いろいろな仕事を渡り歩き、今はインフラ系エンジニアをやっている。いろんな業種からの視点も交えてコラムを綴らせていただきます。

常人基準

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■優秀さの実態

 そこら辺から頭のいい人を100人集めてきたとしよう。1つ基準を決めて縦に並べると、必ずトップとケツがいる。同じように、そこら辺から頭の悪い人を100人集めてきて、1つ基準を決めて縦に並べると、同じようにトップとケツが必ずいる。

 「優秀」というのは、このトップのところにいる。それだけの人だ。この基準なんて大概適当なものだ。やれどこどこの大学に行っている。どこどこの企業の何々という部署にいる。こういった基準で縦に並べて、上の方だったから偉い。下だから卑しいと。冷静に考えると結構いいかげんな基準で世の中は成り立っている。

■優秀さにこだわり過ぎて不幸を招く

 エンジニアというのは、常に優秀であろうとする人が多い。向上心が高いのはいいが、自分が優秀でいたいがために人を認められない、ひどい人になると人の足を引っ張ったりする。よくエンジニアをモヒカンに例えるが、今どきマサカリ投げてるようでは文明的ではない。そんなことをしてるから、周囲が殺伐とするのだ。

 自分がトップになったとしても油断はできない。一つの集団の中でトップになっただけで、外に出ると常人並…… というのもよくある。特に、内輪での競争に奔走し過ぎるとそうなりやすい。また、下手にトップに立つと、プライドが肥大してしまう。実力以上のプライドを持つと、自分の器以上の事をやろうとしてしまう。そうなると、実力があっても失敗する率が上がってしまう。

■優れている人を基準にしてはいけない

 会社など、成果を追求するような団体では、少ないリソースで多くの成果を上げることを求められる。なので、優秀な人は喜ばれる。だがここで注意してほしい。全ての人が優秀になる。それはあり得ないのだ。

 一つ基準を決めて縦に並べれば、必ずトップとケツがいる。全員がトップというのは、評価基準がある限り無理な話だ。また、トップの人が上げている成果を普通の人に求めてはいけない。優れている人には優れている理由がある。それを、万人が実践できるとは限らないからだ。

 結果論だけで言えば、個人に過剰な実力を求める組織は、トッププレイヤー依存型になりやすい。すごくできる人が数名いて、その人たちでないとできない仕事が山積みになっている。個人の実力に頼りきった組織だ。

■常人を基準にする

 仕事の仕組みでも、教育プログラムでも、トップレベルの人を基準に構築するべきでない。仕事の仕組みにしても、教育プログラムにしても、目的は人をふるいにかけることではない。そこを履き違えている組織は多いと思う。

 また、無茶に優秀になろうとしても、そうそう叶うものでもない。無茶をした分、別の部分にしわ寄せがいってしまう。無茶して手に入れた優秀さほど、維持に手のかかるものはない。トータルで考えると、特別に優れなくても地道に事をこなすことで成果を上げる方法もある。

 「バリバリにプログラミングもできて、要件定義、サポートもできて、お客さんとも円滑に交渉できる、二十代後半くらいの人で、いい人いないかなぁ?」なんて、言うのも恥ずかしいレベルで無茶てんこ盛りの要求が、巷では溢れている。それを言う組織で、円滑に仕事が回っているのを見たことが無い。優秀さにとらわれ過ぎると、ああいう発想になってしまうのだろうか。

 優秀さを追い求めるだけでは、何も解決しないのかもしれない。

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