いろいろな仕事を渡り歩き、今はインフラ系エンジニアをやっている。いろんな業種からの視点も交えてコラムを綴らせていただきます。

逆アプローチから考える Part3 --見えないところに価値は潜む--

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■本質は君の価値観にはまってはくれない

 私は基本的に、IT技術者にウケるコラムを書く気は無い。どちらかと言えば、ITを知らない人が読んでも面白いと思えるコラムを書きたいと思っている。コラムを書くようになってから、コメント欄や、コラムについたつぶやき、ランキングなどを細かく観察するようになった。

 そこで気付いたのは、意外と人って文章を読んでいないという事だ。例えば、文章が書かれている媒体、誰が書いたかで無意識にランク付けをしたり、一部分だけしか読まずに全体を判断する。そういう人はけっこう多いです。もちろん私も同じだ。

 人に「もっと~みたいに書けばいいのに」と思うようなことがあれば、もう一度文章を読み直すようにしている。そうすると、意図せず読み飛ばしていたり、自分で曲解している部分が見つかることがある。意外と自分の価値観がいいかげんだという事がわかる。

■安易さを無意識に求めていないか

 一般的には、分かりやすい、イコール価値がある。そう考えられる。しかし実際は、そうとは限らない。分かりやすいということは、自分の思考の範囲で理解できる、自分の価値観で受け入れられる。それだけの話だ。自分に必要な情報が、自分の思考力で理解するのが難しいことだってある。自分の価値観を打ち崩すようなことだってあるのだ。

 自分の思考力で理解できない情報、価値観で受け入れられないような情報をってっとり早く処理する方法がある。否定することだ。これは考えずに済むので非常に楽だ。しかし、やり過ぎるとことごとくチャンスを逃す。

■エンジニアとして最大の利益を得るために

 では、具体的にどうすれば、その価値とやらが分かるのか。自分に有用な情報をものにすることができるのか。答えは意外に簡単だ。理不尽をかみしめろ。苦を恐れるな。滅私しろ。それだけだ。

 ただ誤解しないで欲しい。マゾヒストを推奨している訳ではない。これらの事を、自分のできる範疇で受け入れるのだ。できる範囲でやるなら、誰にでもできるはずだ。逆に、自分の許容量を超えたら逆効果だ。また、人にこれらの事を強いると、反発されて情況が悪化する。あくまで自分のできる範囲で。というのがポイントだ。

 自分の価値観を超えたものに直面すれば、当然理不尽を感じる。理解しようと思えば滅私するしかない。そのプロセスに苦しさを感じる。自分の理解力を超えたものと直面しても同じだ。方法がこれしかないなら、いっそ自分から受け入れたらどうだろう。その方が、幾分か負担は減る。自分のやれるだけでいい。そうすれば、自分のやれた分だけ確実に、有用な情報をものにすることができるのだ。

■実のところ、高度な精神性が要求される

 エンジニアというのは精神論を嫌う傾向がある。しかし、自分の価値観を超えたものに直面した時に感じる理不尽さ、苦しさをを乗り越えるには、どうしても精神的なものが求められる。ましてや、精神的に強くなければ滅私なんてできない。

 巷で言われているスキルアップの手段とは、かなり観点が異なるので、理解に苦しむと思う。ただ、そこで無視するか、蔑むか、よく読むかでその先の結果は大きく異なる。ここの分岐点でどういう判断を下すは、精神性が影響を及ぼす。

 何かを理解するために、分かるものから分かるものに繋げていくというのが一般的なアプローチだ。その逆で、全く分からないものから何を理解するかというアプローチでいろいろ考えてみた。万人に理解される内容ではないと思うが、ご理解いただければ幸いだ。

 

Comment(1)

コメント

消費者としては、「分かりやすさ、イコール、よいこと」という態度に安住していても、供給側が必死になって「分かりやすい」商品を次から次へと繰り出してくるので、それでいいのかもしれませんね。

しかし仕事に臨むときにもその態度では根本的にダメで、私もあまり精神論じみたことは言いたくないのですが、「滅私」とでも言うべきあり方が必要になるというのは全く同感です。

私事ですが私は20代の頃は全く自分に自信がなく、入社してから3~4年間は毎日泣きたい気持ちで仕事をしていましたが、この「自分に自信がない状態」が、思えば「滅私」と親和性が高かったと感じます。もし下手に自信があったなら、それは「私」「我」となって、
「こんな仕事、やってられねえ!」
と投げ出していたでしょう。

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