いろいろな仕事を渡り歩き、今はインフラ系エンジニアをやっている。いろんな業種からの視点も交えてコラムを綴らせていただきます。

ITは僕達をバカにしたのかもしれない

»

■ITが僕達にもたらしたもの

 パソコンでブラウザを開くと、世界中のニュースを見ることができる。わからない事があっても、ネットで調べればある程度の答えは得る事ができる。しかも、最近ではパソコンだけではなく、スマホからでも情報が検索できる。道に迷ったら、Webの地図を見ながら目的地までナビゲートしてくれる。

 また、情報を受けるだけではなく発信することも容易になった。発信できる情報も、昔は文字中心だったが、最近では画像や動画、プレゼンで使用したスライド等、色々な形で情報を発信できる(そして、夜のオカズにも困らなくなった)。便利な時代になったものだ。

■便利さと知的レベル

 ただ、便利になりすぎたが故に、情報を粗末に扱うようになっていないだろうか。また、情報を発信するときも、ほとんど考えずに発信するようになってはいないだろうか。量が増えた分、一つ一つの重さが軽くなったように思える。

 その影響か、一つの情報をじっくり考えることが少なくなったような気がする。単に情報の量だけがその人の知的さを決めるのであれば、江戸時代の人より現代の人の方が数倍頭が良いことになる。しかし、実際はそうとも言い切れない。便利にはなったが、ITによって人が賢くなったとは思えないのだ。

■便利さで失ったもの

 情報の重さというのは重要だと思う。どんなに優れたコンテンツやためになるドキュメントでも、重さを感じることができなければ、深く読み込むことがない。積読や積ゲーが増えたのも、安易にコンテンツが手に入るので、消化しきれなくなった結果だと思う。

 利便性に気を取られすぎて、本来得られるはずの感動や気づきを逃してはいないだろうか。便利さを満喫していて、振り返るとそこには何も残っていなかった。では寂しすぎる。

■選択肢の数は幸福の条件ではない

 選べるものが多すぎると逆に迷う。実際、物を選ぶにはけっこうエネルギーが必要だ。Webにいろいろな情報がありすぎて、集める時点で燃え尽きていないだろうか。また、情報の絶対量が多くなれば、当然、処理するための時間も増える。これにも、膨大なエネルギーが消費される。

 世界中から情報が集められても、情報を吟味したり、考察できなっければ役に立たない。情報が多すぎると、反復の読み返しが減る。反復の読み返しが少ないと、知識の定着度が上がらず、深く理解することができなくなる。

 ネットを批判するつもりは無い。ただ、便利さに流されず、足りないと思われる要素は補っていく必要がある。深く読む能力に欠けるなら、同じ技術書を何回も繰り返し読む訓練をすればいい。時代に合ったノウハウを身に付けよう。

Comment(0)

コメント

コメントを投稿する