昭和という名の負債
■栄光という名の足かせ
戦後からの復興。焼け野原から全てを立て直した先人は偉大だ。ただし、世の中には行き過ぎるという概念がある。もしかしたら、偉大過ぎたのかもしれない。類稀な勤勉さは、世代を超えて受け継がれているとも限らない。今は堕落しているのかもしれない。また、先人が偉大であっても、次の世代が偉大とは限らない。
そしてもう一つ。時代に求められるものは移り変わる。極端な話、五百年前ならビジネススキルなんて概念も無い。求められたのは腕力や剣の腕前。そういうものだったみたいだ。その時代を生きていた訳じゃないので、実際はどうだったか分からないが。
こういう条件が合わなくなると、かつて長所だったものも短所へと変わる。どうだろう。現代社会では腕力だけで人はまとめられない。ましては剣の腕前を発揮しようものなら、殺人罪で刑務所送りだ。
■成功の瞬間は堕落の始まり
よく成功法などで、成功者の真似をするというやり方が説かれる。これについて、半分は合っていて、半分は間違えていると考える。どうだろう。一度成功した方法で次も成功できるだろうか。全く同じことを繰り返して成功し続けるだろうか。出がらしの茶葉から何度も美味いお茶が出るとは思えない。
成功した時点で考えることを止めたら、そこから時代に引き離される。まぁ、引き離されてもそうすぐには不利益は生じない。失うものが得たものを上回るまで、人は失った事に気づかないものだ。気づいた時にはもう遅い。ゼロではなくマイナスに勢いがついた状態だからだ。
人の成功法は鵜呑みしても役には立たない。一番役に立つのは、成功寸前の人のやり方なのかもしれない。ただ、見極めるのは非常に困難だが。
■時代の綻び
日本は発展した。しかし、発展の代償がいろいろ積み重なっている。政治や経済には詳しくないので、スキルという観点から見ていきたい。
まず、自動車工業で主流の、ベルトコンベア式の流れ作業。あの成功が、今の産業に大きな負債になっているように思う。手法というより、考え方の部分でだ。あの方法を取るための、徹底したマニュアル化の影響だ。
最近のIT系の業務で、手順書書けば失敗は無い。という変な通説がまかり通るのもこの影響かと思われる。こういう現場に限って、なぜか失敗が多い。手順書の他に、チームワークやモチベーション等も必要という認識が抜けているからだ。
あと、高品質な電化製品。このコンセプトを追求した結果、大きな思い違いが生じたように思う。"便利で簡単、安い"がコンセプトで電化製品は進化した。ボタン一つで何でも片付いてしまいそうな錯覚を抱く程に進化した。
しかし、本当に利益を得ようと思えば、困難に自ら挑む場面も当然出てくる。例えば、難しい手順や概念を勉強したり、面倒くさい試行錯誤が必要だったりする。この、便利な電化製品に慣れすぎて、何でも簡単に済まそうとする癖がついてはいないだろうか。また、簡単に済ませることが正しいと思い込んではいないだろうか。
■真の老害とは
いろいろな物が便利になりすぎて、自分の都合がいいように考えるようになってはいないだろうか。特に、無意識に過去に成功した方法にとらわれてしまうのが怖い。歳をとった人にこの傾向が強い気がする。こういう考えが強く、保守的な人が老害と呼ばれていることがある。
しかしどうだろう。老人でなくても、こういう考え方をする人は多いように思う。たぶん、老害と言われるような人を一斉に排除したとしても、何も変わらないだろう。エゴの方向が変わるだけで、火炙りの刑が串刺しの刑に変わるようなものだ。
真に排除すべきは、便利さに腐った思考だ。これが昭和から現在に引き継いだ、老害の本質だ。別に老人でも、この腐った思考を捨てる事ができれば問題は無い。逆に、若くてもこの腐った思考にどっぷり漬かっているなら、問題を引き起こす。
私たちは、思うより多くのものを過去から引き継いでいる。しかも気付かずにだ。素晴らしいものはそのまま育てていけばいい。しかし、害をなすものは、引き継いだことさえ気付かずに根付いてしまう。正に負債のようだ。