僕じゃない~♪ 僕じゃないぁ~い~♪ 僕じゃ~な~い~~♪
■いや、お前だ!
プロジェクトが座礁したら、どこかに必ず原因があるはずだ。こういうのって、適切に分析されているのだろうか。たまに感じるのが、確信を突いた時の影響を恐れて焦点をそらしたり、ごまかしたりしていないだろうか。
ここら辺のごまかし方がいろいろある。良心的なところだと、誰もが傷つかないような曖昧な答えで、次は頑張ろうと持っていくやり方だ。酷いのいなると、上の人のご機嫌をとるために、事実をでっちあげたり、叩いても大丈夫そうな人に責任をかぶせるようなやり方も見かけたことがある。
ごまかしが入ると、責任者が悪かったと詫びることは滅多にない。そんなごまかしが、僕じゃない~♪ 僕じゃないぁ~い~♪ 僕じゃ~な~い~~♪というメロディーになって宙に漂う。そんな空気を打ち破って「いや、お前だ!」と指摘しくなる。
■言い訳を探して傷つく確率
自分の成長を考えるなら、人に責任を押し付けるのはよくない。また、詳細な責任の割合を弾き出しても利益は無い。自分の及ばなかった点をリストアップして、埋め合わせていくのがベストだろう。
ごまかすとそれができなくなる。しかし困ったことに、対人スキルや力関係でごまかし抜こうとする人もいる。そういう人が何人もいると、言い訳の駆け引きが始まる。言い訳を探すことで、本当にやるべき事を見失ってしまう。
意外とごめんと謝っちゃった方が、後先よくなるんじゃないか?なんていつも思う。言い訳を探しても、トータルのダメージは0には収まらない。そんなことで、言い訳を探して傷つく確率は0じゃない。100%だ。すでに、プロジェクトの進捗やらチームの統制にダメージがいってるからだ。
■知りたくない♪知りたくな~い♪ホントは知りた~い♪
真実をそのまま受け入れるのには勇気がいる。自分の落ち度を認めるといううのは、大きな精神的な痛さが伴う。こういう精神的苦痛に耐える力は、普通に暮らしていてはなかなか鍛えることができない。スキルとは全く別の話だ。
本当に利益になる情報は、得た時に心理的なダメージをくらう。実は自分のやり方が間違ってたとか、自分の知識がもう古くて使えなかったとか。誰もが知りたくないと思いつつ、ホントは気になって仕方がないことだと思う。
ごまかしてしまうと、こういう有益な情報が得られない。結果、自分に都合のいい事実しか見なくなので、スキルが伸びなくなったり偏ったりする。意外とスキルを伸ばすのに重要な要素は、精神的な強さなのかもしれない。
■いつか過ちを許せるなら
スキルの伸びる環境というのは、ごまかさずに済む環境なのではないかと思う。自分の足りてないところを素直に認められれば、どこから努力すればいいかが明確になる。何が正しいか迷うことも少なくなるので、生産性も上がるだろう。
間違いは犯してはいけない。どこの職場でもそんな緊迫感で満ちてはいる。もっと間違いは許されてもいいのではないだろうか。許されても許されなくても、間違いは一定の確率で起きる。問題なのは間違えることでなく、間違いを放置することだ。
許すことは間違いを容認することではない。きちんと間違えたことを納得させた上での話だ。咎めるのでなく、なにが悪かったのかを理解させるのだ。そういう許し方ができるのなら、きっと何かが良くなっていくと思う。
コメント
真っ赤なレモン
説明と言い訳は、全く違う。
それが分からない人は、こちらが説明しているのに「言い訳は要らない」とか言う。
説明は、するべきもの。言い訳は、しないほうがいいもの。