モチベーションに頼らない仕事術
■どこかずれている感が漂う言葉
そう言えば、いつしか書いたコメント欄でモチベーションについて書いてみよう。なんて返信した覚えがあります。年末から年始にかけて、好き放題はじけさせて頂いたので、今回はひねり無しで執筆させて頂きます。
私の感覚からすると、モチベーションという言葉を聞くと、何か違和感を感じます。例えば、会社の朝礼の一言でこの言葉が出た時、周りの人は大体スルーしています。また、Web上の記事でモチベーションについて語られる時も、何かしっくりこない感があります。
このしっくりこない感とは何か。自問自答した結果出た答えが、捻り出したモチベーションか、湧き出たモチベーションか。というところにたどり着いています。
■根拠なきところにモチベーションは無い
巷で言われているモチベーションを保つ方法で多いのは、将来に目標を持つとか、収入の増加やキャリアアップの計画です。しかし、ここで考えて頂きたい。実際、仕事でモチベーションを保つには、ポストと報酬が必要です。これは会社が用意しなければ揃いません。
ポストと報酬は有限です。そんな限られた人しか得られないものを餌に、社員全てにモチベーションが保てるでしょうか。私は無理だと思います。やりがいとか、社会貢献など、モチベーションの根拠と成り得るものはあります。経営者の間でこのようなものが、もっと語られてもいいのではないでしょうか。売上云々や会社の都合だけでは、社員のモチベーションは湧いてはきません。
■モチベーションの対象
モチベーションが高いことで、いろいろなことを実現することはできます。ここには間違いはありません。しかし、何を実現したいのでしょうか。私はここに疑問を感じます。モチベーションの怖いところは、対象が人に害を成す行為でも実現してしまうということです。
実際、ブラック企業といわれるところでも、幹部のモチベーションは高いです。競争に勝ち残るための不正にしても、モチベーションが良心を超えれば実現できてしまします。今、日本や世界で起こっている問題のほとんどが、誰かの目標達成のしわ寄せです。
■自己実現が正義とは限らない
そもそも、仕事にそこまでのモチベーションは必要なのだろうか。そこに疑問がある。万人が過剰に頑張らなては業務が成り立たないということ自体がおかしいです。
現代人は自己実現することが幸福だと信じて疑いません。そのために過剰にプランを立てたり、自分を奮い立たせたりします。過剰な競争にだって耐え抜きます。こういう人は、モチベーションを捻り出している人と言えます。モチベーションの出所がエゴなので、結果に結びつきにくいです。結果、モチベーションを保つのに苦労します。
そこで一つ提案です。自己実現ばかりに目を向けるのではなくて、他者実現に目を向けてみてはいかがでしょうか。そして、自分の周りにそういう人が増えれば、結果、自己実現もしてしまいます。結果として、自分でモチベーションを捻り出すより、モチベーションが維持しやすくなるはずです。
モチベーションを捻り出すのは疲れます。不自然な方法に頼っていては、いつか力尽きてしまうのではないでしょうか。