますでしょうか?

ksiroi

お久しぶりです

教育も所詮は消費コンテンツなので、タブレットでもいいかなと僕は思います。
ただ、量と質の充実は大前提、と仰っているのもまた真理ですよね…
(消費コンテンツであるがゆえに、尚更。)

あとマニュアル云々のくだりを3文字で表現するなら
「ググれ」
で終わるようなところが、昔にはなく今にある強みなのかなぁと感じる次第でございます。

Anubis

>>taonao さん
反転授業というのを調べてみました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%8D%E8%BB%A2%E6%8E%88%E6%A5%AD

こういう試みもあるのかと勉強になりました。

これを踏まえた上で考察しても、私としては同じです。
タブレットPCの便利さって、メモ帳のようにどこでも使えることだと思います。
机に向かうのなら、普通にPC使った方が効率はいい。

ただ、野外教育ならタブレットPCは活きるかもしれない。


>>ksiroi さん
どうも。コメントありがとうございます。

ビデオ見せる、本を読ませる、そういう形式の教育であればタブレットでもいいかなと思います。

ただ、教育は消費コンテンツではないと考えています。やらせる事が教育だと考えています。みっちり経験させる事に意味がある。

>あとマニュアル云々のくだりを3文字で表現するなら
>「ググれ」
>で終わるようなところが、昔にはなく今にある強みなのかなぁと感じる次第でございます。

興味深いご意見だと思います。コラム一本書けそうなので、ネタにさせてもらおうかと思います。

TK

初めまして。

タブレットに限った話では無いですが、真新しい技術に着目するのは良いけど、
真新しさだけに目を奪われて、

「それを使って、こども達に何をさせたいの?」

という、重要かつ大変手間の掛かる部分がスッポリ抜けていると思います。
目立つところだけ評して、その裏側に気付く事ができない、「おいしいとこ取り」な世情そのまま。

人は、知識と技能だけでなく、経験と体験もあって初めて成長できますから、
お膳立てしたプレゼンや画像を、タブレット端末で子どもたちにいじらせる暇があったら、
校庭の草取りゴミ拾いでもした方が、いろいろと面白いと思います。
あるいは、地図帳+国語辞典+漢字辞典で、地名の意味や由来を調べたり考えるとか。

そして、校庭で見つけた雑草や拾ったゴミの素性を調べたり、地図と辞典で調べた土地の風景を
リアルタイムで見るんなら、タブレット端末の利用はアリでしょう。

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