いろいろな仕事を渡り歩き、今はインフラ系エンジニアをやっている。いろんな業種からの視点も交えてコラムを綴らせていただきます。

科学的であることは常に正しい?! --俺式--

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■乾いた心に響いたコラム

 ビルの谷間に沈む夕日を背に、ディスプレイの文字を追う。いつも見慣れたエンジニアライフに、いつも見慣れたコラムニストの面々。全てはいつもと同じだった。そう、abekkanさんが書いたコラム、科学的であることは常に正しい?!を読むまでは……。

 近くにあって、そして遠いもの。それが科学だと思う。abekkanさんの考察に、知的好奇心はそそられた。砂漠に落とした、一杯の水のように、コラムに吸い寄せられていった。特にそのテーマに魅せられた。そして一つの思いがよぎった。

「私もこのテーマでコラムを書いてみたい!」

 そんなことで、私も同じテーマでコラムを書いてみた。

■科学的というアプローチ

 ちなみに科学的である。というのはどういうことだろうか。これは、科学という思考のフレームワークだ。これに則れば、安定した答えが導き出せる。そういう思考大系だ。何らか問題が起きたとき、科学というフレームワークを利用して解決すれば、科学的なアプローチで解決。となる。

 科学というフレームワークだが、現代社会で最も信頼されているフレームワークともいえる。科学というフレームワークから導き出された答えの信頼性は絶大だ。そしてなにより、実績が高い。世界中の学者、エンジニア、スポーツ選手至るまで、科学というフレームワークを利用してさまざまな成果をたたき出しているからだ。

■だが科学だけではない

 だが、優れたフレームワークは科学だけではない。そして、科学ではできない分野もある。例えば、詩的なアプローチだ。詩人の思考のフレームワークだ。冒頭の一節はこの詩人の思考というフレームワークで書いてみた。どういう形にしても、人の心に対してアプローチするには、科学的な思考のフレームワークでは成し得ない。詩人の思考のフレームワークが必要だ。

 他にもいろいろな思考のフレームワークがある。武道をやってる人の思考のフレームワーク、占いやってる人の思考のフレームワーク、音楽をやってる人の思考のフレームワーク、その他、いろいろなフレームワークがある。用途に合ったフレームワークを選ぶことで、より効果的な結果が得られるのだ。

 そして、多くのフレームワークに精通すること。一つのフレームワークに依存しすぎないこと。何らかの結果を得ようとすれば、このようなアプローチも必要となるだろう。

■根本的な能力が問われる

 そして、このコラムのテーマになっている、「科学的であることは常に正しい!?」だが、答えはノーだ。どんなに優れたフレームワークでも、使う人の頭が悪ければ使いこなせないからだ。

 科学的な思考に必要なのは、思考力、計算力、回転の速さといったものだ。雑に言うなら脳筋だ。訓練で鍛えられる、脳みその動きの活発さだ。地道な訓練で脳みその動きを鍛えないと、科学的であっても正しさは導き出せない。

 科学的なアプローチというのは、それを使うだけで正しさを醸し出せる。だが、正しいとは限らない。本当の正しさがあるとすれば、それは現代人の知る科学の遥か先にあるのだろう。

Comment(2)

コメント

abekkan

同調していただいてありがとうございます。
思考のフレームワークという言い方はぴったりした感じでいいですね。
このネタでもうちょっと書いてみたくなりました(^^)。

育野

科学が信頼に足るフレームワークである点,全く同感です.

そして新たな視点を提供して下さったことに感謝.
別系統の思考のフレームワークがあるという考えには
まさに目からウロコが落ちる思いでした.
自分の頭の固さにため息が出ますね….

最後に一つだけ意見表明(自戒を込めて).
用途に合ったフレームワークを選んで使う分には問題ないのですが,
無意識にか意識してか,混ぜて使ったり必要な条件を勝手に削ったりする人,
いますよね.
やっぱりフレームワークは正しく使わないと.

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